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2019年10月27日 (日)

令和最初の時代祭 その1

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日行われた時代祭を見てきました。今年は新天皇の「即位礼正殿の儀」のため22日から26日に変更されたのですが、例年通りの観客の中、京都御苑を出発しました。

御苑の西の道沿いには、出発を待つ参列者や馬たちが待機していて、時代祭の見どころの一つです。

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時代祭は京都三大祭りの一つですが、その始まりは明治時代です。平安遷都から1,100年目を記念して明治28年に平安神宮が造営され、10月22日より10月24日にわたって紀念祭が盛大に挙行されました。

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紀念祭の翌日、平安神宮の大祭及び建造物・神苑保存のため、市民によって各学区ごとに組織された平安講社によって、延暦から明治に至る千余年の時代風俗行列が行われました。「名誉奉行」 府知事、市長、市会正副議長、時代祭協賛会会長、京都商工会議所会頭らが馬車で行進します。

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翌明治29年からは平安神宮の大祭の遷都の日の10月22日になりました。「総奉行」は平安講社理事長が務め、時代風俗行列は後に続く御神幸列のための奉納行事の一つになっています。

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維新勤王隊列(明治維新時代) 維新に際して、幕臣が東北地方で反乱したとき、丹波北桑田郡山国村(現在・右京区京北)の有志が山国隊を組織して官軍に加勢しました。これはそのときの行装にならったものです。

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第1回から大正時代までは生存していた旧山国隊の隊士とその子弟がこの行列に参加していたそうです。現在は平安講社第八社(中京区・朱雀学区)の皆さんです。上の写真は先頭の鼓笛隊で、下の写真の鉄砲隊が続きます。

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維新志士列(明治維新時代) 明治維新の基礎を築き、変革に大きな貢献をした武士の列です。カッコの中の時代区分が教科書で習うものと少し異なります。先頭は桂小五郎、後の木戸孝允で西郷隆盛、大久保利通とともに維新三傑と称せられました 。

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この列は孝明天皇百年祭を記念して昭和41年(1966)より参加して、京都青年会議所の皆さんです。西郷吉之助は後の西郷隆盛で、明治維新の動乱において官軍を勝利に導き、江戸城無血開城の貢献者です。

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坂本龍馬、薩長同盟の成立や大政奉還の立役者でしたが、志半ばで暗殺されてしまいました。明治初期では評価が低く政府の論功行賞も行われませんでしたが、明治16年(1883)に高知の新聞に掲載された記事が大評判となり、維新の英雄として知られることになりました。

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時代祭が単なる仮装行列と異なる点は、衣装、祭具、調度品などが、綿密な時代考証と今に伝わる伝統工芸技術を用いて作られた本物という点です。中岡慎太郎 同郷の坂本龍馬とともに維新に奔走、ともに暗殺されてしまいました。

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高杉晋作 松下村塾に学び、久坂玄瑞とともに吉田松陰門下の双璧と称せられた長州藩士です。騎兵隊などを組織して、長州藩を討幕に向かわせました。今年、黒羽織が新調されました。

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七卿落 1863年の八月十八日の政変で、会津藩、薩摩藩などの公武合体派が、尊皇攘夷派の長州藩や過激派公家などを京都から追放して宮中の権力を奪取しました。追放された公卿は、三條実美(さねとみ)、三條西季知(にしすえとも)、東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)、壬生基修(もとおさ)、四条隆謌(たかうた)、錦小路頼徳(よりのり)、澤宣嘉(さわのぶよし)。

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先導するのは長州藩士・真木和泉と久坂玄瑞です。真木和泉の具足(よろいかぶと)が今年一新され、浅葱糸素懸威板礼五枚胴(あさぎいとすがけおどしいたざねごまいどう)は鉄板や絹糸で当時の姿を再現し、368万円の費用がかかったそうです。

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7人の公卿は蓑をまとって志士に護られながら長州に落ち延び、1867年の王政復古の前夜に赦免されました。

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吉村寅太郎 討幕をかかげて天誅組を率いて大和に挙兵した土佐藩士。八月十八日の政変で情勢が一変して幕府軍の攻撃を受け敗れて戦死しました(天誅組の変)。

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頼三樹三郎 儒学者・頼山陽の子で、尊王攘夷推進と徳川慶喜擁立を求めて朝廷に働きかけたため、安政の大獄で捕らえられ処刑されてしまいました。長楽寺に墓があります。

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梅田雲浜(うんびん) 和漢の学に通じ、湖南塾を開いて子弟を教えた小浜藩士です。ペリーが来航すると条約反対と外国人排斥による攘夷運動を訴えて幕政を激しく批判。安政の大獄で摘発され獄死しました。

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橋本左内 蘭学医学をおさめた福井藩士で、藩主の側近として藩政や幕政の改革に関わりました。雄藩連合にもとづいて、積極的に西欧の先進技術の導入・対外貿易を構想。しかし安政の大獄で藩主が謹慎隠居となり、左内は処刑されました。服装は旅姿です。

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吉田松陰 長州藩士で、萩の松下村塾で高杉晋作、伊藤博文ら多くの秀才を教育、塾生や影響を受けた若者たちは明治維新や新政府で活躍しました。梅田雲浜に連座して安政の大獄で捕らえられ処刑されました。

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近衛忠熈 (ただひろ) 孝明天皇の左大臣になった後、事変で官を辞して仏門へ入りましたが、後に還俗して関白となりました。関白の束帯姿で随身と舎人(とねり)を従えています。褐衣(かちえ)が新調されました。

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姉小路公知(きんとも) 三條実美とともに勤王派として奔走、日米修好通商条約に反対し、廷臣八十八卿の指導者として活動しました。ここでは衣冠の参朝姿です。

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三條実萬(さねつむ) 江戸幕府と対米政策について交渉、日米修好通商条約への勅許を巡り関白と対立、近衛忠煕と共に参内停止を命じられました。処分に激怒した孝明天皇は両名に参内の勅命を下しました。安政の大獄で謹慎処分の後病死。後に梨木神社の祭神として祀られました。ここでは直衣(のおし)姿です。

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中山忠能(ただやす) 明治天皇御実母の父君。大納言でしたが辞した後に天皇の行政を直接助ける職・輔弼(ほひつ)の就き従一位に叙せられました。ここでは小直衣(このおし)姿です。

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平野国臣(ひらのくにおみ)福岡藩士で攘夷派志士として奔走し、倒幕論を広めました。寺田屋事件で投獄され、元治元年(1864)の禁門の変で獄舎に火が及び、混乱を避けるためとして処刑されてしまいました。

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徳川城使上洛列(江戸時代) 徳川幕府は大礼、年始等の際には必ず城使を上洛させ、皇室に対して礼を厚くしました。平安講社第六社(下京区・南区)の皆さんです。長持の列が先頭です。

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城使には、将軍家の名代として親藩あるいは譜代大名が選ばれました。特にご即位の大礼には煌びやかな装いをした多数の従者を伴った豪華な行列でした。

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槍持、傘持、挾箱持の掛け声や奴のパフォーマンスがみどころです。 参勤交代の大名行列のようですが、こちらは京都あるいは朝廷を中心としてみた時代風俗です。

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城使が乗る駕籠や、朝廷に献上する品々が続きます。

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江戸時代婦人列(江戸時代) 京都にゆかりのある著名な女性たちです。和宮の御輿が先導します。和宮は孝明天皇の皇妹で、江戸幕府第14代将軍・徳川家茂の正室として嫁ぎました。京都地域女性連合会のみなさんです。

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蓮月 江戸時代の女流歌人です。最初の結婚で生まれた3子をすべて亡くし、夫も死別。再婚した夫も亡くし、尼となり蓮月と称しました。その後自作の歌を彫った焼き物が流行し財をなしました。飢饉の際には人々に施し、私財で丸太町橋を架けました。

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玉瀾 祇園に生まれ池大雅の妻となり、閨秀画家として南画に女性らしい優しさを表現しました。夫の死後は独自の画風を突き詰めていきました。実は後で登場するお梶の養女と旗本徳山氏との間に生まれた子です。

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前は中村内蔵助妻 京都銀座の富豪・内蔵助の妻で、妻女の衣裳比べの会で評判となりました。他の妻女は色鮮やかな衣装まといましたが、白無垢に最上級の黒羽二重の打掛け姿で現れ、かわりに侍女たちに豪華絢爛な衣装をまとわせて、引き立てる演出をしました。

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お梶(梶子) 祇園の八坂神社近くで茶店を営んでいた女流歌人。師はありませんが、歌才に恵まれ公家の冷泉為村から和歌を贈られるほどでした。宝永3年(1706年)に歌集『梶の葉』を出版、挿絵は友禅染めで有名な宮崎友禅斎が描きました。

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吉野太夫 寛永の頃の京都六条三筋町の名妓で最高位の太夫の名跡を継ぎました。美貌に加えて和歌や俳諧、琴、書道、茶道など数々の諸芸に優れ、常照寺に山門を寄進しました。芸妓と遊女(あるいはその高位の花魁)とは異なります。

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出雲阿国 出雲大杜の巫女を名乗って「やや子踊」や「かぶき踊」を演じ、後の歌舞伎に発展しました。当初は、四条河原町の仮小屋で演じ、しばしば伏見城に招かれ、女院御所で踊った記録もあるそうです。後に北野天満宮に定舞台を持ちました。

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ここまで、登場神人物を全て紹介したので、写真が多くなってしまいました。明日に続きます。励みにしていますので、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

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コメント

即位礼正殿の儀が無事に終わりましたよね。
めでたいことです。
百人一首が歩いていると、妹が言っていましたが、
なるほどなぁと思いました。
時代祭も、ある意味百人一首のようなものですよね。

投稿: munixyu | 2019年10月27日 (日) 18:04

★munixyuさん こんばんは♪
百人一首とは、面白いことをいう妹さんですね。

投稿: りせ | 2019年11月 8日 (金) 22:17

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