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2020年5月25日 (月)

東福寺通天橋と杢兵衛

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

季節の写真は昨日の続きで、東福寺の通天橋です。現在のところ通天橋と本坊庭園の拝観は休止していますが、近々再開されると思われます。「橋廊」

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「通天橋」から本坊、以下の写真の詳しい説明はありません。

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昨日の「臥雲橋」が見え、下の峡谷は「洗玉澗(せんぎょくかん)」。

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通天橋は、深い渓谷で分断されている堂宇を繋ぐために建造されました。

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途中にある見晴らし台、記念撮影のスポットです。

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橋廊の最後は石段となって開山堂・普門院の山門に至ります(TOPの写真)。

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山門を入った正面は「開山堂」(重文、府指定文化財)

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途中に睡蓮の池があり、周囲にサツキが植えられています。

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西には「普門院」 開山・円爾弁円(えんにべんえん)の住居でした。

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開山堂の前から振り返って。

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「普門院の庭園」は重森三玲により修復され、西(手前)は白砂による市松模様砂紋の枯山水庭園、東(奥)は小池と築山の庭園となっています。

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ところで、今日の「気になったもの」は花見小路の料亭・杢兵衛(もくべえ)の前にある「四条小橋」と彫ってある石柱です。いままで、道しるべと思っていたのですが違っていました。

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「杢兵衛」は昭和3年(1928)大阪で開業した懐石料理のお店が始まりです。店名は、もともと材木商だった初代が、木の杢目(もくめ)にちなんで名付けたそうです。

その後、京都の下鴨、木屋町と移転を重ねて、昭和39年(1964)現在の花見小路通の祇園甲部歌舞練場前に落ち着きました。四季折々の魚介、野菜、果物の旬の食材の旨味や香りを生かした京料理を頂けます。

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店内には、骨董や美術品などに造詣の深かった初代が集めた、巨大な清水焼の土瓶や有名な画家の絵などもあり、お料理と共に楽しむことができます。

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実は、明治8年(1875)の四条小橋の架け替えで不要になった親柱を市が競売に出し、初代が購入したのが上の石柱でした。 下は当時の四条小橋の絵葉書で、親柱が見えます(現在は下が埋まっています)。

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今まで疑問に思っていませんでしたが、確かに道しるべにしては遠すぎるし、その手前に四条大橋があります。

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東福寺に戻って、山門横の庭園は池泉観賞式です。

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コメント

道しるべではなく、
四条小橋の架け替えで不要になった親柱
だったのですね。
初代のコレクションが玄関に置いてあると。
これは面白いですね。

投稿: munixyu | 2020年5月25日 (月) 15:22

★munixyuさん こんばんは♪
かってお店が木屋町にあったので、橋の親柱はその記念でもあるようです。

投稿: りせ | 2020年5月29日 (金) 01:02

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