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2020年5月11日 (月)

日向大神宮のシャガと藤原定家京極邸跡

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

シャガの咲く日向(ひむかい)大神宮です(過去の写真)。日向大神宮の境内は開放していますが、当面、社務所の受付(祈祷、御朱印、お守り授与等)を休止しています。

一の鳥居が京の七口の一つ・粟田口にあたります。このあたりには有名な茶屋があって、旅人や送り迎えの人々で賑わいました。日向大神宮は旅人の道中の安全祈願の神社として栄えました。

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「日向大神宮」の創建は古く、古墳時代の顕宗天皇(在位485-487)の時、筑紫の日向の高千穂の峰の神蹟を移したのが起こりといわれています。(参道石段は近所の方が植えた花で囲まれています。)

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その後、飛鳥時代に天智天皇(在位661-672)が神田を寄進して、神域の山を日ノ御山(ひのみやま)と名付けました。(石段を上り、琵琶湖疏水にかかる「大神宮橋」を渡ります。)

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橋の上から蹴上浄水場の取水施設、ここからも坂道の参道が続きます。

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平安時代、清和天皇(在位858-876)は日向宮の勅額を賜り、醍醐天皇(在位897-930)は「延喜の制」で当社を宮幣社に指定しました。

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建武の乱(1336年)のとき、新田義貞は戦勝を祈願して、良馬と太刀一身を奉納したそうです。(神社に近づくと、参道にシャガの花が目立ってきます。)

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室町時代、応仁の乱(1467-1477)の兵火で社殿ならびに古い記録は焼失してしまいましたが、松坂村の篤志家・松井藤左衛門によって仮宮が造営され、朝廷から修理料を賜り社殿が再興されました。

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「三の鳥居」は伊勢神宮を模した「神明鳥居」、右手は拝殿、左には社務所があります。三の鳥居の石段下の斜面を上ると、いくつかの摂社や菅原道真の旧跡などがありますが、数が多くて紹介しきれません。

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拝殿と外宮の間にある「猿田彦神社」と「花祭(かさい)神社」は、それぞれ猿田彦命と木花開耶姫(このはなさくやひめ)を祀ります。

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安土桃山時代から江戸初期にかけて、後陽成天皇(在位1586-1611)は、内宮、外宮の御宸筆の額を賜りました。下宮(下ノ本宮)、天津彦火瓊々杵尊(あまつひこほににぎのみこと)と天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を祀っています。

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さらに、慶長年間(1596-1615)には、徳川家康より神領が加増され社殿の改造が行われました。

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江戸時代を通じて、後水尾、中御門、後桃園、光格天皇や皇族の参拝や寄進が相次ぎ、朝廷の庇護を受けました。

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江戸時代中期(1787年)に刊行された『拾遺都名所図会』には、境内の様子が描かれています。(内宮への石段ですが、手前の坂道を上ります。)

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「伊勢大神宮遥拝所」への石段があります。ここから約10分上ったところにある遥拝所からは、かって伊勢神宮が見えたそうです。

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「三の鳥居」は伊勢神宮を模した「神明鳥居」、右手は拝殿、左には社務所があります。

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摂社の「恵美須神社」は山城国では初めて鎮座したもので、事代主神(ことしろぬしのかみ)を祀ります。相殿の天鈿女(あまのうずめ)神社は、天鈿女命と大山祇神(おおやまつみのかみ)を祀ります。

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左は御井(みい)神社で 水波能売神(みずはのめのかみ)を祀ります。ここには、神社創建前から湧き出る「朝日泉」があり、平安時代の疫病をこの水をもって鎮めた霊泉とされています。正月三が日に振る舞われます。

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内宮(上ノ本宮)には祭神の天照大御神(あまてらすおおみかみ)、多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)、市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)、多岐都比売命(たぎつひめのみこと)を祀ります。開運、厄除、縁結びのご利益があるとされています。

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京都市内では数少ない神明造本殿です。大棟に並行する面である「平」から出入りする「平入り」の神明造は、伊勢神宮に代表される最も古い神社建築様式とされています、京都市文化財。

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内宮の左にある「影向岩(ようごういわ)」、神様が降臨した神聖な岩だそうです。

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影向岩の横に天岩戸への石段があります。ここは京都一周トレイルのルートにもなっています。

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峠にあたるところに、「天岩戸」がありました。

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中には摂社の「戸隠神社(とがくしじんじゃ)」があり、天手力男命(あめのたぢからおのみこと)が祀られています。天岩戸に隠れた天照大神を引きずり出した、腕力・筋力を象徴する神です。

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ところで、今日の「気になったもの」は「此付近 藤原定家京極邸跡」の石碑です。寺町通の二条通上がるにあります。 藤原定家(1162-1241)の京極邸は平安京左京二条四坊十三町にありました。

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その邸地から、定家は京極中納言と称されました。九条家に出入りし良経(1169-1206)や慈円(1155-1225)と知り合いになり、後鳥羽上皇(1180-1239)に見出され、その歌風を大成させました。

定家は治承4(1180)から55年間に及ぶ日記『明月記』を残しました。その墨蹟も「定家風」と呼ばれ古筆として尊重されました。くしくも、石碑の前は墨屋の老舗「京都古梅園」です。

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「京都古梅園」 安土桃山時代の1577年創業以来造り続けている古梅園製御墨のほかに、筆・硯・紙の文房四宝を取り揃えています。石碑は京都古梅園の寄付です。平安京の東京極大路が現在の寺町通です。

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京極邸の住所「平安京左京二条四坊十三町」ですが、上の平安京の条坊図で赤の四角で囲ったところが左京二条四坊です。平安京は朱雀大路を中心に左京と右京に分けられ、東西、南北に走る大路によって囲まれたのが坊(下図)です。

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それぞれの坊には16の町があり、左京ならば上図のように名が付けられました(右京は左右に反転)。一つの町は一辺約120mの正方形で、さらに細かく四行八門(東西に四分割,南北に八分割)されました。(ここからに日向大神宮に戻ります。)

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四行八門が宅地の最小単位ですが、定家の京極邸は十三町のすべてを占めていたようです。京極邸では毎月歌会が催され、当時の歌人たちは歌会に招かれることが誇りになっていたそうです。

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日向大神宮は、「京の伊勢」として伊勢神宮の代参の人々でも賑わったそうです。

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一の鳥居の手前まで戻ってきました。向かいに蹴上浄水場のツツジが見えます。

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コメント

シャガの花は、
不思議な花ですよね。
独特の涼しさ、静けさと妖艶さを感じます。
来年のシャガの花。
楽しみにしています。

投稿: munixyu | 2020年5月11日 (月) 17:59

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