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2020年5月20日 (水)

勧修寺 睡蓮と花菖蒲と道標たち

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

少し時期は早いかも知れませんが、今日は勧修寺の花菖蒲と睡蓮です(過去の写真)。勧修寺の拝観が再開されときには見頃かも知れません。上の山門を入って左の中門(下)が庭園の拝観入口です。

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「勧修寺(かじゅうじ)」は、山号を亀甲山という真言宗山階(やましな)派の大本山で、山科・来栖野(くるすの)にあります。

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平安時代前期の900年、醍醐天皇が生母の藤原胤子(いんし)追善のために、東大寺の承俊律師を開山に迎えて創建したのが始まりです。(宸殿と書院の横を抜けて本堂に行きます。)

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「本堂」(市指定文化財)は、江戸時代に霊元天皇の仮内侍所を移築したもので、醍醐天皇の等身大といわれる千手観音立像を安置しています。左に半夏生(はんげしょう)の苗があります。

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寺名は、醍醐天皇の祖父・藤原高藤(たかふじ)の諡号からとったものです。

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「氷室(ひむろ)池」の前の芝生に来ました。ここは、「勧修寺氷室園」といい、池を中心とした池泉回遊式庭園で京都市指定名勝になっています。この庭園は平安時代の遺構とされ、京都では最も古い形式だそうです。

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中央の高い木は「千年杉」と呼ばれ、京都の庭園中最も高い杉だそうです。水鳥がとまると狩野探幽の絵のようだと看板に書いてありました。杉は中の島にあり、アオサギの巣があります。

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池の名となっている「氷室」とは、冬に得られた氷や雪を貯蔵する施設のことで、宮中では夏に食品の貯蔵や氷菓子として毎日多量の氷を消費したそうです。

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鎌倉時代に後伏見天皇の第7皇子の寛胤(かんいん)法親王が15世住持となり、それ以来近代まで門跡寺院となりました。池のほとりに花菖蒲が咲いています。

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平安時代中期の『延喜式』には、都の周辺に10ヶ所の氷室が記載されていて、その中に栗栖野氷室という名があります。(池には3つの中の島があります。)

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このあたりも栗栖野と呼ばれていますが、氷室があるのは鷹峯の近くの栗栖野にです。

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しかし、平安時代にはこちらも寒かったようで、池に張った氷を1月2日に宮中に献上して、その厚さによって五穀豊穣を占ったといわれています。

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向うの「観音堂」は昭和に建てられたものです。

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美しい観音菩薩像を祀っています。

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池には睡蓮咲いています。

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新型コロナウイルスに関して、京都府は独自の判断基準に基づいて段階的に自粛要請の緩和を行うことを決め、5月16日からは商業施設やホテル、旅館、劇場、図書館などの休業要請が解除されました。

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勧修寺は4月18日から当面の間、拝観休止となっています(5月6日延長から延長)。どのタイミングで拝観が再開されるか分かりませんが、そう遠くはないと思われます。

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ところで、今日の「気になったもの」は勧修寺の門前にあります。

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お堂があって、その横にいくつもの石標(道標)があります。

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お堂の前の「法華千部会(せんぶえ)」は、多数の僧侶が法華経一部(8巻28品)を省略せずに読経する法会だそうで、最後の字が埋もれています。

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勧修寺では、かって宮中の儀式に準じたという「法華八講」が開かれていたそうです。法華経8巻を8座に分け、1日に朝夕2座講じ、4日間で完了する法会で、上の石碑と関係があるのかも知れません。

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一番右の石標は、こちらの南面は「右   醍醐 大津方面」という道標です。東(右)面には 「右   坂上田村麻呂公墓・山科滑石方面 左   深草・小栗栖方面」とあります。

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中央は大石蔵之助旧跡を示す道標で、「北江すぐ 大石蔵(之助旧跡)・并四拾七(人位碑)」と彫ってあるようです(括弧の中は埋没)。大石蔵之助旧跡は大石神社のことです。

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一番奥(左)は京道・滑石越・大仏道への道標です。「南  右大津   是より一丁北西エ(行)・ 左京道   すべり石越大仏(道) 」とあります。滑石越は滑石街道(山科街道)、大仏道は當麻寺への道のことです。

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地図を見ると、この場所は府道35号大津淀線(大津街道)、府道118号勧修寺新熊野戦(滑石街道)の交点になっていて、道標はそれぞれの方角の行先を示しています。

一番奥に「愛宕常夜燈」とありますが、燈篭は見当たりません。愛宕常夜燈は火除けの愛宕信仰と結びついて、かっては夜道を照らすために街道筋に設置されたそうです。

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勧修寺の氷室池に戻ります。

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コメント

あと、もう少しですね。
ゆっくりといろいろ再開されればいいですよね。
緊急事態宣言は明日解除判断でしたね。
どうなるのか、注目です。

投稿: munixyu | 2020年5月20日 (水) 19:47

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