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2019年10月11日 (金)

天授庵 枯山水と池泉庭園

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

南禅寺の本坊から参道を下ると塔頭・天授庵があります。上は山門、下はいつも閉まっている正門で脇に「開山大明国師霊光塔」の石標があります。大明国師とは南禅寺の開山・無関普門のことです。

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「天授庵」は、南北朝時代の暦応2年(1339)南禅寺開山・無関普門の塔所として建立されました。山門(通用門)の正面は庫裏で、中には入れませんが、書院越しに南庭が見えます’(最後の写真)。

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無関普門が亡くなってから48年も後のことで、それには理由があります。無関普門は、1281年から東福寺3世として住持を務めていましたが、1291年の南禅寺創建のおりに亀山上皇に開山として招かれました。(受付の横にある庭園の入口)

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しかしながら、病にかかり住坊であった東福寺・龍吟庵に移ります。上皇は普門を見舞い、手づから薬湯を与えるなどしましたが、同年龍吟庵で亡くなってしまいます。(庭の隅に鎮守が祀られています。)

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こうして、東福寺・龍吟庵は無関普門の塔所となりました。塔所とは墓塔あるいはそれを有する庵や小院のことです。(方丈の北庭、塀の外に南禅寺の三門が見えます。)

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室町時代になって、南禅寺15世・虎関師練(こかんしれん)は、南禅寺山内に開山の塔所がないことを遺憾に思い、光厳天皇から塔所建立の勅許を得て天授庵を創建、開山塔となりました。

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この庭は「淵黙庭」とよばれる枯山水庭園で、南禅寺創建時に造営されたと考えられています。苔で縁取られたひし形の敷石が正門から方丈に続いていて、庭と同時期に敷かれたものと考えられています。

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方丈(本堂)は安土桃山時代(1602)に建立され、無関普門禅師等身大の木像(重文)や細川家歴代の位牌書などが納められています。

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この地は鎌倉時代に駒大僧正が建立した最勝院の跡地でした。亀山上皇が離宮「禅林寺殿」を営むと、土地に執着した駒大僧正の怨霊が毎夜現れ上空を飛びまわりました。諸宗派の高僧に祈祷を命じても効果がありませんでした。

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無関普門によってようやく駒大僧正の怨霊が退治され、亀山上皇は離宮を禅林禅寺(後の南禅寺)と変えて無関普門を開山に招きました。(方丈の南に書院南庭の入口があります。)

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「書院南庭」は、鎌倉時代末から南北朝時代にかけて造られた池泉回遊式庭園で、天授庵創建当時の面影を残しているといわれます。こちらは小さい方の東池で、左端にある滝や出島には作庭当時の石組みが残されているそうです。

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書院南庭は「澄心庭」ともいわれています。東池の木橋を渡ると大きい方の西池があります。散策の順路は西池の周囲を右回りします。

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その後の天授庵は何回か火災に遭い、特に応仁の乱(1467-1477)で焼失した後は荒廃してしまいました。(西池の南は竹林になっています。)

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安土桃山時代の1602年、南禅寺226世・玄圃霊三は、荒廃していた天授庵を再興するために、弟子の雲岳霊圭を天授庵主としました。(西池の南の飛石を渡ります。)

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霊三は、知友の細川幽斎(1534-1610)に援助を求め、方丈、正門、旧書院、塔などが再興されました。それ以降、幽斎の廟所が造られるなど、細川家ゆかりの寺院となりました。(西池の西の畔に来ました。)

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細川幽斎(1534-1610)は戦国時代から江戸時代初期にかけての武将で、当初は足利氏に仕え、後に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に大名として仕えました(本能寺の変の後剃髪しました)。西池をほぼ一周して、西門前の広場に来ました。

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通り過ぎてしまいましたが、方丈前庭の南に江戸時代(1610)に造られた石畳があり、細川幽斎夫妻の墓まで続いています。こちらの広場には苔むした蹲踞があります。

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現在の庫裏は幕末の1853年に再建されたものです。下の「普門殿」は近代的な宝物館・収蔵庫です。

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明治初年(1868)外国事務局出張所が置かれ、方丈はオランダ人の宿舎になりました。「外国事務局」は翌年設立された外務省の前身です。(西池からこちらに小川が流れています。)

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帰りは西池の北を通ります。

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ここは紅葉が美しい場所で、池の向こう(南)の竹林が見えます。

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ところで、南禅寺を創建した亀山上皇は、「禅林寺起願事」で「人間や他の生き物の全ての命を大切に」という精神とともに、「最も優れた禅僧」を南禅寺の住持とするように定めました。

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これ以後、渡来僧を含む多数の名僧が法系・派を超えて代々住持に任ぜられてきました。(池を覗いていたら、鯉が寄ってきました。)

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このことが、後に南禅寺が五山の上(別格)とされた理由の一つといわれています。色づきかけているカエデもありました。

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コメント

苔のある庭、緑のある庭、そしてなにもない方丈庭園の様な石庭、
この、動的な感じと静的な感じの違いがまた、いいですよね。
今日の庭は生命感がありますよね。

投稿: munixyu | 2019年10月11日 (金) 13:21

★munixyuさん こんばんは♪
天授庵の池泉庭園は、様々な植物がのびのびと生えていますね。植物が一定の場所に植えられているという庭がありますが、ここは広いからかも知れません。

投稿: りせ | 2019年10月19日 (土) 00:31

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