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2020年2月21日 (金)

若一神社 平清盛と若一王子

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日の記事の吉祥院天満宮から北の西大路八条に若一(にゃくいち)神社があります。西大路通の東に平清盛の手植えとされる大楠が見えます。

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平安時代後期、このあたりは西の交通の要衝で、梅小路公園あたりまで平清盛(1118-81)の邸宅「西八条殿」があり、一族の邸宅も並んでいたといわれています。

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清盛は熊野権現を信仰し何度も熊野詣を行いました。社伝によると、1166年8月の熊野詣の際、土中に隠れた御神体を世に出して奉斎せよとお告げありました。

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帰京して邸内を探すと東の築山から夜光が放たれ、地下三尺から若一王子(熊野十二所権見の一神)の御神体が現われました。(大楠の根本に「楠社」が祀られています。)

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社を造り御神体を納め、鎮守として祈っていると、翌1167年2月に武士として初めて太政大臣に任ぜられました。

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初の武家政権が誕生し、清盛は御神体を開運出世の神として崇めたといわれます。鳥居の内側に太政大臣の衣冠束帯姿の平清盛像があります(1990年建立)。

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しかしながら、翌年の1168年に清盛は病となり出家して摂津福原に移り、西八条殿には妻の時子が住みました。

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平家に反発した後白河法皇と対立するも、清盛は娘・建礼門院徳子が産んだ東宮言仁親王(後の安徳天皇)を擁立して、政治の実権を握ります。(鳥居の左に末社があります。)

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左の「松尾社」の松尾大神は醸造満足の神、右の「福徳稲荷社」の稲荷大神は、伏見稲荷大社から勧請した商売繁盛・生業繁栄の神です。

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平氏の独裁は公家・寺社・他の武士などから大きな反発を受け、後白河法皇の皇子・以仁王(もちひとおう)と鵺(ぬえ)退治で有名な源頼政が、平家追討のために挙兵しました。しかし、鎮圧されて以仁王と源頼政は宇治川で討死しました。

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しかしながら、この時以仁王は、平家追討の令旨(りょうじ)を諸国の源氏に発しており、源頼朝が挙兵して富士川の戦いで平維盛(これもり)率いる平家軍を破りました。その翌年の1181年清盛は熱病によって死去しました。

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清盛の没後、北陸で木曽義仲が挙兵し、各地で平家を破り京都に迫ります。義仲が迫った1183年、平宗盛は都落ちを決断して、六波羅邸と西八条殿に自ら火を放ち、安徳天皇を伴って平家一門とともに西国に逃れていきます。

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その後、平家は一ノ谷の戦いで源義経・源範朝らに敗れて屋島に逃れ、壇ノ浦で滅亡しました。

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時代は下り、江戸時代中期に若一王子の御神体が再び掘り出され、この地に神社が再建されたといわれています。祭神の若一王子は、開運出世、金運上昇、商売繁盛などの信仰を集めています。「本殿」

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本殿の右に、「祖霊社」(左)と「靖国社」(右)があります。祖霊社は昭和58年に建立され、神職、総代、世話方、あるいは崇敬者の方々の御霊を奉斎しています。靖国社は靖国神社の祭神を勧請したものです。

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広くはない境内ですが、様々な見どころがあります。

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「若一神社神供水(しんぐすい)」 清盛によって御神体が掘り出されて以来、毎朝神前に供えられてきた御神水です。古くから銘水として知られる地下水で、水を汲む人々が絶たないといわれています。

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祇王の歌碑「萌出づるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはで果つべき」。祇王は清盛に寵愛された白拍子で、ここに屋敷を与えられて母、妹も呼び寄せました。しかし、仏御前を清盛にとりなすと清盛の寵愛が移り、母、妹ともに屋敷を追われました。

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上の写真で右の水盤は水みくじを浸けるものです。下は「弁財天社」、江戸時代中期の1715年竹生島より勧請、祭神の市杵島姫命は芸能、音楽、福運の神です。

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「寿命社」 天正年間(1573-1585)に播州高砂神社より勧請した高砂尉と姥を祀り、夫婦円満、子孫繁栄、延命長寿のご利益があるとか。

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ところで、清盛が掘り出した御神体には伝承があります。奈良時代の光仁天皇(在位770-781)の頃、唐から仏教を伝えるために来日した成光上人は、天王寺に住して熊野詣の際に若一王子の分霊を笈に背負い、衆生救済のために諸国を巡りました。

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上人がこの地にあった堂で一夜を明かすと神託があり、堂内に御神体を安置しました。しかし、その後京中に戦乱が起こり、御神体は土中に埋められたといわれます。その約400年後に清盛が掘り出したというわけです。

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先ほどの、神社の前の大楠は、平清盛が太政大臣に任ぜられたのに感謝して手植したものとされ、樹齢は800年を越します。昭和8年(1933)市電の軌道敷設のために、西大路通の拡張工事が行われました。

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境内は削られ、大楠を伐採あるいは移植することも検討されました。結局、御神木の祟りを恐れて軌道を迂回することになり、西大路通はこのあたりで少し西に膨らんでいます。

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コメント

平清盛の手植えとされる大楠。
樹齢900年というだけあって立派ですよね。
伐らなくて正解だと思います。
最後の絵馬、鼠だらけで賑やかでいいですね。

投稿: munixyu | 2020年2月21日 (金) 12:28

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