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2020年4月 3日 (金)

醍醐寺 春の伽藍

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

醍醐寺の三宝院と霊宝館を拝観した後、最後に伽藍のある下醍醐を訪れました。「西大門」(仁王門)は、豊臣秀頼が金堂の再建の後、慶長10年(1605)に再建したものです。

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安置されている仁王像(重文)は、平安後期の長承3年(1134)に仏師勢増・仁増によって造立され、もとは南大門に祀られていた尊像です。体内の墨書、納札等に南大門から移された経緯などが記されています。

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醍醐寺は理源大師・聖宝が平安時代の貞観16年(874)上醍醐山上に小堂宇を建立したのに始まります。延喜7年(907)には醍醐天皇の勅願により薬師堂、五大堂も建立され、上醍醐の伽藍が完成しました。(一昨年の台風で参道の両側の木がほとんど倒されました。)

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平安時代の長4年(926)には釈迦堂、さらに天暦5年(951)に五重塔が建立され、下醍醐の伽藍が完成しました。(仁王門から続く参道の突き当りの右に清瀧宮本殿の拝殿があります。)

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「清瀧宮本殿」 醍醐寺の総鎮守・清瀧権現(せいりゅうごんげん)を祀る鎮守社。永長2年(1097)最初に建立された上醍醐から分身を遷しました。その後、文明の兵火(1469)で焼失、室町時代の永正14年(1517)に再建されました。

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「五重塔」(国宝) 醍醐天皇の冥福を祈るために、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成しました。

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初層の内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれており、日本密教絵画の源流をなすものといわれています。この五重塔は京都府下で最も古い木造建築物です。

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「金堂」(国宝) 醍醐天皇の勅願により延長4年(926)に創建され、当時は釈迦堂といわれていましたが、永仁、文明年間に二度焼失しました。

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現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され、秀頼の時代の慶長5年(1600)に完成しました。金堂が醍醐寺の中心のお堂で、安置されている薬師如来坐像が醍醐寺の本尊です。

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「不動堂・護摩道場」 堂前の護摩道場では、当山派修験道の柴燈護摩が焚かれ、世界平和など様々な祈願が行われるそうです。

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堂内には不動明王を中心に五体?の明王が安置されています。

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不動堂の裏に明王や地蔵などの石仏が並んでいました。

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「真如三昧耶堂(しんにょさんまやどう)」 もとは朱雀天皇の勅願により法華三昧堂として天暦3年(949)に創建されましたが、文明2年(1470)に焼失、現在の建物は1997年の再建。手前は修験道の祖・役行者(えんのぎょうじゃ、神変大菩薩)像。

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手前に伊藤真乗(1906-1989)自刻の涅槃像、須弥壇に本尊・金剛界大日如来像、久遠常住釈迦牟尼如来像、伊藤夫妻の像、位牌などを安置しています。伊藤真乗は醍醐寺で得度、灌頂を受けた末寺の僧侶です。

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戦後独立して在家仏教集団「真如苑」を創設、その開祖となりました。活発な宗教活動を行い、醍醐寺では昭和41年(1966)大僧正位を授け、「真如三昧耶流」の流祖(創始者)と位置づけています。

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「祖師堂」 慶長10年(1605)座主・義演准后(ぎえんじゅごう)により建立され、真言宗を開いた弘法大師・空海と、その孫弟子で醍醐寺を開創した理源大師・聖宝が祀られています。弘法大師の誕生日の6月15日に降誕会が行われます。

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上に掲げられた扁額から、右が「弘法大師」、左が「理源大師」と思われます。

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「旧伝法学院」 突き当りにあり、破損が激しく修復中です。かっての伝法学院は僧侶志願者の修行道場で、毎年20名程度が1年間寝食を共にして修行、必ずといっていいほど数名は脱落したそうです。

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上醍醐の准胝堂は西国三十三所観音霊場第十一番札所で、1時間の登りは一番厳しい札所といわれていました。しかし、平成20年(2008)に落雷で炎上し、本尊も焼失してしまいました。「日月門」

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さいわい、分身像がドイツの「醍醐寺展」に出陳されていたため無事で、下の「観音堂」(旧大講堂)に安置されています。現在、上醍醐の准胝堂を再建するための募金が行われています。

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総本山醍醐寺以外に、真言宗十八本山、神仏霊場会、西国三十三所第十一番、近畿三十六不動尊霊場第二十三番、西国薬師四十九霊場第三十九番、役行者霊蹟などの御朱印はここで授かります。

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観音堂を中心に広がる、林泉および弁天堂、地蔵堂、鐘楼、伝法学院等を総称して「大伝法院」と呼ぶそうです。紅葉やイチョウが色づく季節には、池に朱塗りの弁天堂が映え紅葉の名所となっています。

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弁天池の東から金堂を。

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「弁天堂」 堂内には、音楽などの学芸や知識の女神でとして知られている弁才天(七福神の一つ)が祀られています。もともとは水の神でもあり、池や川のそばにその守護神として祀られることも多くあります。

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弁天堂の横からさらに一段高い場所に上れます。ここには山から流れ来た水が小川となり小さな池にたまり、ここから滝となって弁天池に流れ込みます。

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下醍醐の閉門時間の17時近くなったので、仁王門まで急いで戻ります。

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五重塔の周囲には誰もいなくなりました。

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コメント

今年の桜は、
静けさが際立っていますよね。
こういう桜もたまにはいいのかもしれません。

投稿: munixyu | 2020年4月 3日 (金) 16:20

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