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2020年1月19日 (日)

新熊野神社と後白河上皇

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今熊野にある新熊野(いまくまの)神社に行ってきました。「新熊野神社」は熊野信仰が盛んだった平安時代末期の永暦元年(1160年)、後白河上皇によって創建されました。

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後白河天皇は1155年に即位、1158年に退位した後も引き続き院政をしき、そのときの住まいが現在三十三間堂の東側にある法住寺です。その鎮守社として上皇が深く帰依していた熊野三山の神を勧請して創建したのが新熊野神社です。

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上皇は平清盛に命じて、熊野から土砂材木等を運び社域を築いて社殿を造営、神域に那智の浜の青白の小石を敷き霊地熊野を再現して、熊野の新宮・別宮としました。左手に「樟龍弁財天」

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上皇は一生のうちに34回も熊野に参詣しましたが、当時の都人が熊野に参詣することは容易ではなく、また世情が不安定な時期で参詣を断念せざるを得ないことも多かったと考えられています。

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手水舎の右に入口があり、創建当時上皇が熊野から移植した、お手植えの大樟(京都市指定天然記念物)に触れることができます。この神社特有の神・樟龍弁財天(大樟大権現)のご神体になっています。

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以後、新熊野神社は長らく京の熊野信仰の中心地として栄えました。「新熊野」を「いまくまの」と読むのは、紀州の熊野に対して京の新しい熊野と当時の都の人々が考えたからです。「拝殿」と「本殿」

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本殿の左右に御神木の椥(なぎ、梛)が植えられています。当社は古来からり「梛の宮」とも呼ばれ、このあたりは今熊野椥ノ森町といい、周辺は椥が鬱蒼と茂っていたことがうかがえます。

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新熊野神社には熊野三山の全ての神々「熊野十二所権現」が祀られています。本殿の祭神はその一つで、他はその周囲の社(やしろ)に祀られています。

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奥の「本殿」には熊野牟須美大神(くまのむすびのおおかみ、千手観音)を祀ります。カッコの中の千手観音はその本地仏を示します。

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神道の神は姿がないとされ、人々を救うために仏教の仏や菩薩の姿となったものが本地仏です。熊野信仰もそのような神仏習合の宗教で、その使いが八咫烏(やたがらす)です。

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咫は長さの単位で、親指と人差指を広げた長さ(約18cm)が一咫です。しかし、八咫烏では単に「大きい」という意味に使われています。本殿の左にいくつかの社があります。

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「上之社」 祭神は速玉之男大神(はやたまのおのおおかみ、薬師如来)と熊野家津御子大神(くまのけつみこのおおかみ、阿弥陀如来)です。本殿の祭神と合わせた以上の神は、熊野三山の主祭神で、「熊野三所権現」と呼ばれます。

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「中之社」 祭神は天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと、地蔵菩薩)、瓊々杵尊(ににぎのみこと、龍樹菩薩)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと、如意輪観音)、鵜葺草葺不合命(うかやふきあえずのみこと、聖観音)です。

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「京の熊野古道」の入口があります。本殿の裏の高くなった場所に、熊野古道を模して「熊野九十九王子」と呼ばれる神々が祀られています。以下では一部だけを紹介します。

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「熊野曼荼羅」 熊野本宮八葉曼荼羅を基に描いたもので、ここに当社の考える神の世界が描かれているそうです。 四角の外枠が結界で、その内側が当社の境内、すなわち「神の世界」で九のブロックに分けられています。

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後白河上皇は1169年に出家して法皇となってからも、源平の台頭の中で王権を維持しようと奮闘しました。熊野古道の中ほどに法衣姿の法皇像があります。

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「熊野三山」 左は御神体の「那智の滝」。中央はかって熊野川と音無川が合流する地点の中洲にあった「本宮」で、現在でも大鳥居が建っています。右は元々熊野川の河口神倉山の山頂にあった速玉(新宮)を表します。

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後白河法皇は1179年に平清盛の謀反により鳥羽殿に幽閉され、1183年の法住寺合戦では木曾義仲に襲撃され六条西洞院の御所に幽閉され、この地で亡くなりました。本殿の右手に下ります。

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「若宮社」 祭神は天照大神( 十一面観音)

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「下之社」 祭神は、穀物や養蚕の神・稚産霊命(わくむすびのみこと、釈迦如来)、火の神・遇突智命(かぐつちのみこと、文殊菩薩、普賢菩薩)、土の神・埴山姫命(はにやまひめのみこと、毘沙門天)、水の神・弥都波能売命(みづはめのみこと、不動明王)。これで熊野十二所権現をすべて回りました。

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南北朝時代の1374年、観阿清次・藤若丸父子はこの地で、大和の猿楽結崎座の興行を行いました。観覧していた室町幕府将軍・足利義満は、その芸に感動して、それぞれ観阿弥、世阿弥と名乗らせました。

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この「今熊野勧進猿楽」が日本の能楽の起源で、新熊野神社が能楽発祥の地といわれます。上と下2枚の写真はその記念碑と説明板。

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新熊野神社は応仁の乱以降も度々の戦火に見舞われ、一時は廃絶同様になりました。江戸時代初期の後水尾天皇の中宮・東福門院(徳川家光の妹)が再建、現在の本殿は1663年聖護院宮道寛親王(後水尾上皇の皇子)が修復したものです。

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「花の窟(いわと)」は熊野にあるとされる伊邪那美命の埋葬地を模したもので、京の熊野古道と同様に木片の造形を活かした彫刻です(作者は書かれていません)。新熊野神社は神社本庁に属さない独立神社です。 

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宮司さんは、神社の役目は参拝者が気持ちよく神に祈る環境を整えることで、神社本庁やその傘下の神社が国民に反対が多い政治活動をすることは本来の姿ではないと考えているそうです。

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コメント

独特の黒いカラスの絵がいいですね。
ご利益がありそうです。

投稿: munixyu | 2020年1月19日 (日) 12:34

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