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2020年3月 3日 (火)

斎藤利三と本能寺の変

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日は雛祭りですね。最後に少し雛人形が出てきます。「斎藤利三」は明智光秀の家臣で春日局の父としても知られています。桜の写真は、斎藤利三の墓がある真如堂(過去の写真)で、写真の説明はありません。

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斎藤利三は天文3年(1534)室町幕府の奉公衆一人・斎藤利賢の次男として生まれ、上京後に摂津国の松山新介に仕え、次いで斎藤義龍に仕えました。

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後に、西美濃三人衆の一人・稲葉一鉄が織田氏へ寝返ると、稲葉氏の家臣となりました。しかし後に稲葉一鉄と喧嘩別れして、明智光秀との縁戚関係から光秀に仕えるようになったといわれます。

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光秀には重用され、明智秀満と並ぶ明智氏の筆頭家老として仕えました。光秀の丹波平定後、1万石を与えられて丹波黒井城主となり、氷上郡統治にあたります。

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天正10年(1582)本能寺の変を計画した光秀は、藤田行政・溝尾茂朝・明智秀満などの一部の重臣に計画を打ち明け、利三もその中に入っていました。

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利三はその無謀さから秀満と共に反対したといわれています。しかし主君の命令には逆らえず、また光秀の恩義に報いるため、結局は本能寺の変に首謀者の一人として参加せざるを得ませんでした。

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本能寺の変で織田信長・織田信忠・義弟の斎藤利治を討った後、備中から引き返してきた羽柴(豊臣)秀吉との山崎の戦いでは先鋒として活躍するも、敗れて逃走しました。(本堂の南に来ました。)

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その後、秀吉の捜索によって近江堅田で捕縛され、六条河原で斬首となりました、享年49歳。梅雨時だったため暑さにあたって病となり、衰弱していたといわれています。

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その首を親交の深かった東陽坊長盛と海北友松が奪って持ち帰り、真如堂に葬りました。 東陽坊長盛は真如堂東陽坊の住職、海北友松は絵師です。(こちらは秋の写真で、墓地の入口。)

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磔にされていた利三の遺体を武家の出身だった友松が槍を振って侵入して奪い取ったともいわれています。三人は同じ墓地に葬られています。

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墓地の入口にある「たてかわ桜」。徳川家光の乳母になった春日局が、父・斎藤利三の菩提を弔うために植えたものといわれています。普通の桜と違い、松の皮のように縦に表皮が走っています。

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元は、直径1m余の巨木でしたが、1958年の伊勢湾台風で折れ、継ぎ木によって息を吹き返したそうです。ちなみに、海北友松の息子・友雪は、春日局から褒賞を受けたといわれています。

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ところで、2014年6月土佐(高知)の武将・長宗我部元親から斎藤利三に宛てた書状が発見されたと、所蔵する林原美術館(岡山市)と共同研究する岡山県立博物館が発表しました。(下鴨神社の流し雛)

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筆頭家老の斎藤利三は明智光秀の書状のやり取りを担当、光秀は織田信長と長宗我部の仲介役でした。この直前に、信長は四国は元親の自由にさせるとの方針から一転、一部しか領有を認めないと変更しました。

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書状から、元親が信長に従う姿勢だったことが初めて確認されました。

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書状は天正10(1582)年5月21日付で、直後の6月2日に本能寺の変が起きました、以下の写真は、京都駅の近く、梅小路公園の東にある西山浄土宗の粟嶋堂(あわしまどう)宗徳寺です。

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書状の数日後には信長の命令で四国を攻める兵が大阪で待機、信長は長宗我部の対応にかかわらず攻めようとしていたことがうかがえます。(この寺は女人守護、人形供養の寺として知られています。)

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光秀の勢力は元親と関係が深く、恭順の意を示した元親を攻めようとする信長を止めようとして、本能寺の変を起こした可能性があることが指摘されています。(本堂の前のお堂)

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供養された雛人形が並んでいます。

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コメント

下鴨神社の流し雛、そう言えば、
今日は雛祭りでしたね。
早いものです。
供養された雛人形。京雛は、やっぱり綺麗ですよね。

投稿: munixyu | 2020年3月 3日 (火) 12:40

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