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2020年5月13日 (水)

宇治の花の寺と本阿弥光悦京屋敷跡

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

平等院と宇治川をはさんだ位置に恵心院があります。四季を通じて様々な花が咲き「花の寺」とも呼ばれています。以下は過去の記事からの抜粋で、最後に街でみかけて気になったものを紹介します。

「恵心(えしん)院」は、山号を朝日山という真言宗智山派の寺院です。

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平安時代初期の821年、真言宗開祖の弘法大師・空海(774-835)によって開かれたといわれています。唐の青龍寺に似ていることから、当初は龍泉寺と呼ばれていたそうです。参道の正面に弘法大師像が祀られていて、ここから右に少し上ると表門があります。

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平安時代中期の1005年頃、比叡山横川の恵心僧都・源信(942-1017)によって説法道場として再興され、恵心院と名を改めました。かっての表門は黄檗様式でしたが、明治初めに現在のような切妻造、一重の形になりました。

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恵心僧都による中興後、藤原氏の庇護を受けて、塔頭・2院を有するなど栄えたといわれています。

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安土桃山時代には豊臣秀吉の援助を受け、その頃黄檗様式の表門と本堂が建てられたといわれています。

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江戸時代になると徳川家康の援助で伽藍が整備されました。以後徳川家の庇護を受け、1676年には現在の本堂が建てられました。本堂には、本尊の平安時代後期作・木造十一面観音立像(宇治市指定文化財)、自刻とされる72歳の「源信像」を安置しています。

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竹千代(後の3代将軍家光)の乳母・春日局(1579-1643)が、その安産祈願のために当寺に祈願したという記録があるそうです。下は寺務所

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「白龍大神社」 境内の西にあります。

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また、恵心院は江戸時代を通じて宇治茶師・上林家からも援助を受けました。家康は、上林家を宇治代官、茶頭取を任命じて、宇治茶業を管轄しました。

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「水子地蔵尊」

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作家・稲垣足穂が結婚後の1951年から、恵心院別棟で10年間暮らしたことが知られています。稲垣足穂は、関西学院卒業後、一時神戸で飛行機製作に携わりましたが、後に上京して、第1回未来派美術展に『月の散文詩』で入選しましたがその後文壇から離れます。

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三島由紀夫の後押しで1968年に『少年愛の美学』で第1回日本文学大賞を受賞、翌年『稲垣足穂大全』(全6巻)を刊行しました。

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ところで、恵心院を中興した恵心僧都は、『源氏物語』の宇治十帖に登場する「横川の僧都」のモデルといわれています。本堂の横に枯川のある小さな庭があります。

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源氏亡き後、宇治十帖では当代随一の美男子といわれた次男の薫が主人公です。宇治の八の宮を訪れたとき、その三女・浮舟と出会いめとります。しかし、その後宇治に帰ってこない日々が続きます。

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薫に対抗する美男子と噂される匂宮は、京で見かけた浮舟が忘れられず、宇治の屋敷を訪れ、薫と偽って無理やり契りを結びます。浮舟は薫を受け入れて逢瀬を重ねますが、道ならぬ関係に悩んで宇治川に身を投げます。

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それでも死にきれない浮舟を助けて、その願いを聞いて出家させたのが横川の僧都です。(中央は、「三春滝桜」で福島県三春町にある樹齢千年の天然記念物の紅枝垂桜の子木だそうです。)

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ところで、今日の「気になったもの」は白峯神宮の東にある「本阿弥光悦京屋敷跡」の石碑です。

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この地は足利時代初期から刀剣の三事、すなわち、砥、拭い、目利きで、世間の評判を集めた本阿弥家代々の屋敷跡です。現在でも「本阿弥辻子」、「本阿弥町」などに名が残っています。

光悦はその家業三事において達人とされましたが、「寛永の三筆」に位置づけられる書家としての名声も高く、陶芸、漆芸、出版、茶の湯などにも才能を発揮した多彩な芸術家として知られています。

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元和元年(1615)、58歳の光悦は徳川家康から鷹峯の地を拝領し、一族や町衆、職人など法華宗の仲間を率いて移住し、一大芸術村を築きました。光悦は80歳で没し、その屋敷は日蓮宗の「光悦寺」となり墓もあります。

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俵屋宗達、尾形光琳とともに、琳派の創始者として、後世の文化・芸術に大きな影響を与えました。ここからもう一度恵心院に戻ります。

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実際の恵心僧都源信は比叡山横川地域を拠点に浄土教を研究。その主著『往生要集』は、後に比叡山で学んだ浄土宗・宗祖法然、浄土真宗・宗祖親鸞に大きな影響を与えました。(庭にはベンチが何か所かおかれています。)

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一方で、鎌倉時代や室町時代には、延暦寺は法然の墓や当時の大谷本願寺を破壊するなどした歴史がありました。

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2017年2月17日に、知恩院の法然上人御堂で、森川宏映天台座主を導師として、恵心僧都源信千年忌法要が行われました。また、昨年5月には延暦寺根本中堂で、伊藤唯眞・総本山知恩院門跡が浄土宗としての法要を行いました。

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同じように、西本願寺と延暦寺も共同で源信千年忌法要を行いました。これらのことは画期的なことだそうで、千年の時を経て恵心僧都源信は対立していた宗派が融和するきっかけをつくったといえます。

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