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2019年11月 4日 (月)

即成院 令和の大公開

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

泉涌寺の総門の横に即成院があります。「即成院」は山号を光明山という真言宗泉涌寺の塔頭で、通称として「那須与一さん」ともよばれます。(山門を入ると正面に地蔵堂があります。)

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平安時代中期の寛治年間(1087-94)に、藤原頼通の子橘俊綱が伏見・桃山の山荘に、阿弥陀如来と二十五菩薩像を安置し、即成就院(そくじょうじゅいん)と称したのが始まりとされます。

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(手水舎には「与一の手洗い場」と書いてあります。ガチャガチャが置いてあって、おみくじと扇形の紙石けんが出てきます。)

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橘俊綱(1028-1094)は公卿・藤原頼通の子で、丹波・播磨国守、修理大夫、近江守を歴任し、伏見長者と称されました。歌人でもあり歌合を邸宅で開き、造園にも通じて日本最古の庭園集『作庭記』の著者ともいわれます。「庫裡」

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即成就院は室町時代の応仁の乱(1467-1477)の後荒廃しました。安土・桃山時代の1594年、豊臣秀吉の伏見城築造にともない、大亀谷東寺町(伏見区)に移されました。「書院」?

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恵心僧都作の本尊・阿弥陀仏坐像、脇侍の二十五菩薩は後の戦禍により焼け、11体だけが残されたといいます。

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明治時代初めの廃仏毀釈により即成就院は廃寺となりましたが、明治8年(1875)に泉涌寺に移されてその塔頭になりました。当初は泉涌寺の大門付近に仮堂が建てられ、同じく塔頭の法安寺と合併したといわれています。

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上の弘法大師像の前に2匹の犬の石像がありますが、狛犬ではありません。弘法大師が真言密教の霊場にふさわしい場所を探して各地を歩いていたとき、二匹が現れて高野山へと導いたという言い伝えの犬だそうです。

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石像には色がありませんが、上は白い犬で口を開いた阿形、下は黒い犬で、口を閉じた吽形をしています。これらの犬は、神の使いで高野明神の化身だったともいわれています。

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明治35年に即成就院が現在地に再興され、昭和16年(1941)に即成院と改称しました。

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本堂には本尊として寛治8年(1094)に造られたという阿弥陀如来と二十五の菩薩を祀っています。また、泉涌寺の七福神(泉山七福神)の第一番・福禄寿も安置しています。

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寺伝では阿弥陀如来は恵心僧都作とされてきましたが、近年は平安時代の代表的仏師、定朝とその弟子による作品といわれています。阿弥陀如来の高さは5.5m、居並ぶ二十五菩薩もそれぞれ像高が1.5mもあり、ともに国の重要文化財に指定されています。

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新元号となり、11月1日~12月15日の期間「奉安 令和の大公開」が行われ、「現世の極楽浄土」と呼ばれる内陣が公開されています。本堂はいつも無料公開されていますが、拝観料を払っても観る価値があると思いました。

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10月第3日曜日に「二十五菩薩お練り供養法会」が行われ、本堂を極楽浄土、地蔵堂を現世に見立ててその間を、阿弥陀如来の化身・大地蔵菩薩を先頭に二十五菩薩が練り歩きます。

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本堂に戻って観音菩薩、勢至菩薩の舞いが行われます。別室で、菩薩のお面や衣装、調度なども公開されていました。3枚の写真はいたるところに貼ってある看板からです。

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ところで、那須与一(なすのよいち)は平安時代末期の武将・御家人で、下野国那須荘を領地とした資隆(すけたか)の11男、宗高という名でした。弓矢に優れ兄・十郎為隆とともに源義経軍に従い、平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とすなど功績を挙げました。

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戦功によって与一は頼朝から5ヵ国に荘園を賜りました。為隆を除く9人の兄達が平氏に味方し、為隆も後に罪を犯したため、11男ながら那須氏の当主となり、資隆の名を継ぎました。与一は通称で、十あまる一、すなわち11男という意味です。(奉納された記念碑)

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与一は信濃など各地に逃亡していた兄達を赦免して領土を分け与え、下野国における那須氏が発展する基礎を築いたといわれます。死亡時期は諸説ありますが、山城国伏見で死去し、与一が帰依していた即成就院に葬られました

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本堂の裏手に与一の墓があり、かっては上の球体の記念碑の横の道からからお参りできました。現在は本堂の右奥から参拝道ができています。

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「那須與一宗高公墓」 兄・資之が功照院という寺を建立して分骨を埋葬しましたが廃寺となり、後に那須氏の菩提寺・玄性寺(栃木県大田原市)として再建されたそうです。

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大きな供養塔です。現在は上の拝所から先には行けないようになっています。

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右横には那須家代々の供養塔と、万寿観音が祀られています。即成院では、祈願が成就するという意味で「願いが的へ」という言葉をお守りなどに記しています。

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TOPの写真の山門の屋根に鳳凰が乗っています。平安時代の1052年に藤原頼通は宇治に平等院を建立、子の俊綱が伏見に即成就院を建立する時、平等院の鳳凰と向き合う形で屋根に飾ったとされます。

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コメント

おみくじと扇形の紙石けんが出てくるガチャガチャっていいですね。
楽しそうです。
犬と狛犬って、こうやってみると結構違うものですよね。

投稿: munixyu | 2019年11月 4日 (月) 15:11

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