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2019年10月21日 (月)

山住神社と岩倉川

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

岩倉の寺社を訪れて帰宅するため、岩倉川に沿って宝ヶ池の方に向かいました。実相院の前の府道を東に行くと岩倉川にかかる「目無橋」があります(上の写真)。

橋の名は、川を少し下ったところにある「目無地蔵」に由来しています。この地蔵は延命地蔵菩薩ですが、いつの頃からか目無地蔵と呼ばれてきたようです。

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この日は自宅から自転車に乗ってきたので、帰りは下り道で快適です。下は「源助橋」、由来は分かりません。

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「岩倉具視幽棲旧宅」の方に行く道の角に道標があります。絵の下に岩倉観世音(以下埋没)と刻まれ、岩倉観音(観世音菩薩)は大雲寺のことです。

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このあたりは比叡山が間近に見えます。山の上の方にケーブルカーとロープウェイの駅が白い二つの点となって見えます。

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更に下っていくと、石座神社の幟(のぼり)が見えてきました。

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「山住(やまずみ)神社」 山住は山祇(やまずみ)、すなわち山の神霊のことだそうです。かつては石座大明神と呼ばれ、石座神社の旧社地で現在はその御旅所になっています。

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平安遷都(794年)の際、王城鎮護のため都の東西南北に岩倉が設けられ、それぞれ、青龍、白虎、朱雀、玄武の四神を祀り経典を埋めたといわれます。このうちの北岩倉が山住神社とされます。

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ちなみに、東岩倉は大日山(東山)、南岩倉は男山(八幡市)、西岩倉は金蔵寺(西京区)だそうです。小さいながらも手水鉢があります。

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平安時代中期の971年、大雲寺が建立されると、石座大明神が鎮守社として(現在の石座神社の場所に)遷され、八所・十二所明神社と呼ばれました。その際、この社は御旅所となりました。

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山住神社には社殿はなく、神が降臨する磐座(いわくら)と神を拝む場所(拝殿)からなり、日本の古代信仰の形態を残しています。

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斜面の上の巨石が磐座で、その前に小さな祠があります。

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この磐座は、平安時代の『栄花物語』には「岩蔵」と記され、鎌倉時代には「岩倉」と書かれました。現在の岩倉の地名は、ここが発祥の地ということができます。

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明治時代になって、八所・十二所明神社が石座(いわくら)神社と改称され、この地は岩倉(石座)の名を譲って山住神社と改められました。社務所もあります。

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山住神社を出る頃には、日が暮れかかってきました。

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岩倉川は、岩倉盆地の長谷山を源流として上流で長谷川を集め、下流の宝ヶ池で長代川と東川を集め、上高野で高野川に、出町で鴨川に合流します。

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「十王堂橋」の上から 橋の名はかって近くにあった十王堂が由来だそうです。このあたりから土手にコスモスが群生しています。

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岩倉川は田畑を灌漑する動脈河川としての役割を担っています。しかし、近年の土地区画整理事業によって上流域の住宅建設が進んだことから、河川断面積の不足が生じてきました。

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流れの急激な屈曲も多く、浸水被害の要因となっているため、京都府市はその改修整備を行ってきました。景観と動植物の生育環境に配慮して護岸に深目地ブロックが採用されました。

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深目地ブロックとは、表面に天然石を使用し、深目地部に土が詰まることにより植生の回復を促すものです。コスモスの生育にも適しているようです。

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コメント

結構、急な下り道なのですね。
柿もたわわに実り、秋の草も戦ぎ、
いい秋景色になりましたよね。

投稿: munixyu | 2019年10月21日 (月) 11:57

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