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2020年3月11日 (水)

常林寺と正定院(砂川三軒寺)

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

オカメ桜が咲く長徳寺の隣に、萩の寺として知られる常林寺があります。秋にまた訪れるかも知れませんが、今の時期だけに見られるものもあります。

「常林寺」は、安土桃山時代の天正元年(1573)、魯道上人を開山として寺町通荒神口付近に創建された浄土宗寺院です。山門を入ると、萩がまったく見当たりません。

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この寺の萩は、宮城野萩・垂れ萩という種類で、花が咲き終った10月から11月に地表近くで刈り取り、次の年の5月に新しい芽が出てくるのだだそうです。右に、萩の季節には全く見えなかった鞍馬石の大きな詩碑があります。

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仏教詩人として有名な坂村真民(しんみん)の詩「念ずれば花ひらく」が刻まれています。37世宏允和尚が、秋に萩が咲き誇り、念仏の信仰が広まる事を願って建立しました。知恩院にもあります。

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本堂には、本尊の来迎の阿弥陀三尊像を祀っています。その右手前に、八角形の雪灯籠があります。これは萩の時期でもかろうじて見ることができます。

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本堂前に「吾唯足知」の蹲(つくばい)があります。釈迦の最後の言葉を経典として伝える「遺教経」に出てくることばで、龍安寺あるいは禅寺だけでなくあちこちの寺院や庭園で見かけるようです。

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本堂の右から奥に行くと墓地があります。その手前にいる地蔵菩薩、端正な顔立ちでした。

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常林寺は寛文の大火(1671年)で類焼して現在地へ移転し、元禄11年(1698)7世英譽上人によって現本堂が建立されました。同じく、火災で移転してきた長徳寺と正定院とを合わせて「砂川三軒寺」と呼ばれました。

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以前に常林寺で頂いたしおりに砂川の三軒寺のあたりの古地図(山城国絵図)がありました。そこには浄土宗の3寺とその南に日蓮宗の法性寺が並んでいて、その南に砂川が描かれています。

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法性寺は今出川通の南にあるので、砂川はその南を流れていたようです。その南には荒神口から始まる志賀越道も描かれています。

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参道の左(北)にある鎮守社、萩の時期には近くに行かないと分かりません。

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山門の横に「地蔵堂」があり、世継子育(よつぎこそだて)地蔵尊を祀っています。世継子育地蔵尊は、常林寺の創建以前から京の七口の一つの今出川口にあって、古くから若狭街道を往来する人々が旅の安全を祈願しました。

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また、子授け・安産の信仰を集め、遠国からお参りする人々もあったといわれます。ハクモクレンの花が咲いていました。

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常林寺を出て、もう一つの砂川三軒寺に向かいます。

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川端通から東に入った今出川通の南から、正定院(しょうじょういん)の山門や建物が見えます。「正定院」は山号を竹谷山という浄土宗の寺院で本尊は阿弥陀如来です。

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江戸時代初めの1610年唱誉上人が創建したといわれていますが、詳しい由緒は分かりません。長徳寺は裏寺町通、常林寺は寺町通粟田口から移転してきたのですが、正定院も寺町付近に創建されたと思われます。

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山門を入ると「襖絵 皆川月華」という石碑があります。皆川月華は明治25年に鞍馬口の代々医師の家に生まれました。父は書を母は南画を親しむという環境で、医師を嫌って画家を目指します。

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友禅などの染色図案を安田翠仙に学び、大正3年大橋商店に染織デザイナーとして入りました。この頃より古代裂に興味を持ち、月華の号を名乗りました。兵火で焼失した菊水鉾を、他の匠たちとともに新調したことでも知られています。

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こちらに移転してから、門前の若狭街道を行く人々の信仰を集めたといわれています。書院の前に「子育て地蔵」、本堂に祀られているちご地蔵にちなんで、最近建立されたと思われます。

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中門の中へは入れませんので、門から中を覗いてみます。

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左は本堂で、本尊の他に「ちご地蔵」を安置しています。11月23日に本堂でちご地蔵尊法要が行われます。本堂の向こうに墓地があり、皆川家や「萩の露」の作曲者・幾山検校のお墓ががあるそうです。

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この寺も常林寺と同様に萩が咲くそうですが、まだ見たことがありません。ところで、砂川はかって田中、百万遍の方から流れてきて鴨川に注いでいて、その注ぎ口(川州)からこの名があり、現在は暗渠になっているそうです。

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上の古地図では、浄土宗の3寺とその南に日蓮宗の法性寺が並んでいますが、現在の法性寺は今出川通の南にあります。今出川通は平安京では都の北端の北小路にあたり、当初は新町通から鴨川まででした。

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昭和4年(1929)に今出川通が鴨東にも延長され、こちらは東今出川通とも呼ばれています。そのため、法性寺が三軒寺と離れて今出川通の南に移転したものと思われます。

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長徳寺と同様に、加茂大橋西詰南の河川敷に2本のオカメ桜があります。ここの河川敷は運動場になっていて、よさこい?の練習をしていました。*4月4・5日の「京都さくらよさこい」は中止となりました。

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オカメ桜と寒緋桜は京都で一番早く開花するといわれ、この後に早咲きの枝垂桜が続きます。今年は例年よりも10日から2週間程度桜の開花が早いと予想されています。

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京都も新型コロナウイルスで混乱していますが、何事もないようにもうすぐ桜の季節がやってきます。

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