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2020年1月17日 (金)

六道珍皇寺 初ゑんま詣2020

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

1月11日(土)〜13日(月・祝)、1月16日(木)の期間、「六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)」の「初ゑんま詣」が行われ、法要、特別拝観、寺宝公開、お札の授与、閻魔堂の開帳などがありました。

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平安時代中頃まで、ここから東は鳥辺野という葬送地で、この通りは冥土への通路、六道の辻と呼ばれていました。(TOPの写真の山門の左手前に「六道の辻」という石碑があります。参道の右手にある「薬師堂」では薬師如来(重文)が公開されていました。)

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この寺の創建については様々な説がありますが、平安遷都前後の延暦年間(782-806)に空海の師・慶俊が創建した宝皇寺(愛宕寺)が前身だという説が有力です。(薬師如来の絵馬があります。)

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平安時代中期ごろまで、上京の死者は、蓮台野の引接寺(千本閻魔堂)、下京の死者はこの寺に運ばれました。右は「水子祠堂」、左は「お岩大明神」で、昔、四谷怪談のお岩さんの像が持ち込まれ、寺では社を造って供養しているのだそうです。

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当寺の住持は引導を渡して使者の霊を浄土に旅立たせ、遺体は鳥辺野へ運ばれました。(「閻魔堂(篁堂)」 弘法大師像、閻魔大王座像、小野篁像が安置されています。閻魔大王座像は小野篁の作ともいわれています。)

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小野篁(802-853)と当寺との関係にはいくつかの説がありますが、篁が閻魔堂を建て盂蘭盆会を行ったともいわれています。篁は身長が6尺2寸(180㎝)あり閻魔堂に祀られている像は実物大だそうです。下の写真を始め何枚かはパンフレットからの転載です。

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当寺の盂蘭盆会は、小野篁があの世で母の霊に遭い、その苦しみを救うために、多くの供物を捧げたことに始まるといわれています。

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「迎鐘」がつるされている「鐘楼」 盂蘭盆会ではこの鐘の音は冥土まで届き、使者の霊を現世に呼び戻すとされます。ひき棒につながれた綱がお堂の外に垂れ、この綱を引くと鐘が鳴ります。鐘の下に冥途へつながる井戸が掘られているとか。

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左は「延命地蔵尊」 地蔵菩薩の功徳のうち、特に地獄の鬼から子どもを救い、寿命を延ばすという信仰が発展し、江戸時代には延命地蔵などさまざまな地蔵の呼び名が生まれました。正面の東門は盂蘭盆会のときに開きます。

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「大石地蔵尊」 高さ約2・3mもあり、昨年末に光背と錫杖が信者の寄進によって約150年ぶりに新調されました。地蔵菩薩は閻魔大王の化身とされ、

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閻魔像に五戒を守る誓いをたて、地蔵菩薩に息災を願うのが習わしとか。下は左にある「水子地蔵尊」。

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「三界万霊十方至聖」の石塔 野辺送りに先立ち、住持はここで引導を渡したといいます。三界とは欲界、色界(物質の世界)、無色界(欲も物もない世界)をいい、この世の生きとし生けるすべての霊を供養して浄土へ導くのだそうです。

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謡曲『熊野(ゆや)清水詣』の一節「愛宕(おたぎ)の寺も打ち過ぎぬ 六道の辻とかや 実に恐ろしやこの道は 冥土に通ふなるものを」、かってはこのあたりは愛宕と呼ばれ、奥嵯峨の愛宕念佛寺もこちらにありました。

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本堂は1890年の再建で、本尊の「薬師如来坐像」、脇侍に「日光・月光菩薩像」の薬師三尊像が安置されていて、京仏師の中西祥雲作とされます。左に拝観入り口があります。

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室内では撮影できませんが、縁側から庭は撮影可能だそうです。普段は、本堂の右手の格子窓からこの方向が眺められます。

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小野篁は昼は朝廷に仕え、毎夜、冥土へ入り閻魔大王のもとで死者に対する裁判に立会っていたという伝承があります。平安時代末の『今昔物語集』には、病死して閻魔庁に引据えられた藤原良相を小野篁がとりなして蘇生したという逸話もあります。

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「竹林大明神」 小野篁の念持仏が祀られているとされます。右に「小野篁冥土通いの井戸」があります。

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井戸の傍に高野槙が生え、篁はその枝をつたって冥途に入り、冥界の閻魔庁に通ったといいます。この井戸は入口で、出口は嵯峨野大覚寺門前六道町にあった福生寺とされます。

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寺には古くから篁ゆかりの井戸がもう一つあるとの口伝がありました。2011年に境内北の民有地からそれと思われる井戸が発見され、「黄泉(よみ)がえりの井戸」と名づけられました。上の写真の右奥に通路があり、外へ出る木戸の手前です。

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ところで、閻魔大王のルーツはインド神話のヤマ神とされます。ヤマ神は人間の祖ともいわれ、人類最初の死者となったことから冥界で死後の世界を支配し、生前の行為に従って死者に賞罰を与え、恐れられる冥府(冥土)の王となりました。

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仏教に取り入れられてからは、密教において十二天のひとりの閻魔天となり、仏界を警護する「天」に属する仏として南方の方位を守る護法神となりました。閻魔天は中国において道教の冥界思想と融合して閻魔大王となったとされます。

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わが国では、「閻魔天」は平安時代、「閻魔大王」は鎌倉時代以降、浄土教の隆盛や十王信仰の浸透とともに知られるようになりました。閻魔天(閻魔大王)の斎日の正月と7月の16日は、『地獄の釜の蓋が開く日』ともいわれます。 (北門)

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実は閻魔さまは優しい心の持ち主で、その怖い顔は融けた銅を飲み込んで地獄に送られる人々の苦しみを体験しているといわれます。(庭の隅に水琴窟があります。)

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また、当初は第一審の裁判官でしたが、情にもろくてつい許してしまい、生き返る人が多くて困ったことになったそうです。

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そこで、第五審の裁判官に異動させられ、死後35日経ているので許そうにも死者には帰る肉体が無いことが多く、トラブルが減ったという話も伝わっています。(小野篁作とされる閻魔大王)

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三界万霊十方至聖の石塔の周りにはいろいろな草花が植えられています。

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コメント

もう、初ゑんま詣なのですね。
どんどん行事が終わっていきますよね。
『地獄の釜の蓋が開く日』と聞くと、なんとなく怖いです。
地獄は、釜の中にあって煮えたぎっていると思うと、臨場感があり、さらに怖くなってしまいます。

投稿: munixyu | 2020年1月17日 (金) 14:17

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