« 押小路通を歩く 堀川通から新町通へ | トップページ | 聞名寺 明眼地蔵と香川景樹 »

2020年2月13日 (木)

押小路通 新町通から烏丸通へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

Job_5579a
※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事につづいて、押小路通を新町通から東に向かって歩きます。ここから2ブロックは、北が上妙覚寺町、南が下妙覚寺町で、かって日蓮宗の妙覺寺があった場所です。

下は「味野里香」 和食一筋約50年の御主人が、季節の料理を懐石仕立てで提供、個室があります。常時100種以上そろえた日本酒から料理に合うお酒を勧めてくれます。

Job_5592a

「Les Moineaux」(パティスリー レ モワノー) 昨年9月にオープンした洋菓子店です。タルトやプリン、焼き菓子が並び、ギフト用の詰め合わせもあるそうです。

Job_5594a

1月13日の記事「明智光秀の足跡をたどる 本能寺の変」で、当日信長の嫡男・信忠が宿泊していた妙覺寺はこのあたりにありました。 (下は衣棚通で、この先も妙覚寺町です。)

Job_5596a

「酒房あわわ」 日本酒バーを標ぼうする呑み屋さんです。町家の店内はカウンター8席と小上がり4席の、こじんまりした割烹風の造りだそうです。純米吟醸や珍酒も良心的な価格で、気軽に入れるお店だそうです。

Job_5605a

「大つや」 重厚な町家の米屋さんです。以前は「オオツヤ」という店名でした。

Job_5611a

「澄吉(すみよし)」 大つやさんの一部を改装して3年前にオープンした居酒屋。和食のベテラン料理人とソムリエが、300種類の国産ワインや日本酒、クラフトビールなどと、そえぞれに合う料理を提供しています。

Job_5615a

「ナカムラ ジェネラル ストア」 ご主人は脱サラしてハワイへ移住、名店「ダイヤモンドヘッドマーケット&グリル」で日本人初のスコーン担当シェフとなり、帰国後に焼き菓子店をオープンしました。スコーンやマフィンは、お昼頃には売り切れとなるそうです。

Job_5617a

「両川(りょうぜん)」 こちらも居酒屋で、先ほどの澄吉の姉妹店だとか。日替わりランチがあり、近所のサラリーマンでに賑わいます。名物は3日間煮込んだ黒い「鯖煮」だそうです。

Job_5621a

明智光秀の謀反を知った妙覺寺の信忠は、本能寺に向かおうとしましたが部下に制止され、隣の二条の御新造に入りました。この室町通を少し南に下がったところに二条御新造の場所を示す石標があります。

Job_5631a

先日の記事では御新造は二条新御所のことと書きましたが、間違いで訂正します。「二条殿御池跡」の石標。1576年上洛した織田信長は妙覚寺に宿泊、その東隣には二条家の邸宅・二条殿がありました。

Job_4420a

信長は「洛中洛外図屏風」にも描かれた池のある庭の眺望が気に入り、二条家に別の屋敷を提供して屋敷を譲り受けました。信長は二条殿を改修して、その後2年間はここを京の宿所としました。

Job_4422a

押小路通に戻り、「Flip up!」はベーカリーです。自家製天然酵母を使ったベーグルは10種類あり、噛むほどに味わいが深まる逸品だと人気だそうです。

Job_5649a

「karasumaoike UI(烏丸御池うぃ)」 洋食屋さんで、京野菜、鱧、ぐじ(甘鯛)など京都ならではの季節の食材を多く使用しています。ランチは完全予約制コース2000円から、町家の店内にはお庭を眺める席もあるそうです。

Job_5657a

「Trattoria SALTINBANCO(トラットリア サルティンバンコ)」 イタリア料理の店で、各地の生産者から仕入れる野菜や肉、信頼の置ける業者から買い付ける魚介、本場イタリアから取り寄せる調味料や高級食材を用いてシェフが腕を振るいます。

Job_5663a

1579年以降は、信長は改修した二条殿を退去して、擁立する誠仁親王を住まわせ二条御新造あるいは二条新御所と呼ばれるようになりました。両替町通に来ました。左は昨年正月再オープンした「Casual Wine Bar  Bar mio 2」。

Job_5671a

下は京都市考古資料館文化財講座、柏田有香「織田信長の遺跡」の資料からの転載です。妙覚寺は北の二条通まであり、二条御新造は烏丸通と押小路通の間にあります。

Capture46a

本能寺の変の際、二条御新造に移った信忠は、誠仁親王らを御所に逃がし明智軍と戦いました。両替町通を下がったところに、「此付近 二条殿址」の石標があります。ここは国際マンガミュージアムの裏口です。

Job_4460a

逃亡をすすめるものもありましたが、信忠は御新造に立てこもり十倍もの軍勢の明智軍を3度にわたり撃退するも、ついに自刃しました。御新造には武器が貯蔵していなかったといわれます。

Job_4458a

二条御新造は焼失したとみられ、後の徳川時代に金座と銀座が置かれました。少し南にある「徳川時代金座遺址」は江戸幕府の金貨(小判と一分判)の鋳造所だった場所です。

Job_4454a

さらに南の「徳川時代銀座」は江戸幕府の銀貨(丁銀と小玉銀)の鋳造所跡です。寛政の改革後(1800年)金貨、銀貨とも鋳造は行われず、金箔や銀材料取引の取り締まりを行い、明治初年に金座、銀座は廃止されました。

Job_4461a

両替町の名は金座・銀座に由来します。一方、信忠が宿泊していた妙覺寺は、後に豊臣秀吉によって寺之内に移転させられました。押小路通に戻り、左は「旭化成ホームズ(株)京滋支店」。

Job_5680a

烏丸通まで来ました。押小路通はここから先の木屋町通まで続きます。また、鴨川の向こうの延長は仁王門通と名を変えます。

Job_5682a

烏丸通の西の歩道を下がると「京都国際マンガミュージアム」がり、京都市立龍池(たついけ)小学校の跡地を利用しています。ここも二条御新造の跡地でもあります。

Job_5692a

龍池小学校は明治2年に市民により設立された番組小学校を起源として、平成7年御所南小学校に統合移転しました。「龍池」の名は二条殿にあった龍躍池に由来します。

Job_5705a

御池通の南から見た両替町通、通りの両側に二条御新造がありました。一番下は、妙覺寺と二条御新造があったあたり。

Job_4477a

お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Job_4532a

|

« 押小路通を歩く 堀川通から新町通へ | トップページ | 聞名寺 明眼地蔵と香川景樹 »

コメント

この辺りは、結構オシャレな感じのお店が多いですね。
洋風のお店が多いからでしょうか。
消火器のバケツ。
こういうのは、意外と存在感があって楽しいですよね。

投稿: munixyu | 2020年2月13日 (木) 14:52

★munixyuさん こんばんは♪
同じ通りでも、烏丸通に近づくと新しいお店が増えてきます。

投稿: りせ | 2020年2月22日 (土) 01:07

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 押小路通を歩く 堀川通から新町通へ | トップページ | 聞名寺 明眼地蔵と香川景樹 »