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2020年2月28日 (金)

新京極通 寅薬師・蛸薬師堂・安養寺・善長寺

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日の記事の誠心院を出て、新京極通を南に歩くと四つの寺に出会います。現在は小さな寺ですがいずれも由緒ある古刹です。

「西光寺(寅薬師)」 山号を北亀山という浄土宗西山深草派の寺で、京都十二薬師の第11番札所です。

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鎌倉時代の弘安年間(1278~1288)に後宇多天皇から下賜され、寅薬師と称した薬師如来を安置するために御倉堂を建立したのが始まりと伝わっています。

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この薬師如来は弘法大師が一刀三礼して刻んだもので、寅の日の寅の刻に完成したことから、寅薬師の名がついたといいます。もとは宮中に持仏として安置され、歴代の天皇の信仰を集めたそうです。

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お堂は天明の大火(1788)と蛤御門の変(1864)で焼失、翌年に再建されました。さらに、明治44年に焼失したあと、大正2年に再建され仮建築のまま現在に至っています。

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堂内には安産守護の腹帯地蔵尊像も祀られていて、腹帯を授与しています。この地蔵尊は京都名地蔵二十一地蔵の一つで洛陽四十八願所の第34番です。

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寅年生まれだけでなく、広く開運繁栄、無病息災などの諸願成就の信仰を集めています。

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「蛸薬師堂(永福寺)」 寅薬師から3軒目にあり、正式名は浄瑠璃山林秀院永福寺、山号を法性山という浄土宗西山深草派の寺です。この日は閉まっていたので、過去の写真を載せます。

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平安時代末の養和元年(1181)室町の林秀が、比叡山の御本尊薬師如来の夢告により、伝教大師が彫った石仏の薬師如来を掘り出し、六間四面の堂を造って安置して永福寺と名づけたのが始まりとされます。

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鎌倉時代の建長年間(1249-1256)住持の善光の母が重い病になりました。母は好物だった蛸を食べれば治るかもしれないといいます。善光は僧侶の身でしたが、母を思い市場に出かけて蛸を買い求めました。

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不審を抱いた人々が善光を門前で止めて箱の中を見せよと責めます。困った善光が薬師如来に祈ると、蛸の八足は八軸の経巻に変わりました。人々は合掌して「南無薬師瑠璃光如来」と称えると、経巻は再び蛸に変わりました。

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蛸は、門前にあった池に入り瑠璃光を放ち、光は善光の母を照らして病はたちまち回復したそうです。それ以来、薬師如来は蛸薬師如来、参道は蛸薬師通と呼ばれるようになったという伝承があります。

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「安養寺(倒蓮華寺)」 蛸薬師堂からさらに南に行くと、東側町の東西の道(蛸薬師通の延長)に出会います。新京極通から少し東、この通り沿いに山門があります。

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浄土宗西山禅林寺派に属し、平安時代の寛仁2年(1018)に恵心僧都が奈良県當麻(たいま)に建てた蓮台院が始まりで、恵心の妹安養尼が居住して安養寺と改名しました。(左には提灯に書かれた仏様が祀られているようです。)

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天永年間(1110年頃)隆暹(りゅうせん)が京都に遷し、鎌倉時代に証仏(しょうぶつ)が大いに興隆させました。安土桃山時代の天正年間(1580年頃)豊臣秀吉によってこの地に移されました。(本堂がある2階に上がります。)

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本尊の阿弥陀如来立像は八枚の蓮華を逆さに置いた上に立っていて、このことから倒蓮華寺と呼ばれています。伝説によれば、本尊をつくるとき、蓮座がどうしても壊れるので逆さにしたところ、無事完成したそうです。

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これは女人は業が深く、心の蓮華が逆さまとなっていて極楽往生できないので、これを救うためにわざと蓮華を逆さにしたのだそうです。この伝説によって、昔から女性の信仰が篤いといわれています。1階の奥には北向地蔵尊、この右から外に出られます。

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出口は新京極通に面していて、2階の本堂が見えます。

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「善長寺」 安養寺から南に2,3軒目にあり、山号を大原山という浄土宗西山禅林寺派の寺です。古くから瘡神(くさがみ)さんと呼ばれ、子供の麻疹や水疱瘡平癒の信仰を集めてきました。正面にお堂があります。

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室町時代の永正年間(1504-1520)忍想上人が綾小路室町善長寺町に創建したのが始まりとされます。そのとき、境内に福知山・大原神社より鎮守社として大原神社が勧請されました。

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本堂には本尊・阿弥陀如来と枕反(まくらがえし)地蔵、別名・立江(たちえ)地蔵)を祀っています(上の写真)。かっては疱瘡(天然痘)の平癒にご利益があるとされ、瘡神(くさがみ)として信仰されました。下は北向地蔵尊。

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瘡神という疫病神を拝んで災いを鎮めるのです。安土・桃山時代(1591年)豊臣秀吉の都市改造によって現在地に移転しましたが、大原神社だけ旧地に残されました。

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ちなみに、大原神社は善長寺町の鎮守で祇園祭・綾傘鉾の会所が設けられています。お札の上納金のトラブルで福知山の大原神社と疎遠になっていましたが、2001年に250年ぶりに和解したそうです。下は過去の宵山の写真。

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天然痘が根絶されてからも、麻疹や水疱瘡、湿疹や皮膚病に御利益があると信仰されてきました。立江地蔵は、もともと四国88箇所巡りで有名な徳島県の立江寺の本尊の分身とされ、国家鎮護、無病息災や延命のご利益があるとされています。

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江戸時代中頃から立江地蔵は洛陽四十八願所地蔵巡りの第35番霊場となっています。

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コメント

入口は狭いのに、中は意外と広いのですね。
京都はたまにこういう、入口だけ狭い不思議な建物がありますよね。

投稿: munixyu | 2020年2月28日 (金) 12:11

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