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2019年11月 5日 (火)

法音院 不空羂索観音・寿老人・春日明神

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

泉涌寺の総門からの参道沿いに塔頭の法音院があります。四脚門の山門をぐぐった正面には庫裏と玄関があり、納経所、御朱印やお守りの授与所となっています。

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法音院は、鎌倉時代末期の嘉暦元年(1326)無人如導(むにんにょどう)宗師によって泉涌寺山内に創建されました。無人は悲田院を再興、北野観音寺や法音院など9寺を建立しました。「手水舎」

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庫裏の横の「寿老人(じゅろうじん)」を祀るお堂。寿老人は中国宋代の伝説中の人物で、頭が長く白髪、団扇と巻物をつけた杖を持ち、七福神の一つで長寿を授けるといわれ、泉涌寺の泉山七福神の一つでもあります。

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幸をもたらす「福久老」、苦労知らずの「不苦労」、福がこもる「福籠」、長寿の梟などにあやかり、不老長寿の縁起物としてフクロウのお守りが授与されます。

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寿老人は鹿や鶴を連れていたといわれ、新しいブロンズの鹿が置かれていました。

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法音院は室町時代の応仁の乱の兵火によって焼亡。その後、江戸時代初期の寛文4~5年(1664~1665)幕府および本多正貫・同夫人の支援を得て、覚雲西堂の手により現在地に再建されました。

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覚雲西堂の詳細は不明ですが、以来、駿州田中城主・本多家の京都における菩提寺となりその当主の位牌は幕末まで当院に安置されることになりました。(寿老人堂の右、中央に「幸せを呼ぶ紅鳳凰竹」があります。)

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寺内の墓地には、正貫が建立した父・本多正重の石碑が、正貫・同夫人およびその家臣等の墓とともに移されているそうです。本多正重は三河出身で徳川家康などに仕えました。(斜面に石仏)

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「三社明神」 法音院の鎮守で、社殿は春日造り、春日明神(春日大社)を中心に八幡大菩薩(石清水八幡宮)、天照大御神(伊勢神宮)を祀ります。

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この三社は、神儒仏三教を融合し、皇室、貴族、武士の信仰を一つまとめたものとして、室町時代末期から江戸時代まで広く庶民に信仰されました。祠の裏にも石仏。

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横に春日明神の使いとされる鹿の親子のブロンズ像がありました。上述の鹿像と同じ作者のようです。

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左にある本堂は、孝明天皇の女御・英照皇太后御(1835-1897)の御須屋(おすや)を賜ったものだそうです。本尊の不空羂索観音は洛陽三十三観音巡礼第25番札所本尊でもあります。

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不空羂索(ふくうけんさく)観音はあらゆる人を救う羂索(投げ縄)を持ち、一面三眼八臂の姿をしています。この世では病なく、財宝を得、水難火難を除き、人々に敬われ慈悲の心で暮らすことができ、

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死に臨んでは苦しみなく浄土に導かれるなどの利益を得るといわれています。実は、鹿皮の袈裟を着ていて、春日社一宮の祭神と同一視されることもあります。

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結局、法音院に祀られている神仏はいずれも鹿と縁が深いといえます。(右が本堂、左が書院で、その間に庭があります。)

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コメント

寿老人も春日明神も鹿を連れていたり、
使いにしたり、結構鹿の登場が多いですよね。
鹿のブロンズ像、艶があっていいですね。

投稿: munixyu | 2019年11月 5日 (火) 12:39

★munixyuさん こんばんは♪
最近のブロンズ像は、腐食防止のためにあらかじめ緑青を吹きかけて酸化層つくるそうです。

投稿: りせ | 2019年11月 8日 (金) 22:43

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