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2020年3月27日 (金)

仏陀寺と朱雀・村上天皇

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日本満寺に枝垂桜を見に行ったとき、隣の仏陀寺(ぶつだじ、佛陀寺)を訪れました。この日は春のお彼岸(最終日)だったからか、いつもは閉じている山門が開いていました。

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仏陀寺は大蔵院と号する西山浄土宗の寺で、平安時代中期の朱雀・村上両天皇を開基として創建されました。この創建には、当時の不穏な社会情勢が関係していました。(山門の蟇股の彫刻)

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寛明親王(後の朱雀天皇、923-952)は、醍醐天皇と藤原基経の娘・4中宮藤原穏子との間に生まれ、926年東宮(皇太子)となりました。3歳での立太子の背景には、兄保明親王とその子慶頼王の二代にわたる東宮の夭折がありました。

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母・穏子は怨霊を恐れて、寛明親王を3歳になるまで幾重にも張られた几帳の中で育てたといわれています。930年醍醐天皇が崩御、寛明親王は8歳で即位しました。(お寺の境内には珍しい椅子がありました。)

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政治は伯父の藤原忠平が摂関として取り仕切りました。在位中の935年平将門が関東で反乱を起こし、翌年には瀬戸内海で藤原純友が乱を起こしました(承平天慶の乱)。本堂には本尊の阿弥陀如来坐像を安置しています。

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940年藤原忠文を征東大将軍に任命して将門征伐軍を送り将門は討たれ、翌年には橘遠保により藤原純友が討たれ、乱はようやく収束しました。本堂の横には比叡山が見えます。

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さらに、富士山の噴火や地震・洪水などの災害・異変が多発しました。また病弱のためか入内した女御はわずか2人で、在位中には皇子女に恵まれませんでした。(境内には様々な花が咲いていました。)

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そのため、944年弟の成明親王(後の村上天皇)を東宮とし、2年後に24歳で譲位しました。952年朱雀上皇は、日蔵道賢(にちぞうどうけん)を戒師として落師、仏陀寿と号して仁和寺に入りました。

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しかし同年朱雀上皇は崩御し、村上天皇が兄の仙洞御所朱雀院を寺に改め、その法諱にちなんで仏陀寺としました。山門の横のお堂の壁に珍しい形の花頭窓がありました。

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村上天皇(926-967)即位後も藤原忠平が関白を務めたましたが、949年に忠平が死去するとそれ以後は摂関を置かず、天皇自ら政治を行いました(親政)。 山門の横に鐘楼があります。

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承平天慶の乱(935–940年)の後で朝廷の財政が逼迫していたので倹約に努めたといわれます。 また、951年に『後撰和歌集』の編纂を下命、960年に内裏歌合を催行するなど、歌人、歌壇の庇護者として知られています。

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また朝廷の儀式書『清涼記』を著し、琴や琵琶などの楽器にも精通し、平安文化を開花させた天皇といわれます。村上天皇の治世は「天暦の治」として後世に称賛されました。

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室町時代には寺地は二条京極、また万里小路春日(柳馬場丸太町付近)にあったといわれ、天皇の勅願寺となりました。

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応仁の乱(1467-1477)で焼失、乱後に後土御門天皇の帰依を受けて、土御門西洞院(上京区)に中興されたといわれています。下の建物は、庫裡と書院と思われます。

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その後、戦国武将の三好之長が居住しました。三好之長は阿波三好郡の国人で、1506年管領細川氏の相続争いに介入、翌年細川澄元が家督をつぐとその家宰として権力をふるいました。

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しかし同年住居とした仏陀寺は放火されました。翌年から数年かけて融国正孝が発願して一条に再興したといわれています。

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安土桃山時代の1591年豊臣秀吉の御土居築造にともなって現在地に移されました。江戸時代には寛文の大火(1661)や天明の大火(1788)によって焼失、現在の堂宇はその後に再建されたものです。

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山門横の地蔵堂に「王城地祭(おうじょうちさい)地蔵尊」が祀られています。寛文年間(1661-1673)に霊元天皇の命によって僧・宝山が洛外、六地蔵以外の四十八か寺の地蔵尊を選んだ「洛陽四十八願所」の第21番札所本尊です。

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霊元天皇の歌「すべらぎの花の都をまもらんと立つる誓いのいとも妙なる」が御詠歌としてかかっています。

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蓮華座に結跏趺坐し、右手は膝上に置き掌を見せ、左手に宝珠を載せています。像の腹に下衣の結び目が下がって腹帯に見えることから王城鎮護に加えて安産守護の信仰もあるそうです。

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コメント

春の花は、透明感があり繊細でいいですよね。
自粛続きでしんどい今の心に響きます。
やっぱり最後は花なのかもしれません。

投稿: munixyu | 2020年3月27日 (金) 19:00

★munixyuさん こんばんは♪
境内で綺麗な花を見かけると、お寺の方の優しい心が伝わるようで心が和みます。

投稿: りせ | 2020年4月 3日 (金) 00:46

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