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2019年12月 6日 (金)

金戒光明寺 紅葉巡り2019

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日、紅葉の穴場として金戒光明寺塔頭の栄摂院を紹介しました。その後、金戒光明寺の伽藍や他の塔頭の紅葉を見ながら境内を巡りました。

栄摂院の向かいにある「龍光院(りょうこういん)」は、江戸時代初めの1605年、武将・滝川雄利により、早世した娘の菩提を弔うために創建されました。


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滝川雄利は豊臣秀次失脚事件に連座し、関ヶ原の戦いでは西軍に属して敗退、それぞれ所領を失いましたが秀吉、家康の御咄衆(おはなししゅう)として赦免されました。

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御咄衆は将軍や大名の側に仕えて話し相手をする職で、後にその講釈話から講談や落語が生まれたといわれます。真如堂からからの道は御影堂の左に出て、龍光院はその途中にあります。

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ここから西(奥)に行き、境内を一周して御影堂の前に戻ってきます。その前に山門の紅葉の状態を見に行きました(TOPの写真)。右の「永運院」は安土桃山時代の天正19年(1591)阿闍梨永継により創建されました。

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幕末の嘉永年間(1848-1854)に山門建立により立ち退いた永運院が浄専院と(現在地にあった)妙蓮院を吸収、三か寺の本尊の阿弥陀如来を安置しています。本堂(方丈)は江戸初期に宮城豊盛が建立、浄土宗の方丈遺構とし京都府登録文化財(表門も同文化財)。

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「西翁院(さいおういん)」 安土桃山時代の天正4年(1576)茶人・藤村庸軒の祖父、源兵衛が創建。茶室「澱看席(よどみのせき)」から遠く淀川や山崎方面が見えたので「淀見の茶席」、寺は「よどみの寺」と呼ばれました。

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山門の内側から西に行く道沿いにある「西住院」、谷崎潤一郎が大正14年7月~9月ここで過ごし、病気の濱本浩を見舞い、鹿ケ谷の和辻哲郎を訪ねた話を書いています。 隣の「超覚院」は工事中です。

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山門の下まで来ました。「山門」は江戸時代の万延元年(1860)に完成、楼上内に釈迦三尊像と十六羅鑑像が安置され、正面に後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の勅額。天井に蟠龍図があります。

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山門の内側から、この日は秋の特別公開(12月8日まで)として楼上内部が公開されていました。市内が一望できて絶景だそうです。

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横に深紅の紅葉がありました。ここから東の文殊塔の方に向かいます。

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「金光院」 山中鹿介と亀井茲矩(これのり)の墓があります。鹿介は尼子家の勇将で主家復興のために奔走しましたが、上月城で毛利軍に包囲され、援軍の秀吉が退いたため孤立し無念の降伏、処刑されました。

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茲矩は鹿介とともに尼子家再興に尽くしました。後に秀吉に仕え「琉球守」と称し、秀吉没後は家康に接近して、朱印状を認可され東南アジア貿易などで活躍しました。「極楽橋」

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蓮池は「兜之池」ともいい、一ノ谷の戦いで平敦盛を討ち取ったことで知られる熊谷次郎直実が、殺生の無常を悟り、出家を決意して兜を置いた場所とされています。

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文殊塔への石段の途中にある「五劫思惟阿弥陀仏像」 五劫という長い時間、もろもろの衆生を救おうと思惟を続けて頭髪(螺髪)がこのようにアフロヘア―になってしまいました。

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平安時代の1175年法然上人がこの地にあった白河石に腰を掛け念仏を称えると、紫雲がたなびき芳香がたちこめたといわれます。法然はここが念仏道場に相応しいと悟り、草庵を結んだのが金戒光明寺の始まりとされます。「文殊塔」

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「西雲院(さいうんいん)」 江戸時代初めの元和2年(1616)、宗厳(そうごん)が金戒光明寺・住職から上の「紫雲石」を賜り、この地に草庵を結んだのが始まりとされます。(唯一、常時公開されている塔頭です。)

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以下に宗厳が紫雲石を授かることになったいきさつを。宗厳は朝鮮に生まれましたが、文禄・慶長の役(1592-1598)の際に秀吉の家来小野木重勝に捕らえられて日本に渡ってきました。

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その後、北政所に献上された宗厳は、その命により滝川雄利の娘の使用人となりました。息女は大変器量がよく北政所のお気に入りでした。(向うは本堂で、紫雲石は左のお堂の中にあります。)

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宗厳は息女に良く仕えましたが、1605年僅か17歳で亡くなってしまいました。宗厳30歳の時です。父の滝川雄利は娘の死を悼み、戒名の龍光院殿花顔芳春大禅定尼にちなんで龍光院(この記事の最初の塔頭)を建立しました。

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息女の死に人生の無常を感じた宗厳は、許しを得て出家しました。そして11年間諸国を巡り修行の後、1616年黒谷に帰って来ました。

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龍光院の墓前で一心に念仏を唱え続けている宗厳を見て、金戒光明寺第27世了的は感動して寺宝の紫雲石を与え、西雲院を開山させました。一心不乱に念仏修行をする宗厳を慕い多くの僧侶が集い、西雲院は念仏道場として栄えたそうです。

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山門の前に宗厳の墓があります(上の写真の中央)。宗厳は滝川雄利の娘にひそかな恋心をいだいていたのではないかと思います。もう一度、蓮池の前まで下ります。

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陽が落ちて、空が暗くなってきました。蓮池の前から坂道を上り、特別夜間拝観(12月8日まで)に向かいました。御影堂、大方丈が公開され、邦楽の演奏や、紅葉の庭園がライトアップされます。

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30分はやく拝観でき、庭師かコンシェルジュの案内がある特別拝観プランや、食事付きプランもあるそうです。下の写真は大方丈、一番下が拝観受付のある御影堂です。

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コメント

山門の横の深紅の紅葉。
これは、物凄いですね。
こんなに大きな紅葉は、見たことがないかもしれません。
珍しいですね。
綺麗です。

投稿: munixyu | 2019年12月 6日 (金) 12:02

★munixyuさん こんばんは♪
いつもお返事が滞りすみません。紅葉の季節も終りましたが、まだ写真が少し残っています。確かに、この山門の紅葉は見事でした。

投稿: りせ | 2019年12月18日 (水) 23:34

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