« 六波羅蜜寺 2020正月 | トップページ | 明智光秀の足跡をたどる 山崎の戦い »

2020年1月15日 (水)

安井金毘羅宮 2020正月

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

Job_0486a
※写真は全てクリックで拡大します。

東山安井にある安井金毘羅宮は縁切りの神社として知られますが、その創建の歴史はちょっと複雑です。この日は1年の最初の縁日、初金毘羅祭(1月10日)でした。

Job_0491a

飛鳥時代の天智天皇の代(668-671)、藤原鎌足が一族の繁栄を祈願して仏堂を建立、藤を植樹して藤寺と名づけました。平安時代後期、崇徳上皇(1119-1164)はこの藤を愛で、1146年に堂塔を修造して寵愛する阿波内侍を住まわせて、たびたび訪れました。

Job_0496a

若くして譲位した崇徳上皇は、子の皇位継承問題で後白河天皇と争った保元の乱(1156)に敗れ、讃岐に流され亡くなってしまいました。この時、後白河天皇方では源義朝や平清盛が活躍し、源頼政も加わっていました。(「絵馬の道」の碑と手水鉢)

Job_0503a

悲嘆にくれた阿波内侍は出家して、上皇自筆の尊影を藤寺観音堂に奉納して、日夜ひたすら拝んだとされます。翌年、阿波内侍は寂光院に入り、後に入寺した建礼門院に仕え、その最期をみとったといわれています。(授与所・社務所)

Job_0522a

1177年大円法師が観音堂に参拝した際に崇徳上皇の霊が現れ、それを聞いた後白河法皇は詔(みことのり)を残し、後の建治年間(1275~77)に建立された「光明院観勝寺」が安井金毘羅宮の始まりとされます。(金毘羅会館)

Job_0520a

一方、鎌倉時代初期の1200年、後白河天皇皇女の殷富門院亮子(いんぷもんいんりょうし)内親王は、安井御所(右京区太秦)内に御堂を建て、真言宗の蓮華光院としました。下は1978年に設置された「縁切り縁結び碑(いし)」。

Job_0523a

形代(かたしろ)といわれる紙に願い事を書いて本殿に参拝します。その後、願い事を念じながらこの碑の穴を潜り抜け、最後に形代を貼り付けるのが作法です。最初に表からくぐり悪縁を切り、裏からくぐり良縁を結びます。

Job_0656a

蓮華光院の開基はそこで養育された以仁王(もちひとおう)の遺児・道尊僧正です。以仁王は後白河上皇の皇子で、清盛がその院政を停止して幽閉したクーデターに反発、1180年に源頼政とともに挙兵して敗死していました。(広場の隅に可愛い狛犬がいます。)

Job_0529a

源頼政は平家の政権下で唯一源氏として重用されました。ところが、あまりの横暴に挙兵するも準備不足で、宇治川の戦いで敗死しました。しかし、このとき以仁王が諸国の源氏に発した平家追討の令旨が、やがて平家滅亡の契機となります。

Job_0548a

土御門天皇皇子の道円法親王(1224-1281)が入寺した以後、蓮華光院は法親王が住持を務める門跡寺院となり、その住持は安井門跡ともよばれました。(拝殿)

Job_0631a

当社の前身の光明院観勝寺は応仁の乱(1467~77)で荒廃しましたが、1695年太秦安井にあった蓮華光院が現在地に移建された時に、その鎮守として再建されました。上述のように二つの寺社はともに後白河法皇にゆかりがあります。

Job_0559a

その際、安井門跡・道恕が讃岐金刀比羅宮を模した社殿を造り、崇徳天皇に加えて金刀比羅宮より勧請した大物主神(おおものぬしのかみ)を祀ったことから安井金比羅宮とよばれるようになりました。その時、源頼政も合祀されました。(本殿)

Job_0619a

讃岐での悲嘆にくれる軟禁生活の中、崇徳上皇は金毘羅大権現(大物主神)を深く敬い幾度となく参拝しました。金刀比羅宮の境内には今も上皇参籠の旧蹟があるそうです。当社の海上安全・交通安全のご利益は大物主神のご神徳です。

Job_0647a

一方、源頼政は平等院で清盛の大軍に囲まれた以仁王を逃がすために立てこもって最後まで戦い自害しました。以仁王ゆかりの蓮華光院が移転するときに、その鎮守として祀られたと思われます。(本殿の左奥に御神木があります。)

Job_0622a

明治時代の神仏分離令後の1873年、蓮華光院は大覚寺山内に移され、その後廃寺となりました。(御神木の横に鎮守社があります。)

Job_0626a

一方、安井金比羅宮は現在地に残され安井神社と称しました。終戦後の1945年、安井神社は再び安井金比羅宮と改称しました。(村上天皇の「安井の藤」の歌碑「まとゐしてみれとも あかぬ藤なみの たゝまくをしきけふ にもあるかな」)

Job_0552a

結局、当社は後白河上皇に敗れて配流された崇徳上皇、上皇を守るために犠牲となった以仁王と源頼政にゆかりの神社ということになります。(北の参道、北端に石鳥居があります。)

Job_0570a

北の鳥居近くにある覆屋の中に、厳島社、三宝稲荷社と三社がありますが、三社の祭神は不明です。

Job_0572a

向かいに末社の「天満宮」 菅原道真を祀っています。天満宮25社巡拝所の一つで、最近社殿が新しくなりました。

Job_0587a

天満宮の狛犬は江戸時代の1767年に建立され、京都で最も古い狛犬といわれています。

Job_0574b

「久志塚」 古い櫛の供養塚で、美顔のご利益があるといいます。左は「吉川観方小直衣之像」で観方(賢次郎、1894-1979)は画家、風俗研究家、右の祠は「桜之宮」です。

Job_0598a

9月第4月曜日の「櫛まつり」では、塚の前で神事が行われ、使い古した櫛を塚内へ納めます。その後拝殿で舞踊「黒髪」が奉納され、伝統の髪型と風俗衣装をまとった時代風俗行列が神社周辺、祇園界隈を練り歩きます。

Job_0603a

境内の北西の「八大力尊社」は石造りの八体の像を祀り、詳細は不明ながら蓮華光院の柱を支えていた力石だったと伝えられています。社殿を新築した際には、大覚寺と安井金毘羅宮が合同で法会・神事を行ったそうです。

Job_0605a

かっては地盤固めや基礎固め、現在では基礎能力向上や困難に負けない力を授けてくれる神様として崇敬されています。

Job_0610a

最後になりましたが、当神社の縁切りのご利益は、崇徳天皇が讃岐の金刀比羅宮で一切の欲を断ち切って参籠したことに由来するそうです。

Job_0497a

お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Job_0640a

|

« 六波羅蜜寺 2020正月 | トップページ | 明智光秀の足跡をたどる 山崎の戦い »

コメント

縁結びも大切ですが、
ある意味、縁切りの方が大切なのかもしれません。
最近は、変な事件が多い世の中ですし。

投稿: munixyu | 2020年1月15日 (水) 11:48

★munixyuさん こんばんは♪
紹介できませんが、怖い縁切り祈願の絵馬が多くあります。それは、自分の彼を奪った相手や嫌な上司など、この世からいなくなって欲しいという絵馬です。まるで呪いの祈願ですが、これで精神的に安らぐのでしょうね。

投稿: りせ | 2020年1月27日 (月) 23:43

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 六波羅蜜寺 2020正月 | トップページ | 明智光秀の足跡をたどる 山崎の戦い »