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2020年1月14日 (火)

六波羅蜜寺 2020正月

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

松原通を東大路から西に下ると子育て幽霊飴のお店があり、そこから南に入ると六波羅蜜寺があります。「六波羅蜜寺」は山号を普陀落山(ふだらくさん)、院号は普門院という真言宗智山派の寺院で、「六はらさん」ともよばれます。

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南の門の正面に「弁天堂」があります。平安時代後期、崇徳天皇の夢告により禅海が造った弁財天が祀られています。1156年に天皇は保元の乱で皇位争いに敗れて、讃岐に流されて亡くなりました。

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 その後、天皇が寵愛した阿波内侍は屋敷を寺院(現在の祇園歌舞練場付近)に改め、弁財天を祀りました。明治時代の廃仏毀釈によりその寺院は廃寺となり、弁財天が当寺に遷されたといわれています。都七福神の弁財天としても知られています。

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平安時代中頃の951年、村上天皇の勅命により、空也上人は都に流行していた悪疫退散のために、自ら6尺の十一面観世音菩薩と1尺の梵釈四天王を刻み、車に載せて市中を曳き廻しました。念仏を唱えながら踊り病魔を鎮めたといわれています。

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963年、空也は鴨川東岸に観世音菩薩を本尊とした仮仏殿(西光寺)を建立して、鴨の河原に600人の僧を集めて落慶供養しました。これが六波羅蜜寺の前身とされます。(祈祷などの受付)

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972年に空也は西光寺で亡くなりましたが、977年空也の弟子の2世・中信が西光寺を再興しました。(弁天堂の左に「大聖歓喜天」のお堂があります。)

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その際、六原の地名と梵語の六波羅蜜から六波羅蜜寺と改名して天台別院になりました。波羅蜜(はらみつ)とは仏教の修行において獲得すべきものを表し、

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六波羅蜜は悟りを得るために必要とされる資質で、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧を指します。その後藤原氏の摂関家の庇護もあり、仏像の造立や堂宇が整備されました。

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本尊として空也上人作の「十一面観世音菩薩立像」(国宝、秘仏)が安置されています。辰年に開帳され、特別に公開される年もあります。また、西国三十三所第17番札所で、1月17日に初観音詣があります。二つ上の写真の銅像はレプリカともいわれます。

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平安時代末になると、平忠盛がこの地域(六波羅)の土地を購入し、平清盛ら平家一門の屋敷が建てられ、六波羅殿と呼ばれました。最盛期には五千以上の建物が並び、平家による政治の中心地になりました。(宝物館の案内写真)

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平家の政治は長くは続かず、1183年に木曽義仲が都を攻めると、平家は自ら六波羅第(清盛の泉殿、頼盛の池殿、小松殿、通盛邸)に火を放ち、西海に逃れ都落ちしました。この時、六波羅蜜寺は本堂を除いて焼失しました。「無事かえる」の石

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源頼朝は京都守護を六波羅に置いて平氏の残党狩りと市中警護を行いました。後の1221年に後鳥羽上皇による承久の乱が鎮圧された後、京都守護は六波羅探題に改組されました。下の石標には「此附近 平氏六波羅第、六波羅探題址」とあります。

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1242年頃深草興聖寺の道元はここで『正法眼蔵』の説法を行いました。下の石標には「曹洞宗高祖 道元禅師御説法遺蹟」とあります。

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六波羅蜜寺は源平両氏の興亡や北条、足利と続く時代の兵火の中心ともなりましたが、源頼朝、足利義詮による再興修復をはじめ、火災に遭うたびに修復されました。「なで牛」

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豊臣秀吉は大仏建立の際に、本堂を補修して現在の向拝を附設、寺領70石を安堵しました。徳川代々将軍も朱印を授け寺領を安堵しました。「朱印」とは領地を安堵する幕府の書類(の印)のことです。

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本堂の北の授与所の前に鐘があり、六道まいりでは迎鐘を撞いて使者を迎えます。その後に仏像が安置されています。

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左は「水掛不動尊」 源義経がこの不動尊の横の松の木に兜をかけて戦いの勝利を祝い、勝運成就の功徳があるとされます。

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「銭洗い弁財天」 柄杓の水で清めたお金を持ち帰って貯えておくと金運を授かるのだそうです。本堂の左に戻ります。

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右は「阿古屋塚」 白拍子の阿古屋は平家の落ち武者狩りの詮議に引き出され、源頼朝の命をつけ狙う平景清のいどころを白状しろと迫られます。阿古屋は、琴、三味線、胡弓をつづけて演奏して、その音色が乱れていないことで、潔白と認められ許されました。

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上の左は「平清盛墓」。各地で源氏が挙兵する中、清盛は迎え撃つ準備をしていましたが1181年熱病で死去しました。「葬儀などは無用。頼朝の首を我が墓前に供えよ」と遺言したとされます。墓地の「六波羅浄心苑」には阿古屋地蔵尊があります。

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ちなみに、都七福神は室町時代に京都でおこった日本最初の七福神信仰で、次第に日本各地に拡がっていったといわれます。

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ゑびす神(ゑびす神社)、大黒天(松ヶ崎大黒天)、毘沙門天(東寺)、弁財天(六波羅蜜寺)、福禄寿神(赤山禅院)、寿老神(革堂)、布袋尊(万福寺)からなり、正月に参詣すると福がもたらされるとされます。

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事務局は六波羅蜜寺にあり、元旦より一月末まで定期観光バスが運行され、各社寺で御軸・大護符(色紙)・御宝印帖が用意されています。

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コメント

少し変わった雰囲気の寺ですね。
和風というより、中国風なのかもしれません。
絵馬も、なんとなく中国風の七福神っぽいですよね。

投稿: munixyu | 2020年1月14日 (火) 13:30

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