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2020年2月11日 (火)

妙伝寺 西見延とまねき書き

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

東山二条の交差点南東に妙伝寺(妙傳寺)があります。「妙伝寺」(妙傳寺)は山号を法鏡山といい、日蓮宗京都八本山の一つです。

室町時代の文明9年(1477)円教院日意が師・日朝の命により、豪商・薬屋妙善の援助を受けて一条尻切屋町に建立したのが始まりです。(交差点の南東角にある日蓮像。)

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身延久遠寺の宗祖・日蓮の遺骨を分骨奉安し、身延七面山の七面天女と同木同体の霊体を安置しました。そのため「西身延」といわれ、関西以西の日蓮宗信者はこぞって参拝したと伝えられています。

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しかしながら、天文5年(1536)に比叡山衆徒が洛中洛外の日蓮宗21本山を焼き打ちし(天文法華の乱、日蓮宗にとっては天文法難)、妙伝寺も破却されました。(東大路通に面している山門)

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天文10年(1541)に新たに西洞院四条に再興し寺観を整えたのですが、天正19年(1591)豊臣秀吉により京極二条の地に移転を命じられました。(本堂には本尊の十界曼荼羅を安置しています。)

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当時の貫主、第6世・慈眼院日恵は逆境の中で布教活動に専念し、前にも増して寺は興隆したと伝えられています。この時、一条家、四条家の菩提寺となり、日恵は妙伝寺の中興の祖とよばれています。(扁額は「写西見延」とあります。)

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第8世に心性院日遠が就き、第14世・法性院日勇は学徳が高く、後水尾天皇皇后・東福門院より金紋袈裟を賜り、山科に護国寺を開創して、山科檀林を開創。第16世には寂遠院日通が就き、寺は興隆しました。

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ところが、宝永5年(1708)に宝永の大火が起こり、再び全ての建物が焼失してしまいました。第29世・住心院日義が現在地(東大路二条)に寺を再興し、第35世・了遠院日勤は、一万回に及ぶ説法をして浄財を集め、1764年現在の本堂を建立しました。

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「片岡碑」 明治から昭和初期にかけての11世片岡仁左衛門を記念しての碑。妙伝寺は、東京の池上本門寺などとともに、松嶋屋・片岡仁左衛門家の菩提寺です。(山門の横、本堂の向いにあります。)

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本堂の右手(南)には塔頭が並んでいます。

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一番奥の塔頭「本光院」 毎月「信行会」が開催され、法話と参加者には持参した朱印帖に見開きの首題(法華経28品から功徳のある経文)が順番で頂けるそうです。

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上の写真の左に見える本堂が改修され、2月9日(日)に宗祖御降誕八百年と本堂落慶法要が行わました。

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この道の突き当りは墓地の入口です。ここには、江戸時代の歌舞伎役者、初代・片岡仁左衛門(1656-1715)の墓があるのですが、広い墓地で場所が分かりませんでした。

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江戸時代の俳人・成田蒼虬(そうきゅう、1761-1842)の墓と句碑。蒼虬は加賀藩士の出身で芭門中興の祖、梅室、鳳朗とともに「天保三大家」といわれ、八坂に対塔庵を結びました。

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墓への道の北側に建物が並んでいます。「寺務所」「妙伝寺内玄関 朱印札所」「本山総受付」の看板がかかっています。

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本堂の裏の「客殿」は醍醐寺三宝院から移築したものです。京都の年末の風物詩、南座の「吉例顔見世興行」の「まねき書き」はこの客殿で行われます。

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筆太で丸みのある「勘亭流」で出演者のまねき看板を書家の川勝清歩さんが書き上げます。まねき書きが当寺で行われるようになった経緯は分かりませんが、南座とゆかりが深く、京都出身の松島屋の菩提寺であることが理由なのかも知れません。

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「浄行菩薩」 法華経に現れる菩薩で、水が垢や穢れを清めるように、煩悩の汚泥を洗い注いでくれる水徳を持つとされています。

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本堂の左手(北)に鐘楼と日蓮上人の遺骨を納める廟堂とがあります。

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廟堂の扁額には「高祖舎利」とあります。上から3枚目の写真は廟堂の前に入る門で、「日蓮上人御分骨乃道場」という石柱が立っています。

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こちらは鐘楼の中、立派な梵鐘が架かっています。

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七卿落ちの四条隆謌(たかうた、1828-1898)の墓が、上の墓地ではなく廟堂の裏にあります。隆謌は幕末に攘夷派公卿として幕府に建言していましたが、八月十八日の政変で失脚、官位を剥奪されました。(山門の横に石標があります。)

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1867年の王政復古の後京に戻り官位を復され、戊辰戦争では各地の追討総督を務めました。明治新政府では陸軍少将、各地の鎮台司令長官、陸軍中将を歴任、後に侯爵、貴族院議員となりました。墓には妻・春子も眠っています。

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コメント

この寺はある意味、火には弱いのかもしれませんね。
梅の花は、大阪もちらほち咲き始めているようです。
嬉しい春ですよね。

投稿: munixyu | 2020年2月11日 (火) 12:35

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