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2019年11月 3日 (日)

泉涌寺 御寺2019

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は泉涌寺を訪れました。「泉涌寺(せんにゅうじ)」は。山号を泉山(せんざん)という真言宗泉涌寺派の総本山で、皇室との関連が深く御寺(みてら)とも呼ばれます。「総門」は江戸時代の建立。

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平安時代前期の天長年間(824-834)、空海がここに草庵を結び、法輪寺としたのが起こりといわれています。参道の両側には幾つかの塔頭がありますが、別の機会に紹介します。

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後の855年、僧・神修が中興し、天台宗の仙遊寺(せんゆうじ)と改称されました。(参道の坂道をしばらく上ると分かれ道があり、左に今熊野観音寺、中央が月輪陵、後輪陵などに至る参拝道、右が泉涌寺の大門への道です。)

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下は看板になっている境内図で、分かれ道から先を切り取るなど少し修正してあります。

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「大門」(重文)は慶長年間(1596-1615)に造営された内裏門(南門)を移築した本瓦葺の四脚門。蟇股に唐獅子、龍、麒麟、獏などが彫られています。

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大門からの「降り参道」の下に仏殿などの諸堂が建っています。このような伽藍配置は、関西では他に延暦寺があります。大門を入った左に楊貴妃観音堂がありますが、こちらも別の機会に。

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「仏殿」(重文)は、江戸時代の1668年に将軍・徳川家綱により再建され、現存する唐様建築、禅宗様仏殿の中では最大規模です。内陣に鎌倉時代-江戸時代の釈迦、阿弥陀、弥勒如来の三尊仏(三世仏)を安置しています。

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鎌倉時代の建保6年(1218)月輪大師・俊芿(がちりんだいし・しゅんじょう)が宇都宮信房からこの地を寄進され、宋の法式を取り入れた大伽藍の造営を始めました。大門をくぐった右に「経蔵」があります。

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嘉禄2年(1226)に主要伽藍が完成、泉涌寺では月輪大師を開山としています。「浴室」 も寛文期の再建(京都府指定文化財)で明治30年(1897)現在地へ移建されました。

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月輪大師が伽藍を造営したとき、敷地の一角から清水が湧き出たことから「泉涌寺」と改称されました。 仏殿の右手に「水屋形」があり、現在まで涌き続けています。建物は江戸時代の寛文期の再建で京都府指定文化財。

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「清少納言歌碑」(右) 藤原行成と交わした歌「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ」。清少納言が仕えた一条天皇皇后らはこの地の鳥辺野陵に葬られ、清少納言は尼となり冥福を祈る余生を送ったといいます。

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「舎利殿」(京都府指定文化財)は慶長年間、京都御所の建物を移築・改装、仏殿と同時代に現位置へ移されました。開山の月輪大師が熱望していた仏牙舎利(釈迦の歯)を弟子の湛海律師が安貞2年(1228)に宋朝より請来して安置しています

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右手に「唐門」があります。

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「霊明殿」は明治15年(1882)に炎上、同17年明治天皇によって再建された尊牌殿で、入母屋造り桧皮葺き、外観は宸殿風の建物です。内陣に四条天皇像(木像)と御尊牌(位牌)をはじめ、

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明治から昭和の天皇・皇后の御真影、御尊牌が安置され、それ以前の天皇家の御尊牌は左右の御扉内に安置されて、毎日回向が行われているそうです。 右に「月輪稜(つきのわのみささぎ)」の入口があります。

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月輪大師は、後鳥羽・順徳上皇、後高倉院をはじめ、北条政子、泰時なども受戒し、朝廷や公家・武家両面から深く帰依されました。大師の死後も皇室の帰依は篤く、仁治3年(1242)四条天皇崩御の際は、当寺で葬儀が営まれ山稜が境内に造営されました。

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その後、南北朝~安土桃山時代の諸天皇、続いて江戸時代に後陽成天皇から孝明天皇に至る歴代天皇・皇后の葬儀は当寺で行われ、山稜が境内に設けられて月輪陵と名づけられました。

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こうして泉湧寺は御香華院として、皇室の長く篤い信仰を集めることになり、「御寺(みてら)」と呼ばれるようになりました。御香華院とは皇室の菩提寺のことです。

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「本坊・御座所」 特別拝観の料金が必要です。正面が本坊で拝観入口になっています。

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明治15年(1882)の霊明殿の炎上とともに、庫裡・書院も焼失しました。 明治天皇は、霊明殿の再建と併行して京都御所内にある皇后宮の御里御殿を御座所として移築しました。右が「御座所」。

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御車寄に続く一棟は六室に別れ、南側は西から侍従の間、勅使の間、玉座の間、北側は西から女官の間、門跡の間、皇族の間と呼ばれています。建物の内部は撮影できません。

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南東に一段高くなった玉座の間があり、特徴ある違い棚が備えられ、障壁の瑞鳥花弁図は土佐派の宮廷絵師の筆です。すべての部屋の襖はいろいろな主題の絵が描かれ、付属建物の襖絵と合せて、宮廷生活の一端が偲ばれます。

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「御座所庭園」 御座所の南から東南にかけて、小さな庭が造られています。建物の移築時に造園されました。

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塀の向こうに霊明殿や御陵拝所がありますが目立たず、低い築山、白砂になだらかな境界を持つ苔地が配置されています。

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東南には池があり、ツツジやウメモドキの刈込、楓や松が植えられていて、新緑や紅葉の頃が美しいといわれています。

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御座所は両陛下をはじめ皇族方の御陵への参詣の際の休憩所として現在も使われているそうです。この蹲(つくばい)は菊の御紋の形をしています。

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カエデが色づき始めていました。

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作品の展示会が行われていた「華道月輪未生流」は泉涌寺長老(管長)を家元として伝わる華道の流派で、歴代皇族への献華が始まりだそうです。左奥の小高い場所に鎮守社が祀られています。

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江戸時代前期の1668年に豊川稲荷が勧請され、拝殿と本殿からなり本殿は一間社流造で銅板葺です。苔が美しい場所でした。

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コメント

考えてみると、木造建築の保存というのは
大変なことなのですね。
火に弱いものの管理は、気が抜けないわけで、
京都は凄いと思います。
紅葉も木なわけですし。

投稿: munixyu | 2019年11月 3日 (日) 18:08

★munixyuさん こんばんは♪
平和になった江戸時代でも京都や江戸は何度も大火に見舞われていますね。建物が木のうえに、照明、料理、暖房など全てに火を使うので、人口が密集している都市は危険だったと思います。

投稿: りせ | 2019年11月 8日 (金) 22:38

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