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2020年6月25日 (木)

龍安寺 鏡容池と塔頭たち

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

龍安寺の石庭を後に、境内の中心にある池泉回遊式庭園を巡ります。拝観順路(下の矢印)はここから西に向かうのですが、寄り道をして中ノ島の「弁天島」に渡ります。 

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途中にある「石の大仏」、由来は分かりません。

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弁天島を訪れる拝観客は少ないのですが、外国人の方をよく見かけ、海外の旅行書で紹介されているのではないかと思っています。

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「大弁財天尊」 弁財天、毘沙門天、大黒天を祀り、弘法大師が刻んだとの伝承があり、豊臣秀吉も信仰したといいます。 右手に石仏が並んでいます。

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石橋の上から、もう一つの中の島「伏虎島」が見えます。白い花が咲いています。

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弁天島から散策路に戻る途中に「大珠院」があります。室町時代の1493年に利貞尼が慈済禅師に帰依して洛中に創建。安土桃山時代の天文年間(1532-1555)に現在地に移され、1600年に備前守・石河光吉が再建しました。

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利貞尼は関白・一条兼良の娘の細姫で、夫の豪族・斉藤利国の死後に尼となりました。江戸時代には23院あった龍安寺の塔頭は、明治の廃仏毀釈によって3院だけになってしまいました。

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ここから池の方に行くと「霊光院」があります。織田信長の妹「お犬の方」の没後の1583年、月航玄津によって塔頭の霊光院が創建され祀られました。

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霊光院は「お犬の方」の法名です。現在ではこのお堂「霊光堂」だけが残り、龍安寺では既に塔頭とみなしていないのか、パンフレットには描かれていません。上の境内図に赤丸で記入しました。

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境内図の散策路に戻り、勅使門(重文)への石段。江戸時代の寛政9年(1797)の火災で勅使門が焼失したため、塔頭・西源院の唐門が移築されました。昭和50年に英国エリザベス女王夫妻がこの門から入り石庭をご覧になりました。

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「西源院」 室町時代の1489年に細川政元が特芳禅桀を開山として創建しました。政元は龍安寺の開基細川勝元の子で、応仁の乱で焼失した龍安寺を1499年に特芳禅桀を中興開山として再建しました。

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唐門を龍安寺に移築するほどの大きな塔頭だったようです。この日は庭の手入れのための作業車が停まっていました。。

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ここから散策路に戻って西に向かいます。このあたりは背の高い木が多く、秋にはところどころにある紅葉が彩を添えます。両側の苔地には大きな石が沢山置かれています。

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散策路を少し歩くと、池の反対側にもう一つの石段があります。石庭(方丈)の西の仏殿や昭堂(開山堂)、鐘楼に続いています(非公開)。

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散策路は北西で道が分かれます。一つはここから左(南)に曲がり、もう一つは石段を上ります。境内図の拝観順路はどちらとはっきりしませんが、それほど回り道でもないので石段を上る方をお勧めします。

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石段を上ると右手に「バゴダ」があります。第二次大戦中にビルマで戦死した兵士の供養塔で、1970年に58世住職・松倉招英と野戦自動車廠戦友会によって建立されました。

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「涅槃堂」 こちらも1970年に建立されました。上の境内図では納骨堂と書かれています。最近、この裏手が整備されてサツキ?が植えられているようです。

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境内図では桜苑と書かれていますが、入口付近の散策路の両側に台杉が植えられています。年々大きくなり立派な台杉林になりつつあります。春は枝垂桜が見事で、紅葉も美しい場所です。

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桜苑を抜けて、池の周囲を巡る散策路に戻ります。

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湯どうふの「西源院」 精進料理に豆腐を加えた「七草湯豆腐」が名物で、野菜を散りばめて目にも美しいそうです。豆腐は室町時代に中国から伝わり、もともとは僧の食物だったといわれます。塔頭の西源院の中にあります。

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池の周囲でも天龍寺の拝観料が必要ですが、湯豆腐を食べに来たといえば拝観料は払わなくてもよいという方もいます(私は確認していませんが)。入口の前に休憩所(藤棚)があり、池の東まで見通せます。

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池の南の散策路では、生垣の手入れをしていました。梅雨の間は、庭の植物の手入れの時期なのかも知れません。散策路のこの区間からは三つの塔頭が眺められます。

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大珠院の本堂 左に無名の中之島があり大珠院から島に渡れ、そこに建つ五輪塔は真田幸村の墓といわれています。 この右に霊光院があります(TOPの写真)。

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「水分石(みくまりいし)」 徳大寺の遺構で流れ込んできた池の水がここを境に東と西に分かれるとか。また、この石が水沈すると水門を開くなど、池の水かさを調整するのにも使われたたようです。亀が日向ぼっこをしています。

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いつも気になっているのですが、池の北東の隅に木船が繋いであります。大覚寺のように船が登場する儀式は聞いたことがないので、池の植物を手入れするためかも知れません。

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山門の近くに来ると、伏虎島、弁天島、大珠院の島(左端に少しだけ)の 三つの中の島が並んで見えます。

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コメント

塔頭は、もっとたくさんあったのですね。
有名な寺でも、時代とともに衰退していくものなのですね。
寂しいことです。
今からは、蓮に睡蓮に、
池が綺麗なシーズンになっていきますね。
夏の静けさが楽しみです。

投稿: munixyu | 2020年6月25日 (木) 16:34

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