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2020年2月19日 (水)

吉祥院天満宮 道真幼少の頃の邸宅跡

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は西大路通の南端近くにある吉祥院天満宮に行ってきました。西大路通と十条通の交差点から西に行き西高瀬川を渡ると、参道の入口があります。

左に「北政所吉祥女御住所蹟」という石標があります。北政所は菅原道真の正室のことで、道真が大宰府に左遷されたあとも京都にとどまったといわれています。

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平安京への遷都(794年)の際に、菅原道真の曽祖父・土師古人(はぜのふるひと)は、桓武天皇から所領としてこの地を与えられ本邸を構えました。(参道をしばらく歩くと左に弁財天社があります。)

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お堂の前を覗くと、京都では珍しい狛蛇がいました。

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弁財天社の横に「鑑(かがみ)の井」があります。道真が参朝(朝廷に参内)する際に顔を写したといわれる井戸が復元されています。

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鳥居の左に「菅公御誕生之地」の石碑と「産湯の井跡」があり、社伝に基づいて井桁が復元されています。産湯の井は他にも菅原院天満宮や菅大臣神社にもあります。いずれも菅原家の屋敷があった場所で、生誕の地には諸説あります。

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境内の片隅に「吉祥院保育園」があります。正面は忠魂碑と征清之役軍人記念の碑、境内は広場になっていてその周辺に社殿があります。

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道真の祖父・菅原清公(きよきみ、改姓しています、770-842)、父・是善(これよし、812-880)もこの屋敷に住み、道真はこの地で誕生、成育したとされています。「菅原公胞衣塚(えなづか)」

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この胞衣塚は、道真のへその緒を埋めたとわれ、子供の知恵や発声、健康や成長を祈願します。初宮参りには本殿の後に参り、赤ん坊の鼻をつまんで元気な声で泣かせて無事成長を祈るそうです。

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「吉祥天女社」 伝承があります。清公が遣唐使判官として唐へ向かう途上(もしくは帰国時)に、嵐に遭遇しながらも吉祥天女の霊験により難を逃れました。帰国後、自ら吉祥天女像を刻み、邸内に吉祥院に建立して安置しました。

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以来、菅原家は吉祥院を氏寺として国家鎮護を祈願しました。建物は江戸時代中期に再建、左から孔子、最澄、是善、薬師如来、吉祥天、観世音菩薩、清公が祀られています。このあたりの地名・吉祥院の由来でもあります。

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901年道真は、大宰府へ左遷されるとき、天神川沿いに古川まで来て乗船したといわれます。『大鏡』によると、その際にこの地を望み「君が住む宿の梢をゆくゆくと隠るるまでもかへり見しはや」と詠んだとされます。広場の西に拝殿が見えます。

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903年道真は大宰府で無念の死を遂げましたが、その後関係者の急死や、疫病・災害など天変地異が続き道真の怨霊のしわざと噂されました。923年道真は復権して、正一位、太政大臣が追贈されましたが、異変は続きました。

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934年、道真を尊崇していた朱雀天皇は、日蔵上人のお告げを授かり、自ら道真の幼少像を刻みました。そして、この地に社殿を築いて像を安置して道真の霊を祀りました。

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それが吉祥院天満宮と呼ばれ、最初の天満宮です(北野天満宮は947年創建)。天皇から神領2000石、加賀に2庄、御朱印料・祭料1000石が寄進されました。拝殿の奥にある本殿には主祭神として菅原道真を祀ります。

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道真は幼少の頃この地で過ごしたので、幼少像があります。吉祥院天満宮は知恵、能力開発、受験合格などの学問向上、開運招福、旅行安全、交通安全などの信仰を集めています。神馬の横にキティちゃんがいます。

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拝殿の右手前に「硯之水(すずりのみず)」 道真が幼少の頃に勉学や手習いに用い、学問が向上、書道が上達したといわれます。近年まで清水が湧き出していて、飲み水としても広く利用されていたそうです。

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拝殿の右に五社があります。左から「白太夫社、松梅社、吉野社、金毘羅社、秋葉山」。白太夫社は菅原道真の守り役の伊勢神宮の宮司・渡会春彦翁を祀り、他は庶民信仰の神と思われますが、松梅社だけは由緒が不明です。

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1109年の菅公200年忌に、鳥羽天皇によって勅祭が盛大に行わ、以後歴代の天皇により勅祭が行われてきました。また、毎年2月25日には法華八講料を賜りました。(社務所・授与所には、たくさんの種類のお守りがあります。キティちゃんのお守りも。)

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法華八講とは、法華経8巻を順に8回に分けて講義する法会だそうです。(拝殿・本殿の左に絵馬所があり、ご利益に応じた様々な種類の絵馬が架かっています。)

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左奥の稲荷社には「春房稲荷大明神」を祀り、五穀豊穣、商売繁盛、災難除けなどの信仰があります。

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社務所の南に「文章(もんじょう)院」という建物と、左前に「文章院聖堂御跡」の石碑。遣唐使として唐に渡った清公が唐の昭文館・崇文館を参考にして、平安時代の834年頃文章道を学ぶ学生のために文章院を設立しました。

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清公は文章博士(教官)、文章頭(学長)を務め、文章院には講堂や寄宿舎にあたる西曹、東曹がありましたが、1177年の治承の大火で焼失した後廃絶しました。下の学業成就の絵馬は、道真も就任した文章博士にちなんだと思われます。

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吉祥院天満宮は、安土・桃山時代には衰退して、豊臣秀吉によって神領や法華八講料などが没収され、以後勅祭も廃止になりました。(道真は弓を射れば百発尺中の文武両道だったそうです。)

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江戸時代中期に勧進相撲が許され、社殿が再建されました。明治35年(1902)の菅公千年祭以後、境内の拡張と社殿の修復・整備が行われ現在に至っています。「舞楽殿」

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この地では古くから六斎念仏が盛んに行われ、今も「吉祥院六斎念仏踊」として継承され、国の重要無形民俗文化財に指定されています。毎年4月25日の春祭と8月25日の夏祭には、上の舞楽殿で六斎念仏が奉納されます。

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南の鳥居と道路を隔てて宮司さんの社家。石原定祥(さだよし)氏は65代目の宮司で、六斎念仏の継承など伝統を守りながらも、お守りの考案や「硯の水」復活など、現代を見据えた活動を続けているそうです。

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「菅公聖蹟二十五拝」では京都から太宰府へ至る道真の遺蹟伝承地を順に拝礼します。菅原院天満宮に始まり、錦天満宮、菅大臣神社についで4番目が吉祥院天満宮で、その後京都を離れ長岡天満宮になります。

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コメント

キティーちゃんがいたり、キティーちゃんのお守りがあったり、
天満宮とキティーちゃんって面白い組み合わせですね。

投稿: munixyu | 2020年2月19日 (水) 12:59

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