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2020年3月13日 (金)

北白川天神宮 2020年3月

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

北白川天神宮は、坂本に向かう白川街道(山中越)沿いに鎮座、古来から北白川の産土(うぶすな)神として信仰されています。枝垂桜の美しいところで、後で写真があります。

白川にかかる「萬世橋」を渡ると、参道沿いに歌碑が並んでいます。藤原為教「秋の夜の月も猶こそ澄みまされ 世々にかはらぬ白川の水」

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飛鳥時代の8世紀前半、南西の久保田の森に「天使大明神(天使社)」が鎮座、少彦名命名を祀っていたといいます。西行「風あらみ梢の花乃なかれ来て庭に波立つ白川の里」

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平安時代には、白川街道沿いに貴族の山荘が並んだといいます。その後も、白川の里は風光明媚な場所として歌に詠まれました。後京極良継「何となく春の心にさそはれぬ今日白川の花のもとまで」

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室町時代の文明年間(1469-1487)8代将軍・足利義政が東山殿(銀閣寺)を造営中のとき、久保田の森にさしかかる度に馬が嘶(いなな)き足が止まったといいます。「社務所」

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義政は神威を感じて、都の鬼門にあたる現在地の千古山に社殿を移して、王城鎮護の神として祀ったという伝承があります。

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鳥居をくぐったところに、明治天皇「いはほきる音もしめりて春雨のふる日しづけき白川の里」、他にも多くの歌碑があります。

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「花塚」と「白川女(しらかわめ)の顕彰碑」 平安時代から白川一帯は花畑が広がり、花売りの白川女が、頭の藤蓑に花を載せて「花をいらんかえ」と売り歩きました。写真の左に顕彰碑のレリーフを拡大してあります。

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白川女の伝統は現在でも続いていて、時代祭にも参列しています。石段の手前の手水舎に名水が湧いていて、遠方から汲みに来られる方もあるといいます。

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石段は130段以上あり、神幸祭・還幸祭では氏子の皆さんが神輿を担いで上り下りします。

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鎌倉時代以降、白川一帯では白川石が産出、寺社の建築石材をはじめ、灯籠や石像など石像彫刻にも用いられてきました。石段の途中に、京都の銘石として称えるために兵庫県石材業組合連合会から寄贈されたオブジェがあります。

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さらに上の方には医学者・清水勉氏の碑があります。清水勉氏は京都、亀岡、南丹、福知山で開業しているシミズ病院グループの創設者で、医道の祖神・少彦名命に感謝を表す記念碑です。薬草をすりつぶす薬研(やげん)の形をしています。

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山上の台地にある社殿が見えてきました。両側に狛犬がいます。

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「拝殿」、その後ろに本殿、周囲に摂社が並んでいます。

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本殿には祭神の少彦名命を祀り、健康長寿、福徳開運、安産などの信仰があります。かつて比叡山麓七里(ななさと)の産土神(うぶすながみ)の一つでした。拝殿には「三十六歌仙」の額が掲げられています。

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拝殿の左には右から、日吉大神、春日大神、八幡大神を祀る摂社が並んでいます。

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山上にある手水舎、向うに貯水槽があります。

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さらに、登ってきた石段横の斜面には多くの摂・末社が点在しています。緩やかな石畳の道があります。

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そのうちの一つの「瑜宮稲荷社」、狛狐の前に小さな狐がいました。毎年10月第1日曜日から始まる「秋祭り」では独特な行事が行われます。

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初日の早朝、高く盛りつけた神饌(しんせん)を朝御飯として神前にお供えします。この日から1週間続く秋の大祭の初めの儀式で、古い祭りの形を伝えています。黒木綿の着物に紅の三幅前垂、白足袋の白川女が頭に載せて運びます。

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神饌は小芋、大根なます、きざみ鯣(するめ)をそれぞれ円錐形に高く盛ったもの、炊き上がりの白飯を臼の型にはめ込み太い注連縄で縛った盛相(もっそう)と呼ばれるもの、さらに白豆腐の上に神箸や開いた干物の飛魚やシイラ、柿や青豆などです。

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昔は高盛献饌の後で神輿渡御が行われていましたが、現在は本殿から麓の道を隔てた御旅所に御羽車によって祭神を遷す「御神霊遷し」が行なわれます。秋祭りの最後の還幸祭の前日(宵宮)、御旅所に万灯会が奉納されます。

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神輿渡御にかわり、白川の各地をまわっていた白川太鼓(同好会)の皆さんが神社に帰ってきて、萬世橋の前で太鼓を披露します。還幸祭のときにはお迎え太鼓を行います。

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「還幸祭」では御旅所に滞在されている御神霊が氏子地域を神輿に乗って回ります。先頭は長い「剣鉾」を持ち、鈴を鳴らしながら独特の足運びで行進します(剣差し)。神様のお渡りになる道筋を剣と鈴によって祓い清め、悪霊を鎮めます。

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剣鉾は、京都の周辺地域に残っている古い祭りの形態でその起源は定かではないそうですが、869年に神泉苑で行われた最初の祇園御霊会(祇園祭の前身)には、各地からの66本の剣鉾が並んだといいます。子供たちによる白川女も登場します。

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暗くなってから帰ってきた神輿に長い綱を付けて、神輿の担ぎ手だけでなく見物人も一緒に山上に引っ張り上げます。

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拝殿前で、ひとしきり神輿を回します。拝殿に置かれた神輿に宮司が祝詞をあげ、その後全ての灯りを消した中で御神霊を本殿に戻します。

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神官たちが邪気を祓うように異様な声をあげる中、空気にふれてはいけないかのように宮司が神霊とともに本殿に駆け込みます。このあと、神輿は担がれて麓に降ろされますが、御旅所の蔵になかなか入ってくれません。

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まるで、祭が終わってしまうのを嫌がっているようでした。北白川天神宮の秋祭は古来の祭りや生活様式を継承していて、三大祭とは違った京都の祭りが見られます。

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コメント

学生の頃、北白川に住んでいました。
北白川神宮は中にちょっと入ったことは
会っても、ほとんどは散歩で前を通るくらい。
こんなに奥まであるなんて。
元気だったあの頃に何でもっと上まで上がろうと
しなかったのでしょうね。
もったいない事だらけです。

投稿: 8mama | 2020年3月13日 (金) 10:50

★8mamaさん こんばんは♪
私も学生の頃は、意識して寺社を巡ることはありませんでした。ブログを始めてから、京都の良さを再発見しています。

投稿: りせ | 2020年3月15日 (日) 00:44

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