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2020年5月17日 (日)

新緑の比叡山と蒲生君平

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日は八瀬から比叡山のつつじヶ丘まで登ります(過去の写真)。最後に、昨日の続きで平安神宮北の石碑にある蒲生君平を紹介します。下は叡電の八瀬駅。

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高野川を渡ります。

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この日はケーブルカーで登る方が多くて、「ケーブル八瀬駅」には行列が。

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「叡山ケーブル」は緑のトンネルの中を上ります。

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上りと下りの車両がつるべのように繋がっているので、中間地点ですれ違います。

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次第に視界が開けてきて、宝ヶ池方面がよく見えます。約9分で上の「ケーブル比叡駅」に到着。

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ケーブルカーを降りて「叡山ロープウェイ」に乗り換えます。ケーブルカーとともに京福電鉄の路線です。

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上の方では山桜が咲いていました。約3分で「比叡山頂駅」に到着。

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比叡山頂には京都のテレビ各局の中継局(アンテナ)があります。生駒山の送信所からの電波の受信障害を解消するため、平成22年(2010)から運用されています。

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山頂にある「ガーデンミュージアム比叡」の塀に沿っていけば延暦寺へのシャトルバスがある比叡山頂(バス停)に行けます。いつものように、坂本ケーブル、延暦寺の東塔・西塔の方面に行く山道を行きます。

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少し下ったところに、石仏が並んだ、見晴らしの良い台地があります。

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下の町は大原方面。

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比良山方面。

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まだ山桜が咲いていました。

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台地の前にはケーブル叡山駅から、今から行く東塔・西塔方面への道が通っています。少しケーブル叡山駅の方に戻ると、「つつじヶ丘」があります。つつじの群生地ですが、まだ一部しか開花していませんでした。

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ここからは、昨日の続きで「小沢蘆庵邸宅跡」の横に「蒲生君平仮寓跡」という石碑があります。蒲生君平(1768-1813)は江戸時代後期の儒学者で、天皇陵を踏査して『山陵志』を著したことで知られます。

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下野国宇都宮に生まれ、父は油屋と農業を営む町人・福田又右衛門正栄です。祖母から武士・蒲生氏郷の子孫だと聞かされましたが、今は町人の子でどうにもならず、学問で身を立てる決意をしたといいます。

6歳の頃延命院住職・良快和尚により四書五経などを学び、14歳の時鹿沼の儒者鈴木石橋の麗澤舎に入塾、毎日鹿沼まで3里の道を往復して国史・古典を学び、勤皇思想に傾倒しました。

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水戸に往来して勤王の志士藤田幽谷の影響を受けました。寛政7年(1795)ロシア軍艦の出現を聞き、北辺防備の薄さを憂えて『不恤緯(ふじゅつい)』を著し、幕府に献上しましたが警戒されて閑居になりました。

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天皇陵の位置が不明確で、荒廃していることを嘆き、調査の上で陵墓を特定することを目指して『山陵志』の執筆にとりかかりました。水戸藩編纂の『大日本史』に附随することを意図していたといいます。(堺市の仁徳天皇稜)

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寛政8年(1796)と同12年、調査のため畿内を訪れ、2度目に滞在したのが小沢蘆庵の邸宅です。古代の天皇陵(古墳)については、文献、実地踏査、地元の伝承を考慮して、被葬者の突き合わせをしていきました。(下は、卑弥呼の墓ともいわれる桜井市の箸墓古墳)

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君平が比定した墳墓の多くが、後に天皇陵として宮内省の管理下に置かれました。上の写真のような古墳は、天皇の宮車(霊柩車)を模ったと考え、進行方向から「前方後円」と表現しました。

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君平は極貧の中46歳で死去し、江戸谷中の臨江寺に葬られました(下)。生前出版できなかった著作群は、後に多くの学者によって世に出され、幕末期の尊王運動に影響を与えました。

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明治2年(1869)明治天皇の勅命により君平の功績を顕彰する勅旌碑(ちょくせいひ、下)が宇都宮と臨江寺に建てられ、明治14年(1881)には正四位が贈位されました。

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現在では、円形部分は墳墓、方形部分は祭祀場と考えられ、「前後」の区別は適切でないという意見もありました。しかし、蒲生君平の業績から、前方後円墳の名称をそのまま使用することになりました。

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比叡山にもどって

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コメント

蒲生君平は、
前方後円墳の由来のような人物だったのですね。
歴史の細かい面白さを感じます。

投稿: munixyu | 2020年5月17日 (日) 18:57

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