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2020年1月24日 (金)

下御霊神社 怨霊信仰と民間信仰

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

革堂を後に、その北にある下御霊神社を訪れました。「下御霊神社」は古くから御所の鎮守としで鎮座してきましたが、境内には民間信仰の多くの摂社もあります。TOPの写真の正門は仮御所の建礼門を移築したものです。

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鳥居の横にある狛犬は 嘉永7年(1854)に寄進されたもので、ユーモラスな表情をしていて絵馬にも登場します。特に下の阿形は「笑う狛犬」ともいわれ人気のようで、狛犬御籤(みくじ)になっています。

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正門の前に説明板があって、梁に施された彫刻に初めて気付きました。大きい梁の中央に龍が彫られ、その上の表の化粧梁には玄武と朱雀に乗った仙人、裏の化粧梁には麒麟と鳳凰が飾られています。

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平安時代は華やかな貴族文化が栄えた一方で、災害や疫病が繰り返し起こった不安な時代でもありました。人々はその原因が貴人の怨霊がもたらすものと考えました。怨霊となった貴人とは、政治抗争の中で冤罪を被り非業の死を遂げた人々です。

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その怨霊を、御霊(ごりょう)として祀り慰めることにより、災禍から守っていただこうと御霊会(ごりょうえ)が行われました。863年5月20日神泉苑で最初の御霊会が行われ、六つの霊前に花果を供え、高僧が読経し、新作の歌舞音曲を舞いました。

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そのとき御霊として祀られのは崇道天皇(早良親王)、伊予親王(桓武天皇皇子)、藤原夫人(伊予親王母)、橘逸勢(はやなり)、室宮田麻呂(ふんやのみやたまろ)で、後に藤原広嗣が加えられて六所御霊と総称されました。

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さらに吉備真備、火雷神(火雷天神)が加わり八所御霊となり、出雲路の上御霊・下御霊に祭神として祀られました。この2神については諸説あり、吉備真備は不慮の死を遂げていないので、当社では六座の御霊の和魂と解釈しているそうです。

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また、火雷天神はしばしば菅原道真と解釈されますが、道真が天神として祀られるのは当社の鎮座より後世になるので、当社では六座の御霊の荒魂と解釈しているそうです。

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和魂(にきたま、にぎみたま)は平和、調和などを司り、徳を備えている神霊で、荒魂(あらたま、あらみたま)は、荒々しく、戦闘的な神霊、あるいは、たたりの可能性がある神霊ともいわれています。

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 上と下は祭神を警護する随身像で、俗に右大臣(祭神から見て右)、左大臣(同左)ともいわれます。左大臣の方が位が高いので、年配の姿をしています。

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その後、下御霊神社の方は2度の移転の後、安土桃山時代の天正18年(1590)豊臣秀吉の寺社整理に伴いこの地に移転して現在に至っています。現在、本殿(京都市指定文化財)、土塀および末社(京都市景観重要建造物)の傷みが激しく、

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急いで修理をする必要があるとのことです。神社では千年以上続いた信仰と歴史を後世に伝えるために1人でも多くの方のご奉賛(1口千円)を呼び掛けています。(社務所・授与所)

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本殿の左の「三社」は右から「八幡社」、「神明社(伊勢神宮)」、「春日社」で、それぞれ八幡大菩薩、天照皇大神、春日大明神を祀っています。

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中世から近世にかけてこの三社信仰が盛んとなり、神託(神のお告げ)が書かれた掛け軸が出回り庶民の間にも広まりました。八幡は清浄、伊勢は正直、春日は慈悲を象徴するとして子供たちの教育の規範にもなりました。

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大きくない境内ですが、これらの三社以外に多くの末社があります。いずれも民間信仰の対象で、住民が常時お詣りできるように勧請したものです。言い換えれば、多くの末社は、神社が住民に愛されてきた歴史を示しているともいえます。

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本殿の右手にある「神輿庫」は天明の大火の類焼を免れ、この神社の最古の建物です。この神社は皇室や公家との関係が深く、社殿の新造や改修にはかなりの額の寄進がありました。扉の内側に菊の御紋があります。

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屋根の上に鶴の彫り物が乗っていることに気が付きました。

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境内の南にある「五社相殿社」は、右から斎部社(斎部神、社家の祖神)、大将軍社(大将軍八神、方位の神)と高知穂社(高知穂神、厄除)、愛宕社(愛宕大神、火除)、日吉社(日吉大神、方除)を祀ります。 

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「大国主社」 江戸時代の文化4年(1807)に建立され。大国主命とその子・事代主命(ことしろぬしのみこと)を祀ります。福の神、縁結び、恋愛成就の神です。

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「天満宮社」 御霊信仰の代表的な例として全国に菅原道真を祀る天満宮、天神社、道真社などが造られ「天神信仰」が広がりました。道真が学者であったことから、後に学問の神としても信仰されるようになりました。梅の木に蕾ができていました。

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拝殿に向かって左側(境内の北)に大きなオガタマノキ(左)があります。一方、右側の百日紅は一昨年の台風によって太い幹が折れてしまったようです。

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境内の北にある「宗像社」は田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命の3女神を祀っています。海の神、航海安全の神、運輸交通の神として信仰されてきました。

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「稲荷社」は稲荷大神を祀ります。もとは穀物(稲)の神でしたが、平安時代以降家内安全、商売繁盛の神として稲荷信仰が全国に広がるようになりました。神殿は寛政5年(1793)、拝所は嘉永5年(1852)の建立です。

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「猿田彦社」(猿田彦大神、道案内の神)、「垂加社」(山崎闇斎)、「柿本社」(柿本人麻呂、歌道・学問文芸の神) 山崎闇斎は吉田神道に儒学を取り入れ、道徳性の強い垂加(すいか)神道に発展させました。

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境内の北の「山崎闇斎祠堂碑」には、先生の教えは公家や大名にも影響を与え、門弟は6千人に上り多くの尊王思想家を輩出、明治維新の原動力となった。明治40年(1907)に正四位が追贈されたのを機に、その業績と垂加社の沿革を記すとあります。

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「手洗舎」 江戸時代の明和7年(1770)の干ばつの際、当時の神主が夢のお告げにより境内の一か所を掘らせたところ、清らかな水が沸き出て皆に汲ませることができたそうです。それは、「感応水」と名付けられました。

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当時の井戸は現存しませんが、再堀された現在の井戸も同じ水脈からか、美味しいと評判になり、水を汲みに来る人が絶えません。

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コメント

文化財や、こういう神社の修復などは、
とにかくお金が掛かって、お金が集まるまでに、
さらに老朽化して予算が嵩張るから大変でしょうね。
こういうところに国も、国ももう少しお金をかけて欲しいですよね。

投稿: munixyu | 2020年1月24日 (金) 13:46

★munixyuさん こんばんは♪
自治体も財政難で、どうしても文化財への補助は後回しになってしまいます。一方で、大いに利益があがっている企業もあります。文化財への助成をすると、税制的に有利となるしくみを作ることが必要だと思います。特に、京都では、文化財が最も重要な観光資源ですので。

投稿: りせ | 2020年1月28日 (火) 00:49

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