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2019年11月18日 (月)

九十九折参道から鞍馬寺金堂へ2019

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の由岐神社を出て鞍馬寺の九十九折(つづらおり)参道を登ります。すぐに、鞍馬出身の俳人・山本青瓢の歌碑があります「火祭や鞍馬も奥の鉾の宿」。

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参道には、源義経(幼名・牛若丸)ゆかりの史跡が残されています。「川上地蔵堂」は牛若丸の守り本尊の地蔵尊が祀られています。

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「義経公供養塔」 牛若丸が住まいした東光坊跡に昭和15年建立、義経の魂は少年時代を過ごした鞍馬山に眠っていると伝えられているそうです。江戸時代にはこの参道沿いに十院九坊と呼ばれた塔頭が並んだそうです。

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平安中期、時の権力者、白河上皇や藤原道長・頼通、藤原師通などは、都の郊外にある深山・霊山の鞍馬寺に相次いで参詣しました。それに伴い、平安王朝に仕える多くの女流文学者も来山して鞍馬山を作品に残しています。振り返って由岐神社

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澤村洋二作「いのち」 鞍馬山の本尊・尊天(大宇宙の生命・エネルギー・真理)を具象化して、下部に広がる大海原は一切を平等に潤す慈愛の心、光かがやく金属の環は曇りなき真智の光明、中央に屹立する山は全てを摂取する大地の力強い活力を象徴しています。

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この辺り一帯を「双福苑」と呼び、天に聳える杉を「玉杉大黒天」と尊崇、左に福徳の神の「玉杉大黒天」の祠があります。右の「玉杉恵比寿尊」の祠は、昨年の台風により倒壊、まだ再建できていません。

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清少納言は『枕草子』で 「遠きて近きもの くらまのつづらをりといふ道」と綴り、菅原孝標の女は『更級日記』で鞍馬寺での参籠を「春ごろ、鞍馬にこもりたり。山際霞みわたりのどやかなるに」と述べています。

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信樂香雲の歌碑「つづらをり まがれるごとに水をおく やまのきよさを 汲みてしるべく」。香雲は大正8年(1919)に住職となり、江戸後期の全山焼失、明治の神仏分離令などによって荒廃した鞍馬寺の復興に力を尽くしました。(手前の三角の石です。)

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「中門」 もともと山麓の仁王門の横にあった四脚門で、朝廷の使いが通る勅使門でした。ここで折り返して右の方に登ります。

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「皇后陛下行啓御休息蹟」 大正13年、貞明皇后(大正天皇の皇后)が行啓した際に休息された場所です。

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紫式部は『源氏物語』で、光源氏の最愛の女性、紫上との出会いを「北山のなにがし寺」として、鞍馬寺がモデルといわれています。「福寿星神」

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中門あたりから急な石段となり、ちょっと息が上がります。

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参道はここで折り返します。向うはケーブルカーの山上駅からの道で、駅の前に多宝塔、道の途中に弥勒堂があります。

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さらに参道を登ると「巽の弁財天社」 学芸・財宝を司る福神、弁財天を祀ります。弁財天は水を司る神でもあり、水琴窟が置かれています。

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江戸時代、本尊・毘沙門天が武神から福神へと信仰の形を変え、鞍馬願人が江戸や大坂で護符を配り、多くの参拝客が全国から集まりました。

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。また、桜の名所として知られ、所司代や町奉行所が、桜をみだりに折ってはならないという禁制を何度も出したそうです。

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右に「転法輪堂・洗心亭」 1階の「洗心亭」は参拝者のための無料休憩所とギャラリーを併設しています。2階の転法輪堂には伝重怡上人礼拝之仏、木造阿弥陀如来座像(江戸時代作)を安置しています。(TOPの写真はこの石段上からです。)

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転法輪堂の手水舎、迫力がある龍が水を吐いています。この裏から転法輪堂の前に回り込めます。

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平安時代に13年間も堂内に籠り、毎日12万遍の弥陀宝号を唱え続けた重怡(じゅうい)上人が、6万字の弥陀宝号を書いて法輪に納めたのが転法輪堂の名の由来です。

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「寝殿」 転法輪堂の前にあり、貞明皇后の行啓の際に休息所として建造されました。現在は非公開ですが、8月に開催される如法写経会の道場や、行事の参加者の控室として利用されています。

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1200余年前に鞍馬寺を開創した鑑禎上人は律宗に属し、その後堂宇を整備した藤原伊勢人は、鎮護国家の毘沙門天と慈悲の観音を一体として併せ祀りました。本堂がある広場に登ってきました。本堂のある広場に着いて下は「休憩所」。

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中興の祖の峯延(ぶえん)上人は真言宗の十禅師ともいわれています。平安時代後期の天永年間(1110-1113)に天台座主の忠尋(ちゅうじん)上人が入山、その後天台宗の時代が長く続きました。休憩所の左奥に藤棚があります。

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藤棚の向こうに「閼伽井護法善神社」 平安時代の寛永年間(889-898)修行していた峯延上人を2匹の蛇が襲い、雄蛇は討たれ、静原山(竜王嶽)に捨てられました。雌蛇は、魔王尊に捧げるお香水を永遠に絶やさないということを誓います。

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雌蛇は水の神として祀られ、以来水が涸れることはないといわれます。この伝説にちなんで、6月20日に行われる「竹伐り会式」(たけきりえし)」が始まりました。大蛇に見立てた青竹を僧兵姿の鞍馬法師らが山刀で斬り、その早さを競ってその年の稲作の豊凶を占います。

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鞍馬山には、神代以前からの古神道や陰陽道、修験道等の山岳宗教の歴史があります。また、宗派に捉われない懐の深さが鞍馬寺の宗教伝統といわれています。

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大正時代に鞍馬寺を復興した(初代管長)信樂香雲は、昭和22年上述の多様な信仰の歴史を統一して「鞍馬弘教」と名付け、昭和24年鞍馬寺は天台宗から独立して鞍馬弘教の総本山となりました。

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「本殿金堂」は、宇宙の大霊、尊天の働きを象徴する千手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊(脇侍、役行者・遮那王尊)を奉安する中心道場です。

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金堂を護るのは、狛犬ならぬ狛虎です。毘沙門天の出現が、寅の月、寅の日、寅の刻とされ、虎が毘沙門天の使いの神獣とされています。

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絵馬には可愛い狛虎が描かれています。

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金堂前の「金剛床」は、宇宙のエネルギーである尊天の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模して、内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものである尊天と一体化する修行の場となっているそうです。

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「翔雲台」 平安京の安寧のため本尊が降臨した場所とされ、板石は本殿金堂の後方より出土した経塚の蓋石です。経塚には平安時代からの200余点の遺物が納められ「鞍馬寺経塚遺物」として国宝に指定されています。

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「光明心殿」 金堂西側にあり、松久朋琳(ほうりん)作の護法魔王尊像を安置しています。松久朋琳(1901-87)は京都に生まれ、10歳から70年間仏像を彫り続け、晩年京都仏像彫刻研究所を主宰して、仏像彫刻の普及にも努めました。、

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「金剛寿命院」 金堂の西にあって、鞍馬寺寺務所や鞍馬弘教宗務本庁が置かれる本坊です。左の前庭「瑞風庭」は、奥の院に護法魔王尊が降臨する様子を表現、右には立砂があります。

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コメント

九十九折参道、ここは本当に険しいところですよね。
石段なんかも急勾配で、結構過酷そうで、
それこそ天狗の力がほしいものですね。

投稿: munixyu | 2019年11月18日 (月) 12:38

★munixyuさん こんばんは♪
九十九折参道は、最初は緩やかな坂が、石段となって傾斜が厳しくなります。それでも、見所が随所にあるので助かります。

投稿: りせ | 2019年11月21日 (木) 01:24

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