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2020年1月23日 (木)

革堂(行願寺) 行円と観音霊場・七福神

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の清荒神を後に、寺町丸太町下ルにある革堂(こうどう)に来ました。山門(表門)は1864年の蛤御門の変で焼失、明治3年(1970)再建された藥医門です。

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「革堂」は、正式名所を行願寺(ぎょうがんじ)、山号を霊麀山(れいゆうさん)という天台宗の寺院で、西国第19番札所です。

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平安時代の寛弘元年(1004)行円が一乗小川にあった一条北辺堂を復興したのが始まりといわれます。人々の成仏を「願い、行(ぎょう)じる」という思いから行願寺と名付けられました。

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行円は猟師でしたが、射止めた牝鹿が愛おしそうに小鹿をなめながら息絶える様子を見て、殺生の罪を悔やみ仏門に入ったと伝えられています。

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行円は、その牝鹿の革(かわ)衣に経文を書いて寒暑に関係なく身につけていたので、革聖(かわひじり)と呼ばれ 、やがて人々は寺を革堂とよぶようになりました。

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本尊の「十一面千手観世音菩薩」は行円が賀茂の霊木を彫ったと伝えられ、秘仏になっています。行願寺は何度も火災に遭い、本堂は江戸時代(1815年)に再建されたもので、京都市指定有形文化財。 

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本堂の右手に宝物館の「行願寺会館」があり、その前に並んでいる鉢は平安時代を代表する草花の藤袴で、西国三十三所開創1300年記念行事として再生が図られています。

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宝物館には行円が着ていた革衣が保存され、行円像は密教行者のしるしである宝冠をかぶっています。他に、悲しい物語のある「幽霊絵馬」、紙本弁財天尊画像、朱印状(桃山~江戸時代)などが収蔵されています。下は「参拝のしおり」から。

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上の西国十九番とは、「西国三十三所」の観音霊場巡り十九番札所のことです。奈良時代の養老2年(718)、長谷寺の開基・徳道上人が亡くなるとき、冥土の入口で閻魔大王から三十三箇所観音霊場巡礼の託宣を受けたことにはじまるとされます。

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閻魔大王から、生前の罪業によって地獄へ送られる者があまりにも多く、この巡礼によって人々を救うようにと、起請文と三十三の宝印を授かり、徳道上人は現世に戻されたといいます。平安時代になると民衆にも観音信仰が広がりました。

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上と下は本堂の前の小堂で、天道大日如来(中央)と延命地蔵菩薩(左右)が祀られています。

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この時代は藤原氏の摂関政治の全盛期でもあり、行願寺が創建された時期は藤原道長が絶大な権勢を誇っていました。その娘が行願寺で出家するなどゆかりが深く、行願寺が三十三所に加えられたようです。(手水舎)

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本堂の左に「行円上人布教之真影」 左の「車石」は、京都周辺の三街道に人馬道とは別に牛車が通るために2列に敷かれた石です。雨でぬかるんだ峠道でも、都に物資を運ぶ重い牛車が通ることができました。

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本堂のななめ向かいに「寿老神堂」があり、豊臣秀吉が万人快楽のため行願寺に奉納したと伝えられる寿老神像(桃山時代作)を祀っています。

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「寿老人(じゅろうじん)」は中国の伝説上の人物で、酒を好み長寿を授けてくれるとされます。頭が長く、不死の霊薬が入った瓢箪を運び、長寿と自然との調和のシンボルである牡鹿を従え、手には長寿のシンボル・不老長寿の桃を持っています。

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革堂の寿老神(人)は、都七福神を始め、京の七福神、京洛七福神、京都七福神の札所となっています。

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寿老神は福禄寿と同一神と考えられて七福神から外された時期があり、そのときは「猩猩(しょうじょう)」が入りました。猩猩は酒を好む二足歩行の伝説上の動物で、能をはじめいろいろな説話に登場します。(奉納された七福神の石像)

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「鎮宅霊符神堂」 文化10年(1813)に建立され、鎮宅霊符神(北辰妙見菩薩ともいわれる)を祀ります。人の運命を司る北極星の信仰において、家の安泰、家族の幸福のたまえに御札をくださる神(秘仏)です。

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「鐘楼」 現在の建物は文化元年(1804)の造営で、京都市有形文化財です。室町時代に革堂の鐘は上京の町衆の集合の合図だったそうです。

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「百体地蔵尊」 上の看板の横に「梵鐘再鋳落慶記念」と書いてあります。おそらく戦時中に供出された梵鐘を再鋳するときに、このお堂を建て境内の石仏を集めたものと思われます。

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境内の西北の隅にある「加茂大明神五輪塔」 室町時代の作とされます。五輪塔の水輪がくり抜かれて、その穴に「加茂大明神」が彫られています。

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行円は、賀茂社の神木のケヤキの木を頂いて、本尊の千手観音を彫ったという伝承から、加茂大明神が祀られたといわれています。

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二つ上の祠は「出世弁財天堂」で、1983年落慶、総檜造で宮大工・榊原鉄三・省三両氏により改築、弁舌・音楽・学芸の神とされる弁財天を祀ります。

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コメント

七福神は、みんな集まって楽しそうなところがいいですよね。
南天の実は、もう実り過ぎて重たそう。
たくさん実って、嬉しいことです。

投稿: munixyu | 2020年1月23日 (木) 18:56

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