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2020年5月 2日 (土)

日照山法雲寺と乙訓寺の牡丹

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

例年ならば、4月末から5月初めにかけて乙訓寺の牡丹が見頃となります。今年はコロナウイルスとは別の理由で残念なことになりました(写真は過去のものです)。最後に、西賀茂にある法雲寺を紹介します。

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「乙訓寺」は、真言宗豊山派長谷寺の末寺で、乙訓地域で最も古い寺院です。この寺が牡丹寺とよばれるようになるまでの歴史を簡単に振り返ります。(境内の写真の説明はありません)

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乙訓寺は、広隆寺の創建(603年)とほぼ同じ頃、推古天皇の勅願で聖徳太子が創建したとされます。発掘調査でも、建物の設計には法隆寺と同じ高麗尺が使われていたそうです。

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遷都の翌年に建都の長官・藤原種継が暗殺される事件に関与したとされた早良(さわら)親王が淡路島に流罪となるまで幽閉された寺として知られています。

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平安時代初めに弘法大師が乙訓寺の別当(統括管理の僧官)に任命されました。同じ時に唐に留学して、早く帰国した最澄が訪ねてきて弘法大師から真言の法を教授されました。

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その後も最澄と空海の交流が続き、後に二人はそれぞれ真言宗と天台宗を確立して、乙訓寺での出会いが日本仏教に大きな変革をもたらしたことでも知られます。

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室町時代になると衰えますが、それでも十二坊あったとされます。しかし、内紛があり足利義満は僧徒を追放して、寺を南禅寺の伯英禅師に与えて乙訓寺は一時禅宗となりました。その後、織田信長の兵火で衰退しました。

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江戸時代になり、長谷寺で修学後江戸に出た僧・隆光は、将軍綱吉に厚く信任されて将軍の祈祷寺の江戸護持院住職となりました。隆光は乙訓寺を請い受けて自ら住職となりました。

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綱吉は寺領百石を寄進して徳川家の祈祷寺とし、諸大名・公卿の信仰も集まりました。隆光は乙訓寺を再び真言宗に改め、堂宇の再建、乙訓寺法度の制定など、寺の復興に尽力しました。 当時の寺域は八千二百余坪あったといいます。

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明治時代になると、神仏分離令後の廃仏棄釈、第二次世界大戦後の農地改革などで、乙訓寺は苦難の道をたどりました。

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さらに、昭和9年(1934)の室戸台風で、表門から本堂まで続いた松の並木のほとんどが倒れ、応仁の乱も生き延びたとされるモチノキ(市の天然記念物)も多大な損害を受けました。

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昭和15年長谷寺第68世能化(住職)の海雲全教和上が被害著しい境内を見て、参拝者にしばしの安らぎをと牡丹2株を寄進しました。長谷寺は牡丹の御寺として知られ、上述のように乙訓寺と所縁があります。

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その後、乙訓寺歴代住職らの尽力によって株数も年を追って増加し、今では約2000株の牡丹の花が境内を彩る「牡丹寺」として知られるようになりました。

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今年の4月16日に緊急事態宣言が全国に拡大され、京都府は新型コロナウィルスの感染対策を重点的に進める特定警戒都道府県に指定されました。

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これを受け、乙訓寺では御朱印並びに御守りの授与を、政府が示した期間である5月6日まで休止、5月7日以降については政府・自治体の発表をふまえ決定するとしました。

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また、例年4月中旬から5月初旬に行われる「乙訓寺・ぼたん祭り」も中止となりました。ただし、その理由は以下の様に暖冬のためです。

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今冬の異常な暖冬により、例年よりも1ヶ月以上早い2月末頃より膨らんだ蕾が、通常より長い期間、蕾の状態が続き、それらが順当に開花する確信が持てないこと。

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3月27日に、例年よりも2週間から20日程早く牡丹が開花し、牡丹の見頃が例年より大きくずれてしまう可能性が高いことが予想されました。

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牡丹が開花する際には大きなエネルギーを使い、牡丹の根株に大きな負担を掛けるそうです。

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日程が決まっているぼたん祭りに花が咲いている可能性がないので、木の養生を最優先として蕾は膨らんだ段階で切り落とすことにしたそうです。現在、境内には咲いている牡丹はないそうです。

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例年「乙訓寺・ぼたん祭り」の期間内に行なっていた「本堂内拝観」「小林静山先生の仏画展」「毘沙門天立像の特別無料拝観」等も中止となりました。

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今年は牡丹の養生の年として、来年にはさらに綺麗な花を咲かせるよう、努力してゆく所存だそうです。

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ところで、西賀茂の西芳寺から山への坂道を上る途中に浄土宗西山深草派に属する「日照山法雲寺」があります。

天正19年(1591)豊臣秀吉の母、大政所が帰依する長翁玉春上人によって、聚楽第近郊の四条大宮の地に創建。昭和58年(1983)現在地に移転しました。

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現在の本堂は東本願寺勅使御門建立の余材により明治34年(1901)に完成。境内の十一面観音菩薩石像は高さ10m、一刀彫りの石像としては日本一の高さを誇るそうです。

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洛陽地蔵菩薩霊場48ヶ所の内29番霊場、子養育地蔵尊を安置しています。本堂から眺める比叡山を始め、東山三十六峰は絶景だそうです。

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ご住職の小島淳祐氏は、京都橘大学健康科学部心理学科卒、京都文教大学大学院臨床心理学研究科博士前期課程修了で、一時不動産業に従事していましたが、法雲寺に戻り現在に至ります。

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傾聴僧の会、日本スピリチュアルケア学会に所属し、スピリチュアル・ケア師でもあります。

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コメント

花の開花時期をイベント期間に合わせるのは、
難しいことですよね。
牡丹は特に難しい花なので、
牡丹にイベント期間を合わせたほうがいいのかもしれませんね。

投稿: munixyu | 2020年5月 2日 (土) 13:50

★munixyuさん こんばんは♪
おっしゃる通りですね。ある程度は幅を持たせてイベントを決めているのでしょうが、今年の暖冬は予想外なのかも知れませんね。

投稿: りせ | 2020年5月 8日 (金) 23:52

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