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2020年2月 6日 (木)

二条城 東大手門から天守閣跡へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は二条城に行ってきました。二条城は正式名称を元離宮二条城といい、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が1603年に造営、3代将軍・家光が増築を行い1626年に現在の規模になりました。上と下は拝観入り口の「東大手門」(重文)。

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東大手門から正面の塀を左に回り込むと唐門があります。下の見取り図はパンフレットからの転載です。

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「唐門」(重文)は江戸時代の1624年-1626年に建立、切妻造、桧皮葺の四脚門でその前後は唐破風造となっています。

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見事な彫刻がふんだんに施されています。

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「二の丸御殿」(国宝) 江戸時代の武家風書院造りの代表的なもので、手前の車寄に続く6棟が東南から北西にかけて雁行(ずれて斜め)に立ち並んでいます。車寄は豪華に装飾され、床は牛車で中に入れるように四半敷になっています。

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左(北)にある中門を入ると「二の丸庭園」です。

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この庭は、(家康時代の1602~1603年頃、二条城が造営されたときにその建築に調和させて作庭されたものです。後に家光時代の1626年の御水尾天皇行幸のために一部改修を加えられたと考えられています。

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右端の車寄に続く遠侍(とおざむらい)、式台(しきだい)、大広間が雁行になっています。遠侍は二の丸御殿内で最大の床面積の、城へ参上した大名の控えの間です。式台では参上した大名が老中職とあいさつを交わし、将軍への献上品を差し出しました。

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二の丸庭園は、神仙蓬莱の世界を表した書院造庭園といわれ、八陣の庭とも呼ばれています。後水尾天皇行幸当時は、池の中の御亭や増築された建物から鑑賞できる中庭的な庭園として改造され、池の中央に3つの島と4つの橋が設けられました。

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右が大広間、向こうは「黒書院」でその後ろに白書院があります。大広間は、時代を下った慶応3年(1867年)10月、15代将軍・慶喜が諸藩の重臣を集めて大政奉還を発表した歴史的な部屋です。

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大広間の一の間(上段の間、向う側)は広さ48畳、二の間(こちら側)は44畳あります。上段の間は将軍が諸大名と対面した部屋で二の丸御殿の中で最も格式の高い部屋です。(内部の写真はパンフレットから。)

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四の間は、将軍が上洛の際に武器を収めた部屋といわれています。障壁画「松鷹図」は二の丸御殿で最も有名で、桃山時代の様式を取り入れて巨大な松と勇壮な鷹が描かれています。

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慶喜の上洛時には、二の丸庭園は樹木がほとんどなく、池は枯渇して枯山水風の庭園となって荒廃していました。明治になって二条城が宮内省の所管となってからは5回以上改修され、離宮的・迎賓館的な城として利用されました。

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特に離宮時代に行われた大規模な植栽工事により、今日の二の丸庭園の景観となりました。京都市に移管後の昭和14年(1939)に名勝に指定、昭和28年(1953)に 国の特別名勝の指定を受け、京都の文化財的資産の一つとして維持されてきました。

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防寒対策のため、蘇鉄に麦わらの菰(こも、シート)を巻いています。二の丸庭園の冬の風物詩だそうです。

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「黒書院」 将軍と親藩大名・譜代大名の内輪の対面所です。大広間より若干規模は小さいのですが部屋飾りはより技巧的です。襖絵は探幽の弟、尚信(なおのぶ)の作品です。

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内堀の西に本丸御殿への橋と「本丸櫓門」があります。

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内堀に囲まれた部分が本丸です。創建当時の本丸御殿は,二の丸御殿にほぼ匹敵する規模をもっており、内部は狩野派の障壁画で飾られていました。

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本丸には五層の天守閣がそびえていましたが、寛延3年(1750年)落雷のため焼失、さらに天明8年(1788年)の大火で殿舎も焼失してしまいました。

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その後永らく本丸御殿は再建されず、幕末の15代将軍・慶喜の住居として本丸御殿が建てられましたが、明治14年に撤去されました。本丸庭園は明治時代に造られ現在に至っています。

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現在の「本丸御殿」(重文)は、京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を明治26年から27年にかけて本丸内に移築したものです。2017年~21年にかけて大規模な修復工事が行われています。

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右の御殿は京都御所にあった当時、仁孝天皇の皇女和宮が14代将軍家茂に嫁ぐ前の約1年8ヶ月にわたって住んだ建物で、1854年内裏が炎上したときにも延焼を免れ、孝明天皇の仮皇居に使用された由緒ある建物です。

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左に御書院(右)と玄関(左)があります。二条城では2011年からおよそ20年の歳月をかけ、28棟ある文化財建造物をはじめ城内全ての歴史的建造物の修理や整備を行っています。

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本丸の西南隅に天守閣跡(天守台)があります。ここにはかって家康により築造された高さ28mの五層の天守がありました。

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江戸時代の1750年に落雷により焼失、明治の1877年には全焼してしまいました。二つ上の写真は(天守閣くらいの)高い位置から見たところで、 本丸御殿が一望でき、向こうに比叡山から大文字山が見えます。

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外堀の外側は並木道になっていて、南には梅林があります。

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かっては本丸の他の3隅と、外郭の4隅に櫓が建ち壮観な眺めでした。現在では外郭の東南隅と西南隅(下)の二つの櫓が残されているだけです。

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ほんの少しの間しぐれた後、虹がでました。

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コメント

二条城は、生活感のある城ですね。
城主や家来や女中が、今にも出てきそうな気がします。
春になると、明るくなって更に風情があるでしょうね。

投稿: munixyu | 2020年2月 6日 (木) 18:47

★munixyuさん こんばんは♪
最初は二条城にも天守があったそうですが、やはり将軍の住居らしい雰囲気がしますね。

投稿: りせ | 2020年2月22日 (土) 00:54

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