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2019年11月16日 (土)

浄住寺 洛西の黄檗宗古刹

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

松尾大社から始まった西山の寺社めぐりの最後は海住寺です。「浄住寺(じょうじゅうじ)」は、山号を葉室山という黄檗宗の寺院で、京都洛西観音霊場第三十番札所です。(更新が遅れました。)

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平安時代前期の弘仁年間(810-824)に、嵯峨天皇の勅願により慈覚大師・円仁が開創したとされ、当初は常住寺と称したそうです、(参道の右手に黒竹が生えていて、散策路が整備されていました。)

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円仁は、浄住寺を建立した後も遣唐使として唐に渡り、その後比叡山で横川中堂を建立して、第3世・天台座主に就き(854)、東塔に天台密教の根本道場・総持院を建立しました。(境内には楓の木も多く、紅葉が美しい寺でもあります。)

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その後、浄住寺は荒廃して葉室家の別荘となます。葉室家は、平安時代後期に権中納言・藤原顕隆(1072-1129)によって創始された公家です。(左には亀甲竹、向うに直接墓地に行ける車参道があります。)

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顕隆は白河法皇の近臣で、葉室中納言、「夜の関白」とも称された人物です。(本堂・禅堂ではジャズコンサートが行われていました。)

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本堂(禅堂)は旧開山堂で本尊「釈迦牟尼仏坐像」が祀られています。扁額(TOPの写真)「祝國」は後述の鉄牛の筆だそうです。

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コンサートが開かれていたおかげで、左から、脇壇の鎌倉時代作「阿弥陀如来立像」、後述の鉄牛が持ち帰った天竺仏「如意輪観音像」、「葉室頼孝像」も外から見えるようになっていました。

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鎌倉時代の弘長年間(1261-1263)には、中納言・葉室定嗣が出家して定然(じょうねん)と称し、西大寺の真言律宗の僧・叡尊(えいそん)を招いて浄住寺を中興しました。

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文永9年(1272)に定嗣は死去しましたが、浄住寺は葉室家の菩提寺として盛え、一時は多くの堂宇が建ち並んだといいます。永仁6年(1298)には将軍家の祈願所になり、この時期塔頭が49院もあったそうです。

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鎌倉時代末に後醍醐天皇を中心とした鎌倉幕府討幕の「元弘の乱」(1331-1333年)が起こります。後醍醐天皇の命を受けた千種忠顕がこの付近に陣を張り、六波羅探題を攻めるも敗退して、浄住寺は焼失、その後荒廃しました。

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さらに室町時代、明応2年(1493)に細川政元によって将軍の側近だった葉室教光が処刑され、その別荘の浄住寺も破却されてしまいます。位牌堂、寿塔は本堂の裏にあり見えませんが、翼廊の隙間から方丈と庭が見えます。

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江戸時代の元禄2年(1689)葉室孝重が禅師・鉄牛道機を招いて黄檗宗の寺として再興しました。鉄牛は浄住寺の中興の祖といわれます。(玄関には「葉室山」の大きな扁額が掲げられています。)

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鉄牛(1628-1700)は大坂・大仙寺、妙心寺、長崎・崇福寺などで修業し、各地で黄檗寺院を建立、萬福寺の創建にも尽力しました。(庫裏の前から、少し下に降りると平成22年に建立された鉄牛道機の三百九回忌の石碑があります。

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また、伊達綱村、島津綱貴、池田綱清、稲葉正通、福島正則らの大名の寄進により寺地を購入して堂宇を建立したともいわれます。当時の本堂、開山堂が現存しています。(本堂の左に行きます。)

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安永4年(1775)には方丈と庫裏を焼失しますが、その後再建されました。昭和53年(1978)には、廃れていた洛西三十三所観音霊場めぐりが再興されました。 (下のお堂です。)

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札所本尊の観世音菩薩が祀られています。2年前は修復中でしたが、それも終り美しい姿で祀られていました。左の石仏は大日如来、右は薬師如来です。

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本堂の左横に二つのお堂があります。こちらは「八幡大明神」。中は見えませんが、中央に「八幡大菩薩」、手前に「若宮八幡大菩薩」、右に「天照皇大神」、左に「春日大明神」が祀られているそうです。

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以前は非公開の寺院でしたが、2015年から様々なイベントを行いメディアにも紹介されるようになり、注目されつつあります。( 小さな池に中の島があり、弁財天が祀られています。)

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小さなお堂でも、祀られている神仏が明記されていて助かります。(弁才天は美しく彩色されていて、何と腕が8本もある八臂でした。)

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日本に煎茶の文化を持ち込んだのは黄檗禅で、叡尊は宇治茶を振興、瑞芳菴流煎茶道の第三世・大田和博仙家元が修業したこともあり、浄住寺はお茶と深い関係にあります。「西方丈再建予定地」の空き地。

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境内には茶の木が生育していて、毎年5月上旬には檀家の葉室家主導のもと茶摘みが行われます。毎月茶道教室が開かれ、呈茶(簡略的な茶会)もあります。(夕方になり薄暗くなってきました。)

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11月22日(金)~24日(日)京都市西文化会館・ウエスティで「古刹浄住寺の四季」という写真展が開催されます。まだ再建途中といえますが、訪れるたびに境内の整備や活発な活動が分かりちょっと嬉しくなります。

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コメント

竹は、空気が澄んでいるような気がして、いいですよね。
本堂でジャズコンサートですか。
なかなか洒落てますね。

投稿: munixyu | 2019年11月16日 (土) 15:19

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