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2019年11月24日 (日)

高山寺 石水院と遺香庵

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は栂尾(とがのお)・高山寺に行ってきました。昨年は、台風により大きな被害を受け、紅葉の頃に訪れるのを控えていました。下はバス停前にある「とが乃茶屋」。

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「高山寺」は山号を栂尾山という、真言宗の単立寺院です。バス停近くにある裏参道から上ります。

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昨年9月4日の台風21号により、樹齢100年以上の大木を含む200本以上の倒木、金堂・開山堂・仏足石の損壊、石垣や地盤の崩落等の甚大な被害を受け、今なお復旧が困難な状況だそうです。

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さいわい、仏像等の宝物や国宝・石水院は無事で、現在は石水院と特別公開中の茶室・遺香庵のみが拝観可能となっています。例年秋には、入山料が必要でしたが今年は無料です。

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高山寺の歴史は古く、奈良時代後期の774年、光仁天皇の勅願により、慶俊らを開創として創建されました。当初は、神願寺都賀尾(じんがんじとがのお)坊と称し華厳宗の寺院でした。平安時代初めには都賀尾寺と呼ばれていたようです

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平安時代初期の814年に天台宗の都賀尾十無尽院(じゅうむじんいん)と改められましたが、その後衰退しました。平安時代後期に、文覚(もんがく)により度賀尾寺が復興され、神護寺別院となりました。(右は石水院の塀。)

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鎌倉時代初めの1206年、後鳥羽上皇の帰依を得た明恵上人(1173-1232)が神護寺別院を贈られ、華厳宗の根本道場として再興し、寺名を高山寺と改めました。(石水院の山門)

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鎌倉時代初期の寝殿風住宅建築で、後鳥羽院の賀茂別院を移築したものといわれています。寺宝として、鳥獣人物戯画(国宝)をはじめ、数多くの貴重な文化財を蔵しています。

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拝観受付の横に「撮影禁止」の張り紙がありますが、マナーを守って個人が撮影するのはOKとのことです。

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「善哉童子像」 西村虚空作の一木造で、童子はインドの長者の子に生まれ、仏教に目覚め文殊菩薩の勧めにより、53人のさまざまな人々を訪ね教えを請いました。

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修行を積んで最後に普賢菩薩の所で悟りを開いたといわれています。善哉童子像の前を通って書院にあがります。

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昨日は石水院から見る紅葉がちょうど見頃の状態でした。大勢の拝観客がいましたが、皆さん縁側ではなく部屋の奥に座っていて、紅葉を楽しめました。

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高山寺は、楞迦山(りょうがさん)の中腹に建っています。山の紅葉は様々な種類が混じっているので、人為的に植えられた街中の紅葉とは違った趣があります。

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石水院の前に坂道があり、「法鼓台道場」、明恵上人が晩年を過ごした「開山堂」、「御廟」、「仏足石」を経て、江戸時代の1634年に仁和寺古御所を移築した「本堂」に至ります。しかしこの坂道は通行止めになっています。

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石水院の横にある茶室「遺香庵」が台風21号災害復興祈念として11月1日~12月1日の期間で特別公開されていました。明恵上人700年遠忌記念として、昭和6年(1931)全国の茶道家の懇志により建てられました。

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一段高いところにある腰掛は鐘楼を兼ねていて、鋳金工芸作家で歌人の香取秀真(1874-1954)銘の梵鐘がかかっています。高山寺唯一の梵鐘で、除夜の鐘もこれが撞かれるそうです。

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古美術商で民藝運動を支援した土橋嘉兵衛、実業家で茶人の高橋箒庵らが発起人となり、数奇屋大工の3代目木村清兵衛が設計しました。

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四畳台目隅板中柱出炉下座床の席には西に貴人口(下)があり、隅板に自然木で縁取った給仕口、中央に茶道口、右に色紙窓、風呂先窓、火灯窓が開きます。床は赤松皮付、床框は杉面皮葺漆、床の間左に棚、地袋、炉は四畳半切。

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南の中央に躙口があります。この右横には火灯窓(花頭窓)があります(上の写真)。

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北東に接続して、次の間、水屋、合の間、広間(8畳、炉は四畳半切)、予備室(3畳)が増築されています。

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茶庭は高橋箒庵が監修、7代目小川治兵衛が作庭しました。遺香庵は平成7年(1995)京都市指定名勝となりました。

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遺香庵の向かいに「日本最古之茶園」 明恵上人は建仁寺に栄西禅師を訪ねたとき、栄西が宋から持ち帰った茶の種3粒をもらい、この地に植え栂尾茶として栽培、しかし傾斜地で畑地が狭い難点があり、後に宇治に移植され全国に広まリました。

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当初の栂尾茶は朝廷にも献上され修行の道具でした。鎌倉から室町時代初期には、お茶の産地を当てる「闘茶」が催され、最初は栂尾茶を「本茶(ほんちゃ)」その他を「非茶(ひちゃ)」として、「本非茶勝負」ともよばれたそうです。

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よく見ると、可愛い花が咲いていました。

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表参道から続く金堂への石段は「金堂道」とも呼ばれ 、高い杉に囲まれた趣のある参道でしたが復旧工事のため通行止めになっています。

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高山寺では、昨年の台風被害の復旧に取り組んでいますが、いまなお困難な状況だそうです。特に財源不足を乗り越えなければならず、広く皆様方にご寄付のお願いをしています。(向うは石水院の塀。)

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寄付は口座振り込みと現金書留、あるいは石水院受付まで持参を受付ていましたが、今年の8月30日からクラウドファンディングも始めたそうです。詳しくは高山寺のHPをご覧ください。

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表参道から周山街道に下りて、西明寺の方にに向かいました。

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コメント

台風被害はお金に直結するから大変ですよね。
災害の多い日本では、これからはクラウドファンディングが、
大きな力となってきそうですね。

投稿: munixyu | 2019年11月24日 (日) 12:54

★munixyuさん こんばんは♪
文化財や景観の被害を何とか救いたいという人は多いと思います。でも、メディアが報道しなければ分からないし、それも継続的に報道しないとすぐに忘れられてしまいます。

投稿: りせ | 2019年12月 7日 (土) 01:06

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