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2019年11月10日 (日)

今熊野観音寺 2019

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の来迎院を出て、今熊野観音寺に向かいました。途中に「宮内庁書陵部 月輪陵墓監区事務所」があります。

書陵部は皇室関係の文書や資料などの管理・編修、陵墓の管理を行います。月輪陵墓監区事務所は、泉涌寺の月輪陵だけでなく、富山、石川、滋賀、鳥取、島根、京都、兵庫などの府県の陵墓を管理しています。

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「今熊野観音寺」は山号を新那智山という泉涌寺の塔頭寺院で、正式名は単に「観音寺」、西国三十三所第十五番霊場です。向うに今熊野川にかかる鳥居橋が見えます。

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今熊野観音寺の創建時期は古く、諸説あります。平安時代初期の大同2年(807)、弘法大師・空海(774-835)が熊野権現のお告げによってこの地に庵を結びました。唐で真言密教を学んで帰国した翌年のことです。「山門」

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弘仁3年(812)、空海は嵯峨天皇から官財を賜わり、勅旨によって諸堂の造営を始め、天長年間(824-833)完成しました。この時を創建とする説が有力です。(山門を入って左手には新しい大講堂があります。)


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さらに、左大臣藤原緒嗣の発願によって、広大な寺域に伽藍の造営が始まりました。緒嗣の没後は、亡父緒嗣の菩提のための事業として藤原春津に造営が受け継がれ、斉衡2年(855)に完成しました。

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平安末期の永暦元年(1160)、後白河上皇がこの地に熊野権現を勧請して、当山の本尊をその本地仏と定め、「新那智山」の山号を賜りました。「子護弘法大師」像が本堂下にあります。

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さらに、上皇は山麓に新熊野神社を造営しました。この時期には「熊野信仰」が盛んとなり、その本地仏としての「観音信仰」も盛んとなりました。「本堂」には空海作とされる「十一面観世音菩薩」や恵比寿神などが祀られています

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後白河上皇の持病の頭痛がこの観音様によって平癒したので、人々から頭痛封じの観音様として信仰されるようになりました。智恵授け、ぼけ封じのご利益もあるとされ、頭の観音様とも呼ばれています。

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本堂の正面にある「五智井」 空海が観音様を祀るににふさわしい霊地を選ぶため錫杖で岩根を穿っていると、霊水が湧き出したといわれます。その五智水はいまも湧き出ています。

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本堂の左手に「地蔵堂」があります。本尊の地蔵菩薩と、十一面観音像と弘法大師像も祀られています。

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地蔵堂の隅に当寺の創建時のものと思われる、平安様式の三重石塔があります。

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「茶所」 本堂の石段下で見えた崖の上の建物で、茶店・休憩所になっています。TOPの写真はこのあたりからで、あとで斜面に見える多宝塔を訪れます。

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本堂の右手に「大師堂」があり、その右手前に「ぼけ封じ観音」がいます。

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「ぼけ封じ近畿十楽観音霊場」第一番札所になっていて、足元にいるのは、お年寄りでした。

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台座の前には奉納されたお年寄りの像が並んでいます。

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大師堂には、弘法大師・空海以外に、不動明王、愛染明王、左大臣藤原緒嗣の像も祀られています。護摩の修法が行われ、修行道場にもなっています。

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境内の南東に「鐘楼」があります。梵鐘は戦時中に金属供出されましたが、元の形のまま残されていて、終戦後に修理されました。前に石仏や石塔が並んでいます。

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「熊野権現社」 唐から帰国した空海は、山中の光明にひかれてこの地に来て熊野権現と遭ったといわれます。その伝承に基づいて熊野権現社が勧請されました。

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さらに奥に行くと「今熊野西国霊場」があります。西国三十三ヶ所霊場の本尊が石仏として祀られていて、山の上の方まで続いています。

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今熊野西国霊場をしばらく上ると「医聖堂」があります。医道顕彰会が、1981年に平安様式の多宝塔「医聖堂」を建立して、奈良時代から幕末までの日本の医家122人を選定、祀りました。その後、医界関係者なども合祀されました。

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塔の前に、「医心方記念碑 」があります。平安時代の984年、鍼博士・丹波康頼が日本最古の医学書『医心方』を著し、医道顕彰会によってその一千年記念碑が建立されました。

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ところで、本堂に祀られている恵比寿神は、京都七福神、泉山七福神の一つです。「泉山七福神」は昭和26年から成人の日に行われ、毎年盛大になっているそうです。(知らない間に西山に日が沈んでしまいました。)

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泉山七福神は、即成院・福禄寿、戒光寺・弁財天、新善光寺・愛染明王(番外)、熊野観音寺・恵比寿、来迎院・布袋尊、雲龍院・大黒天、楊貴妃観音(番外)、悲田院・毘沙門天、法音院・寿老人です。「悲田院」の山門

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当日は、一番の即成院で授与される福笹を持って、吉兆を表す縁起物を福笹につけながら七福神と番外を順に参拝していきます。それぞれに御朱印もあるそうです。

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コメント

頭の観音様ですか。
頭痛に智恵授け、ぼけ封じのご利益は、嬉しいですね。
高齢化社会で、今から大活躍だと思います。

投稿: munixyu | 2019年11月10日 (日) 17:58

今、平家物語を読んでいますが、後白河上皇の持病か゛頭痛だったとは、面白いですね。さも、ありなん!ですね。
ボケないよう、写真を見ながら、お祈りしました。

投稿: 龍ちゃん | 2019年11月10日 (日) 22:01

★munixyuさん こんばんは♪
成長過程での知恵、働き盛りの頭痛、老年のぼけ封じと、人生を通して頭脳は大事ですね。

投稿: りせ | 2019年11月13日 (水) 00:25

★龍ちゃん、こんばんは♪
後白河法皇は、頭痛平癒のため平清盛に三十三間堂を造らせたそうです。権力者が病気になると大ごとですね。

投稿: りせ | 2019年11月13日 (水) 01:33

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