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2019年12月 7日 (土)

天龍寺 2019紅葉

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日の記事の宝厳院を出て、天龍寺を訪れました。法堂を過ぎて総門から続く参道に来ると、左(南)には鮮やかな紅葉、右(北)には塔頭の塀が続きます。

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塔頭の塀沿いにもカエデが植えられ、日当たりがよいのか鮮やかに紅葉していました。

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並んだ塔頭の北端に天龍寺の鎮守「八幡社」があります。

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「天龍寺」は山号を霊亀山(れいきさん)、正式名称を天龍資聖禅寺(てんりゅうししょうぜんじ)という臨済宗天龍寺派の大本山です。参道の正面は「庫裏」でお堂の拝観入口があります。

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平安時代初期、この地には嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子が開いた檀林寺がありました。その後の鎌倉時代中期、荒廃した檀林寺の跡地に後嵯峨天皇とその皇子・亀山天皇が離宮を営み、「亀山殿」と称しました。「僧堂南門」

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僧堂南門から、宮内庁管理の「亀山天皇陵」と「後嵯峨天皇陵」が見えます。

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最近はお堂には上がらず、庭園だけを拝観します。向うに見えるのは「大方丈」で、総門の左にある勅使門から、放生池、法堂、唐門、大方丈と伽藍が一直線に並んでいます。

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大方丈の前庭で、左に唐門があります。

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「亀山」は、天龍寺の西方にあり紅葉の名所として知られた小倉山のことで、山の姿が亀の甲に似ていることからこの名があります。天龍寺の山号「霊亀山」もこれにちなんでいます。(大方丈を通して裏庭が見えます。)

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1336年、後醍醐天皇と対立した足利尊氏が持明院統(北朝)の光明天皇を擁立して幕府を開きました。尊氏は1338年征夷大将軍となり、この年を室町幕府の始まりとする説もあります。(大方丈の横)

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大方丈の裏(西)にある「曹源池庭園」、約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめ、わが国最初の史跡・特別名勝に指定されました。右の建物は「小方丈」奥の山は借景の亀山。

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1338年、後醍醐天皇は吉野で崩御しました。翌年、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、大覚寺統(南朝、亀山天皇の系統)の離宮であった亀山殿を寺に改めたのが天龍寺です。

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中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園で、嵐山や亀山を取り込んだ借景式庭園でもあります。寛政11年(1799)に刊行された「都林泉名勝図会」に描かれた姿をよく残しているといわれます。

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正面の2枚の巨岩を立てた「龍門の滝」は、中国の登龍門の故事になぞらえたものです。通常の鯉魚石は滝の下に置かれますが、この石は滝の流れの横に置かれ、龍と化す途中の姿を現す珍しい姿をしているそうです。

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こちらは池の南側で、大堰川を隔てた嵐山が借景となっています。

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足利尊氏と後醍醐天皇は敵対する関係でした。尊氏は後醍醐天皇が始めた建武の新政に反発して反旗をひるがえし、天皇は尊氏追討の命を出しています。(小方丈の前から)

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後醍醐天皇の崩御に際して、その菩提を弔う寺院の建立を尊氏に強く勧めたのは、当時、武家からも尊崇を受けていた禅僧・夢窓疎石でした。(小方丈から渡り廊下が多宝殿に続きます。内庭は嵐山の景観を表しています。)

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多宝殿には後醍醐天皇の尊像が祀られています。現在の建物は昭和初期の建立ですが、後醍醐天皇の吉野行宮(あんぐう)時代の紫宸殿の様式を伝えています。後醍醐天皇は南朝のあった奈良県吉野の塔尾陵に葬られています。

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夢窓疎石は1325年に後醍醐天皇の要望により上洛し、勅願禅寺である南禅寺の住持となりました。その後、北条氏や鎌倉幕府に招かれ、瑞泉寺や円覚寺の住持となり、善応寺や恵林寺を開きました。(池の裏を通る散策路)

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鎌倉幕府が滅亡し、建武の新政を開始した後醍醐天皇に招かれて1335年に臨川寺を開山し、後醍醐天皇から「夢窓国師」の国師号を授けられました。この時の勅使役が足利尊氏で、以後尊氏も疎石を師と仰ぎました。(展望台への坂道から)

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一方で、夢窓疎石は幕府の重臣・中原親秀に請われて西芳寺を中興。尊氏は、後醍醐天皇の菩提を弔う天龍寺を創建するとともに、全国に安国寺を建立し利生塔を設置しました。展望台に来ました。

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天龍寺の建設資金を調達するため疎石は天龍寺船の派遣を尊氏に献策しました。展望台は「望京の丘」と呼ばれ、龍寺の伽藍越しに、市内中央部や比叡山から東山が見渡せます。

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無窓疎石は1351年に死去し臨川寺に葬られました。臨川寺は亀山上皇の離宮の別殿「川端殿」に建てられ、現在は天龍寺派の寺院です(非公開)。望京の丘から下る途中から「愛の泉」と「平和観音」が見えます。 

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「硯石」 明治32年(1899)年に龍図を描いた鈴木松年画伯と当時の管長をしのぶすずり石の石碑。字が上達するご利益が授かれるとされます。このあたりから北門にかけて「百花苑」と呼ばれます。

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無窓疎石が設計したとされる天龍寺と西芳寺(苔寺)の庭園は、国の特別名勝に指定、世界遺産に登録され、永保寺、瑞泉寺、恵林寺の庭園は国の名勝に指定されています。百花苑は春は様々な花が咲きますが、紅葉も多くあります。

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無窓疎石は、後醍醐天皇を始めとする7代の天皇からそれぞれ国師号を賜り、七朝帝師とよばれています。(北門近くは嵯峨野の竹林の一部になっています。)

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この後、北門から竹林の小径に出ました。

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