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2020年5月 7日 (木)

松原道祖神社と妙満寺のツツジ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

現在外出自粛中です。季節が感じられる写真(過去記事からの抜粋)と、街中を歩いて「気になったもの」を紹介しています。最初に岩倉にある妙満寺の歴史を少し。

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「妙満寺」は山号を妙塔山という顕本(けんぽん)法華宗総本山です。かっての日蓮宗京都16本山の一つでもありました。現在では境内にある約3,000本のツツジの名所でもあります。

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妙満寺を創建した日什(にちじゅう)上人はもとは天台宗で名を玄妙といい、比叡山三千の学頭にまでなった人でした。故郷の会津で日蓮上人の教えに触れると、67才という高齢にもかかわらず宗を改め日什と名乗り、日蓮門下に入りました。

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日什は日蓮上人の遺志である帝都弘通(ていとぐつう、京都での布教)のために、老体をかえりみず都に上りました。そして、後円融天皇に上奏して、二位僧都の位と「洛中弘法の綸旨」(布教の許可)を賜りました。

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室町時代前期の1389年、日什は六条坊門室町(現在の烏丸五条あたり)に妙満寺を創建し、根本道場としました。(山門から本堂への参道)

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その後、応仁の乱など幾度か兵火に遭い、そのつど洛中に寺域を移して再建されました。1536年に比叡山の僧徒による焼き討ちで二十一坊の大伽藍を類焼し(天文法華の乱)、一時は堺に逃れて1542年に元の地に復興したという苦難の時代がありました。「方丈」

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安土桃山時代の1583年秀吉によって寺町二条に移され、以後400年にわたり「寺町二条の妙満寺」と親しまれてきました。そのときの境内北にあった「中川の井」の井筒、その井戸は能阿弥が定めた「京都七名水」のひとつでした。

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その後、近代になって都市化が進み、日毎に増す喧騒と環境悪化を避けるため、昭和43年(1968)に「昭和の大遷堂」を挙行し、現在の岩倉の地に移りました。

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本坊の前に、俳諧(俳句)の祖といわれる松永貞徳(1571~1663)が作庭した枯山水の庭があります(この日は時間が遅く入っていません)。

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この庭は「雪の庭」とよばれ、当初は塔頭・成就院の庭園で、成就院「雪月花の三名園」のひとつでした。他は、清水寺・成就院の「月の庭」、北野にあったとされる成就院の「花の庭」です。

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「本堂」 本尊の釈迦多宝仏を祀っています。

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本堂前にある「仏舎利大塔」は、昭和48年(1973)妙満寺の信仰を象徴するものとしてインド・ブッダガヤ大塔を模して建立されました。全国檀信徒の納骨室にもなっていて、最上階には当寺に古くから伝わる仏舎利をおさめています。

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方丈と本堂を渡り廊下が結び、その向うの墓地には江戸時代の俳人・柏原瓦全、呉服の老舗「千切屋(ちきりや)」一門、劇作家・花登筐、俳優・山城新伍の墓があります。

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妙満寺では、現在拝観・各種寺務を休止しています。(山門の右手に回ります。)

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新型コロナウイルスの感染拡大により、4月18日(土)~5月10日(日)の期間、拝観を一時休止、回向・祈願の参詣申し込み、施設の利用や朱印受付・売店窓口も休止しています。

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電話・ファックスでの各種申し込み・問い合わせは、通常通り受け付けています。お墓や仏舎利塔霊壇への参詣も自粛して欲しいとのことです。5月11日(月)以降については、改めてHPでお知らせするそうです。

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ところで、今日の気になったものは松原通から新町通を下がったところにある道祖神社です。京都駅近くにも道祖神社があり、こちらは正式名称を「松原道祖神社」といいます。

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創建時期は不明ですが、平安遷都(794年)以前からこの地に鎮座して、道の神・塞(さい)の神として崇められました。 「塞」は、道を塞(ふさ)いで守りを固めた場所、とりで等を意味します。

松原通は平安京では五条大路にあたり、道祖神社は「五条の道祖神」「首途(かどで)の社」とも呼ばれていました。五条大路は清水寺や平家の拠点・六波羅へ続く東西のメインストリートでした。

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祭神として猿田彦命(さるたひこのみこと)と天鈿女命 (あめのうずめのみこと)を祀り、縁結び、夫婦円満、交通安全にご利益があるとされます。

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猿田彦命は天孫降臨の道案内をした神、天鈿女命は天岩戸の前で踊った女神として知られますが、仲の良い夫婦でもありました。

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『宇治拾遺物語』に「道命阿闍利、和泉式部の許で読経し、五条の道祖神が聴聞した事」というちょっと色っぽい物語があります。藤原大納言道綱の子の道命阿闍利は、好色な僧でしたが読経は名手でした。

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和泉式部と睦み合う仲になり、ある日式部の家で夜に目が覚めました。読経をして夜明けを迎えると、人の気配がします。尋ねると、五条西洞院の辺りに住む翁で、経を聞いて感動したと答えました。

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何故かと尋ねると、普段は身を清めてから経を読まれるので梵天様や帝釈天様が聴いていて近寄り難いのですが、今宵は不浄のままだったので聞くことができて感動したと答えたそうです。

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何がいいたい物語か分かりませんが、翁(道祖神)はずっと聞き耳を立てていて、見つかったので皮肉をいったのかも知れません。

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松原道祖神社は、戦前は付近の民家に祀られていましたが、戦後に地元住民により現地に遷され、薮下町と富永町の有志により管理されているそうです。(最後は妙満寺に戻ります。)

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山門は比叡山が見える額縁門になっています。

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コメント

読経の上手いぼんさんっていますよね。
僕の母のおばちゃんのお墓のぼんさんの読経も、いい読経です。
成仏できそうな読経だなぁと、いつも思っています。

投稿: munixyu | 2020年5月 7日 (木) 16:51

★munixyuさん こんばんは♪
最近ではカセットテープ(CD?)でお経を流すお坊さんもいるそうですね。

投稿: りせ | 2020年5月 9日 (土) 00:01

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