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2020年5月 4日 (月)

馬が走る! 流鏑馬・競馬・駆馬

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

例年ならば、5月3日に下鴨神社の流鏑馬、5日に上賀茂神社の賀茂競馬と藤森神社の駆馬神事が行われるはずでした。残念ながら、今年はいずれも見物客の前で馬が走る儀式は中止となりました。

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今日は過去に行われた三つの神事のハイライトを紹介して、来年を楽しみにしたいと思います。最初の「下鴨神社の流鏑馬神事」は、葵祭が平穏無事に行われるように沿道を祓い清める神事です。

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馬場元(南)から公家装束の3名の射手が登場し、約400mの馬場に100m間隔に設けられた3つの的を馬上から鏑矢で狙います。公家装束で騎乗して的を射ることを「騎射」というそうです。

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かって近衛府の大将が長官となり下鴨神社で行われた騎射を、作法や装束などを古式にのっとって復元したもので、下鴨神社だけで行われる事となっています。二の射手は衣の色が違い、身分の違いだそうです。

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このあと武家の狩装束の2名が続きます。厳密にはここからが「流鏑馬」で、小笠原流や奉仕の人々による奉納行事です。下は女性の方で、後には大学生、高校生の射手も登場しました。

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五の射手が終わると、射手たちは馬に乗って馬場元に戻ります。一の的と二の的の間には「馬場殿」という建物(現在はテント)があり、長官代、馬寮頭代、宮司以下の神職らが控えています。

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騎射の射手はここで長官代(近衛府大将)から神禄 (たすき)を賜り、手を触れず鞭をつかって肩にかけます。神禄を頂いた騎射の射手は、馬上拝舞(はいぶ)を行って喜びを表します。

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以後は、5人の射手が一組となって流鏑馬を行います。これを4回繰り返しました。それぞれ射手は違うようです。

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流鏑馬の射手の装束は、立烏帽子、綾藺笠を被り、鎧直垂に射籠手を着け、夏鹿毛の行騰・太刀を履き、箙を負い弓矢を持ちます。この服装はあげ装束ともいわれ、鎌倉時代の武士の狩装束だそうです。

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各々の的には、的役、矢執り、采揚げ、的持ちがいて、「下鴨神社青年団」と、ボーイスカウト、ガールスカウトの皆さんがボランティアで務めます。矢が当たった的は、縁起物として流鏑馬の後に授与されます。

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次は、「上賀茂神社の賀茂競馬(かもくらべうま)」です。かっては宮中の武徳殿で5月5日に催され、天下泰平・五穀豊穣の祈願をする儀式でした。最初に「警固衆」(小学生の皆さん)が埒(らち、馬場)を巡回して安全を確かめます。

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平安時代の堀河天皇の時代1093年に儀式が上賀茂神社に移され、その競馬料所(競馬に関する費用等を負担する領地)として、19国20箇所の荘園が寄進されたことが賀茂競馬の始まりです。乗尻(騎手)が祭神が遷された頓宮にお参りします。

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第一の番は「九折南下」といって、ジグザグに9回折れ曲がって南(出発地点)に戻り、それを数回繰り返します。かっては野生馬など競馬に慣れていない馬を走らせたので、馬を馴らしたり性格を知る必要があったそうです。

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最初に、出発地にある「馬出しの桜」から先馬(さきうま)が走り、その一馬身後に追馬(おいうま)が出ます。第一の番は左方が先馬と決まっています。

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「見返りの桐」で先馬の乗尻が後ろを振り返り、着いてこれるか!という仕草をします。勝敗はこの一馬身差が「勝負の楓」を通過した時点で広がったか狭まったかで決めます。

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対して、追馬の乗尻が、待てー!という仕草をします。第一の番は左方が必ず勝つようになっているそうです。その理由は、京都所司代が奉納した馬が走ったとき、その馬に勝つわけにはいかなかったという逸話からだそうです。

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左の高い梯子の上に乗っている「左方後見」が勝敗の判定して、右の小屋にいる左方念人に伝え、左方の扶持(ふじ)が勝者の色の赤か青(黒)の扇を上げます。

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第二の番からは真剣勝負です。両者がほとんど並んでやってきました。

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見返りの桐の先に「鞭打ちの桜」があるのですが、お構いなしにどこでも鞭が入ります。ほとんど互角だと思っていたら、「持(じ)」(引き分け)でした。

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第三の番は、右方が先馬で、左方が追い上げて、左方の勝となりました。

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乗尻は自分の方の念人の所に行き結果を聞きます。すると、「お勝ちでござる」あるいは「お負けでござる」といわれます。勝った場合は、禄として白い布を貰い鞭で受け取り、誇らし気に頭上高く振り回します。

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以下同様ですが、最後の第六の番は第一の番と同様に九折南下を何回も繰り返します。かっては、十番もあり、全てが同じように九折南下をしていたので、陽が暮れて灯りの下で走ったそうです。

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最後は右方が出だしのリードを広げて勝ち、この年は左方が3勝2敗1分となりました。左方が勝った年は、豊作となるなど縁起がよいそうです。もともと1勝のハンデがあるので、左方が勝つ確率は高くなっています。

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最後は「藤森神社の駆馬神事」です。藤森(ふじのもり)神社は菖蒲の節句」発祥の神社として知られ、菖蒲が勝負に通じ「駈馬神事」が行われることから、「勝運と馬の神社」として信仰が厚く、競馬関係者(馬主・騎手等)の参拝者でもにぎわっております。

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駈馬神事の初めに、時代行列(室町・江戸)と現在乗馬装束の子供行列が行われた後に、馬場のお払いがあります。

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駈馬神事は、早良親王が天応元年(781)に陸奥の反乱に対し、征討将軍の勅を受けて藤森神社に祈誓出陣された際の擬勢を象ったものとされます。「一字書き」、前線より後方へ情報を送りながら駈ける技

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室町時代には衛門府出仕武官により、江戸時代には伏見奉行所の衛士警護の武士や、各藩の馬術指南役、町衆らが技を競いあいました。「藤下がり」、敵矢に当たったと見せて駈ける技です。

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早馬ではなく、大陸系の曲芸的な馬術の影響を受けたものと思われています。明治より藤森神社の氏子に引継がれ、毎年5月5日の藤森祭(深草祭)に駈馬神事として奉納されています。「横乗り」 敵に姿を隠して駈ける技です。

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「逆乗り」(地藏)  敵の動静を見ながら駈ける技です。

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「逆立ち」(杉立ち)   敵をあざけりながら駈ける技

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「矢払い」(蜘払い)敵矢を打払いながら駈ける技

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「手綱潜り」  敵矢の降りしきる中を駈ける技

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アニメーションです。

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下鴨神社の流鏑馬の後の記念撮影、前列中央は騎射の3名です。

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コメント

季節の移り変わりは、早いものですよね。
もうこんな時期に。
ウイルスが来ようと季節は、進んでいく。
なんか、人だけが取り残されたような気がしてしまいますよね。

投稿: munixyu | 2020年5月 4日 (月) 17:59

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