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2019年11月29日 (金)

神護寺 参道から金堂へ 2019紅葉

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事につづいて、神護寺の参道を登ります。昨年は台風の被害が残り、バス停からの道も遮断されて、参拝客は少ない状態でした。この日は大勢の人出があり、安心しました。

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「神護寺」は山号を高雄山という高野山真言宗の寺院です。数年前に別格本山から遺迹(ゆいせき)本山へと呼び名が変わりました。高雄橋を渡ると、参道の登り口があります。

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遺迹本山とは弘法大使が住まわれた寺院という意味で、神護寺と河内の観心寺の2ヵ寺だけだそうです。最初の折り返し地点にある「高雄茶屋」、ここから参道の傾斜がゆるくなります。

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折り返し地点を過ぎると参道横に三段になった平地があり、最初の2段は高雄茶屋があります。高雄名物がすべてセットされた「もみじセット」が人気だそうです。

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こちらは2段目の平地にある高雄茶屋、紅葉の中に赤い毛氈を敷いた床が作られいい雰囲気ですが、お店を利用しない人は通り抜けできません。

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実は、2枚目の写真の参道入口の左の道を少し行くと車参道の入口があり、それぞれの茶店の裏を通り楼門の横に出ます。

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「硯石」 この石には逸話があります。平安時代、嵯峨天皇の命により金剛定寺(現存せず)の額を空海に書いてもらうために神護寺に勅使が遣わされました。ところが、前日の大雨により清滝川が増水し、勅使は対岸に渡れません。

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そこで空海はこの石を硯として使い、対岸に額を立てさせ筆を投げたところ、筆は自ら「金剛定寺」の文字を書いたといわれます。勅使が立った清滝川の対岸には「額立石」があるそうです。前にある茶店の「硯石亭」。

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神護寺は、和気(わけ)氏の私寺であったと思われる「神願寺」と「高雄山寺」が平安時代前期の天長元年(824年)に事実上合併してできた寺です。(2回目の折り返し地点を過ぎて山門まで急な石段となります。)

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前身寺院の神願寺は、和気清麻呂(733-799)によって建てられた寺で、所在地は河内、山背など諸説あり確定していません。(崖下には硯石亭の床が続いています。)

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和気清麻呂は貴族の高級官僚で、歴代天皇の側近として長岡京や平安京遷都などに貢献しました。「楼門」(山門)は江戸時代の1629年頃に建立され、三間一戸。

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清麻呂が神願寺を創建したのは、奈良時代末の宝亀11年(780)あるいは少し後の延暦年間の783年までの間といわれています。(楼門をくぐると紅葉が鮮やかに色づいていました。)

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「書院」には石庭「灌頂の庭」や茶室「了々軒」があり、5月初めに「宝物虫払い行事」として 国宝・源頼朝像、平重盛像、釈迦如来像などが展示されます。

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もう一つの高雄山寺(または高雄寺)は、現在地に古くから存在した寺院す。和気清麻呂の墓所が神護寺境内にあるところから、ここも和気氏ゆかりの寺院であることは確かですが、正確な創建年代は不明です。

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洛北の鷹峯に鎮座していた愛宕権現を愛宕山に移座した際に、他のいくつかの山岳寺院とともに建立されたという伝承があるそうです。「宝蔵」

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延暦21年(802年)和気氏の当主・和気弘世(清麻呂の長男)は、伯母・広虫(法均尼)の三周忌を営むため最澄を招請して法華会を行い、弘仁3年(812年)には空海が寺に住し、灌頂(密教の重要な儀式)を行ったという記録があります。

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「和気清麻呂公霊廟」 昭和9年(1934)に建立、檜皮葺で向拝付零廟。大壇越の京都の実業家・山口玄洞が寄進して、安井猶次郎が設計。壇越とは寺や僧侶に布施をする信者のことで、檀家や檀那のもととなったことばです。

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ここからでは見えにくいのですが、「鐘楼」は江戸時代の元和年間((1615-1623)に京都所司代・板倉勝重の寄進により建立。左に「和気公墓道」の碑があり、鐘楼の横から清麻呂の墓へ山道が続きます。

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「明王堂」 江戸時代の1623年、京都所司代・板倉勝重が奉行になり、細川忠興の帰依も得て再建された建物です。祀られている不動明王像が、2012年の調査で平安中期作であることが判明しました。

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「五大堂」 楼門からの参道の突き当りにあります。平安時代の天長年間(824-834)に淳和天皇の勅願により建立されたといい、現在の建物は江戸時代の1623年頃の再建。

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五大堂の背後に「毘沙門堂」があります。江戸時代の1623年頃に建立され、厨子内に毘沙門天立像(重文)を祀っています。現在の金堂が完成するまでは、本尊の薬師如来像も安置していました。

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「大師堂」(重文)は安土・桃山時代の建立で、元の建物は空海の高雄山寺時代の住房「納涼房」だったそうです。毎年11月1日~7日の期間、大師堂の本尊・板彫弘法大師像が御開帳されます。

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天長元年(824)の太政官符に、神願寺と高雄山寺の寺地を交換、寺号を「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」とし、この寺は定額寺(官が保護を与える一定数の私寺)に列せられたと記録されているそうです。(金堂への石段)

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寺地の交換が行われたのは、神願寺があった土地は低湿の砂地で「汚穢」(けがれ)があり、仏法の道場としてふさわしくなかったからといわれています。「金堂」は和気公霊廟と同じく、1934年に山口玄洞の寄進、安井猶次郎の設計です。

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金堂内陣には、8世紀末作の「薬師如来立像」(国宝)が祀られています。この仏像はかつて神護寺の前身寺院の一つ河内・神願寺の本尊でした。金堂の右横に不動明王像、その後ろを和気公墓道が通っています。

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二つの寺が合併した「神護国祚真言寺」とは、「八幡神の加護により国家鎮護を祈念する真言の寺」という意味だそうです。国祚(こくそ)は国が栄え安泰なことだそうです。

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コメント

ここは寺でも、
少しダイナミックな感じの紅葉ですよね。
薄紅葉も濃紅葉も、今が一番ですね。

投稿: munixyu | 2019年11月29日 (金) 12:27

★munixyuさん こんばんは♪
神護寺は広い敷地があり、平地には街中のモミジも植えられているようです。

投稿: りせ | 2019年12月 7日 (土) 01:52

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