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2019年12月 3日 (火)

神護寺 金堂から展望台へ 2019紅葉

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

間があいてしまいましたが、神護寺の後半です。前半では参道入口から金堂まで来ました(下は金堂からの眺め)。

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金堂の左手に「龍王堂」があります。昭和初期、大檀越・山口玄洞により、金堂、多宝塔、和気公霊廟などとともに再建され、農・漁業に関わり水を司る水神の龍王を祀ります。

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多宝塔への石段の途中から金堂、このあたりはまだ一部しか紅葉していませんでした(11月23日)。

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「多宝塔」 内陣には平安時代前期作の「五大虚空菩薩坐像」(国宝)が安置され、10月の連休に御開帳されます。

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神護寺の前半の記事で、和気氏にゆかりのある「神願寺」と「高雄山寺」が平安時代初めの824年に合併して、その寺が神護寺の始まりというところまで紹介しました。

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多宝塔から降りたところから、地蔵院への近道があります。ここから一旦小さな谷に下ります。

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「閼伽井(あかい)」 平安時代初めの812年、空海が金剛界、胎蔵界両部の伝法灌頂を行った際に掘って、浄水を儀式に用いたといわれ、今も水が湧いています。

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空海は大同4年(809)から14年間高雄山寺に住し、合併する前年に東寺に移りました。その後、神護寺は空海の弟子の実慧や真済が別当(住職)となりましたが、平安時代末期には衰退してしまいました。(閼伽井からの水が池となっています。)

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武士出身の僧・文覚は、源頼朝や後白河法皇の援助を得て神護寺、東寺、高野山大塔、東大寺など、各地の寺院の所領を回復したり建物を修復しました。下は俳人・能村登四郎(1911-2001)の句碑「初紅葉せる羞(はじら)ひを杉囲み」。

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文覚は神護寺の中興の祖となりましたが、その完全な再興は弟子の上覚(上覚房行慈)によって成し遂げられました。(地蔵院と池、このあたりでは一番の高台にあります。)

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「地蔵院」は明治33年(1900)に再建された塔頭で、地蔵菩薩(世継地蔵)を祀ります。

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その後、鎌倉・南北朝時代には後醍醐天皇が神護寺に行幸、灌頂を受けるなど朝廷とのつながりが続きました。しかし、室町時代の応仁の乱(1467-1477)により焼失、さらに天文年中(1532-1592)の兵火でも焼失しました。

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安土桃山時代に豊臣秀吉により寺領が寄進されました。(かわらけ投げの展望台に来ました。)

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かわらけは厄除と書かれた素焼きの皿で、それを清滝川の谷(錦雲渓流)に向けて投げます(的はありません)。神護寺は各地で行われている「かわらけ投げ」の発祥の地といわれます。

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錦雲渓流や周辺の山々はまだ紅葉が始まったばかりのようでした。ここから楼門の方に引き返します。

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展望台の隅にある「廣田先生之碑」 広田虎之助(1866‐1917)は、明治-大正時代の教育者で、明治43年京都の聚楽(じゅらく)小学校から兵庫県の高砂小学校に招かれ校長となりました。独自に開発した聚楽式算術教授法を実践したことで知られます。

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関ヶ原の戦いの後には徳川家康によって寺領が返還されました。1623年京都所司代・板倉勝重が奉行になり、細川忠興の援助も得て、多くの伽藍が再建されました。(楼門前の広場)

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明治元年(1868)の神仏分離令後の廃仏毀釈により、境内や寺領は没収され、塔頭9、坊15が廃止されました。(楼門から急な石段を下ります。)

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明治7年(1874)、和気清麻呂と広虫を祀っていた清麻呂霊廟護王社は別格官幣社となり、「護王神社」と改名され御所の守護神としてその西に遷されました。(最後の折り返し地点にある高雄茶屋)

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昭和10年(1935)、京都の豪商・山口玄洞の寄進により、金堂、多宝塔、清麻呂廟、書院の唐門などの伽藍の再建、修復が行われました。(参道の入口に戻り、高雄橋が見えてきました。)

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戦後の昭和27年(1952)ようやく現在の寺領地が返還され、現在に至ります。(ここからバス停のある周山街道まで登ります。)

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昨年は台風の被害によってこの坂道が通行止めになり、高雄への観光客・参拝客の足が遠のいてしまいました。下は坂道の途中から清滝川の対岸、石段参道の下の崖です。

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坂道の最後に、倒壊した建物がまだ残っていました。

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山城高雄のバス停、ここから周山街道を北に行くバスに乗って最後の目的地・落葉神社に向かいました。

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コメント

同じ紅葉でも、
ところ変われば、紅葉も変わるで、
場所によって、趣きも何もかも違いますよね。
不思議なものです。

投稿: munixyu | 2019年12月 3日 (火) 13:44

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