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2020年4月30日 (木)

長岡天満宮と八坂神社の神賑水列

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

現在外出自粛中で、以下の長岡天満宮の写真は過去のものです。毎年4月末には長岡天満宮の霧島ツツジが見頃となります。正面大鳥居は総御影石製で、平成14年の菅公御神忌1100年大萬燈祭を記念して奉納されました。

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参道は「八条が池」の真ん中を横切る中堤を通り、その両側に霧島ツツジが咲いています(今年は4月25日頃に見頃となったそうです)。樹齢は推定150年程度、樹高が3m近くもあり、長岡京市の天然記念物です。

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ただし、長岡天満宮では新型コロナウイルス感染拡大のため「今年はお越しいただかないように」とお願いしています。写真ではとりあえず本殿にお参りします。途中から料亭の「錦水亭」が見えます。

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平安時代、ここは菅原道真の領地で、風光明媚な土地として知られていました。道真は在原業平らと共に詩歌管弦を楽しむなど、何度もここを訪れました。

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彼が太宰府へ左遷される際にお供をした3人が別れ際に戴いた道真自作の木像をご神体として祀ったのが、長岡天満宮の始まりとされます。道真はこの地で、都を振り返って名残を惜しんだことから 「見返り天神」とも呼ばれています。

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室町時代にはすでに社殿が建てられていたようで、応仁の乱(1467-77)で焼失しましたが、1498年に再建されました。

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安土桃山時代の慶長の大地震(1596)で社殿が倒壊しましたが、1598年には再建されています。 江戸時代前期の1623年、境内が八条宮智仁親王の家領となり、以後八条宮(桂宮)家によって社殿が造営・管理されてきました。

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現在の本殿は昭和16年に平安神宮の社殿を拝領移築したもので、三間社流れ造りの素木で端正な姿をしています。拝殿は平成10年に既存の素木の拝殿を朱塗りにし増改築したものです。

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拝殿前にある「紅梅殿」は道真のかっての屋敷の名前です。ここからもう一度、八条が池に戻ります。

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八条が池のほとりに、創業明治14年のたけのこ料理の老舗「錦水亭」があります。この季節でしか味わえない、柔らかいたけのこの会席料理が名物です。

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新型コロナウイルスのため、今年は4月18日 ~ 4月30日の期間は短時間営業(新規予約・予約なしは 14:30まで)、5月1日 ~ 5月31日の期間は臨時休業です。6月1日から再開予定ですが、休業延長の可能性もあります。休業期間中は佃煮の販売もありません。

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この八条が池は、 江戸時代前期の寛永15年(1638)に当時の領主・八条宮が築造した灌漑用の溜め池です。外周約1㎞、貯水量約35,000トンで、南北に細長い形をしています。池の南西の畔

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八条宮家は八条宮智仁親王(1579-1629)が始まりで、江戸時代末まで続いた宮家です。その創始には豊臣秀吉の天下取りが関わっています。

智仁親王は正親町天皇の孫で、豊臣秀吉の養子となり、関白職を約束されていました。しかし秀吉に実子・鶴松が生まれたために解約され、秀吉の勧めによって八条宮家を創設したのです。中堤を渡って南東にきました。

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彼は学問文芸に秀で、幼いときから和歌と連歌に堪能でした。細川幽斎から二条派歌学を学び、後にしばしば歌会を催して、後進の歌人の育成にも尽力しました。八重桜が咲いています。

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智仁親王は造庭の才にも優れ、元和初年(1615)頃から家領の下桂村に別業(別邸)の造営を始めました。この別業が現在の桂離宮で、八条通の沿線上にあったことから、八条宮と称されました。八条宮は後に桂宮と呼ばれます。

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別業の造営は智仁親王の死後も続き、半世紀にわたって行われました。長い間桂離宮を訪れていません。

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もう一度中堤を渡って、池の北西に行きます。

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北西部の池の中に木道があります。

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中堤と中ノ島は総檜造りの水上橋で結ばれ、「八条が池ふれあい回遊のみち」と呼ばれています。

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回遊のみちの途中に休憩所「六角舎」があります。

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ところで、今年の2月6日知恩院に行く途中に「八坂神社 神賑水」というのぼりを持った行列が出発するところに出会いました。

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八坂神社本殿下に今も湧出する御神水を特別に祈願して、下賜された霊験あらたかな神賑水(しんしんすい)を運ぶ列でした。神賑(かみにぎわい)は神事と対を成す神社の行事のことだそうです。

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翌日(2月8日)には漢字ミュージアム裏のふれあいサロンで「祇園大茶会」が行われ、芸舞妓さんらのお点前・お運びがあり、副席の「数寄々々茶席」が漢字ミュージアム玄関広場で開かれました。

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祇園商店街の協賛店ではこの神賑水を使った特別メニューが提供され、前日「神賑水」を協賛店に配る「神賑水列」が四条通を巡行します。この行列が八坂神社を出発するところでした。

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この時は神官や商店街の多くの方がマスクをしていましたが、無事に祇園大茶会は開催されたようです。

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広大な八条が池は、八条宮家が力を注いできた別業の造園技術が生かされたものだと考えられています。

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池の北端まで来ました。

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コメント

過去の写真を見て思うのは、
平和の有難みです。
今ももちろん平和なのですが、
ウイルスによる緊急事態宣言下は、
平和とは言いきれませんよね。
のどかな去年が懐かしいですよね。

投稿: munixyu | 2020年4月30日 (木) 16:15

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