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2019年10月29日 (火)

令和最初の時代祭 その3

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

26日に行われた時代祭の最終回です。下は城南やぶさめ列(鎌倉時代) 1221年後鳥羽天皇は朝威回復をはかり、城南離宮で近畿十余国の武士を召して流鏑馬を催しました。この列では子供たちも活躍します。

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この列では狩装束の射手の武士を中心とした5組が行進します。この年に後鳥羽上皇は鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れました(承久の変)。平安講社第四社(中京区・下京区)の皆さんです。

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藤原公卿参朝列(藤原時代) 平安中期以後、権勢を誇った藤原氏の摂関政治が続き、その盛時における文武両様の姿をあらわしたものです。まとっているのは当時の夏の様式にそったものだそうです。

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平安講社第三社(上京区・中京区)の皆さんです。ちなみに、藤原時代は主として美術史で用いられる時代区分ですが、平安時代中・後期の最も貴族文化が栄えた時期です。

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平安時代婦人列(平安時代) 「巴御前」 木曾義仲のちょう愛をうけ、義仲没後尼となったと伝えられています。『源平盛衰記』より、天冠や鎧を身に着け、太刀を帯に着け長刀を持っています。

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「横笛」 建礼門院の雑仕女で滝口の武士斎藤時頼と恋におち、嵯峨へ時頼を尋ねて行く姿です。平安時代の女性たちは五花街の芸舞妓さんの輪番で、今年は先斗町の芸舞妓さんが務めました。

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「常盤御前」 源義朝の后で、平治の乱で謀反人となった義朝亡き後、三児を連れて六波羅へ出頭するところです。幼い牛若はまだ赤ん坊のようです。常盤の美しさに心を動かされた清盛は子供たちを助命、これが後に平家が滅ぼされることになります。

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「清少納言」と「紫式部」 二人はそれぞれ、一条天皇中宮の定子と彰子に仕え、定子は藤原道隆、彰子は藤原道長の娘です。道長が絶大な権力を掌握していく時代で、二人はライバルとみなされました。

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清少納言は唐衣に裳を着けた女房装束(十二単)姿で女官の正装、紫式部は小袿衣(こうちぎ)姿の略装です。この二人は平安時代の女性の中では宮中に仕えて身分が高いので車に乗っています。

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「紀貫之の娘」 貫之の娘の紀内侍(きのないし)も歌人です。村上天皇が清涼殿前の梅が枯れたので彼女の家の梅を移したところ、枝に結ばれていた歌に感動して梅の木を返したという鶯宿梅(おうしゅくばい)の故事で有名です。

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袿(うちき)、単小袖、濃紅の切袴を身にまとい、手に梅の小枝を持っています。「小野小町」 六歌仙に名を連ねる女流歌人で、絶世の美女といわれます。衣装は平安初期の神像を参照して作られた時代祭オリジナルだそうです。

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「和気広虫」 貴族の和気清麻呂の姉で、慈悲深く多くの孤児を養育し、日本で最初の孤児院を設立しました。清麻呂は、宇佐八幡宮のご神託によって道鏡の野望をくじき、平安遷都を進言したことで知られます。

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4人の子供を連れて行進するのですが、ちょっとしたハプニングがありました。今年は小さな子供たちで、3人目の子がかなり遅れ、4人目は見当たりません。

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何と、4人目の子ははるか後ろの次の列と一緒に歩いていました。このあと付き添われて広虫に追いつきました。

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「百済王明信」 平安時代百済王家の女性は宮中に重用され、桓武天皇の時代に明信は尚侍(ないしのかみ)に上り詰め、後宮に仕える女官を取り仕切る長官となりました。この3人は京都地域女性連合会の皆さんです。

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延暦武官行進列(延暦時代) 延暦時代とは桓武天皇の782年から806年まで期間です。大将は征夷大将軍・坂上田村麻呂で、東征を終え平安京に凱旋する様子を表しています。平安講社第二社(北区・上京区・左京区・中京区の各一部)の皆さんです。

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延暦文官参朝列(延暦時代) この時代の公卿諸臣の参朝の状景をあらわしています。衣装は朝服で、本列中の三位は浅紫、四位は深緋、五位は浅緋、六位は深緑の袍を着用、平安講社第一社(北区・上京区)の皆さんです。

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最高位の三位は蘇芳色総の馬飾りの馬に乗り、平安神宮で全行列を代表して祭文を奏上します。後ろに織物の垂りなどをつけた傘と棒ふりばやしからなる傘鉾が巡行し、古い鉾の形態だそうです。

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神饌講社列 この列は時代祭当日の神饌物を奉献する料理人の行列です。本職の京都料理組合の皆さんが神饌講社を組織して、京都御所の行在所(あんざいしょ)に魚、塩、餅、鯛、野菜、果物、山の物、海の物など十数種類の食べ物を供えます。

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神と対面する料理人は身を清めて当日に臨むそうです。京都料理組合にとっては、魚や鳥を供養する施餓鬼会、京料理展示大会とともに、時代祭は三大年中行事の一つだそうです。騎乗しているのは「御饌長(みけちょう)」。

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前列 次の神幸列の前を行くので前列といわれます。御賢木(おんさかき)を先頭に狩衣姿の人々が先導し、雅楽の伶人、舞人が続きます。平安講社第七社(左京区)の皆さんが中心です。

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「迦陵頻伽(かりょうびんが)」 上半身が人、下半身が鳥の極楽浄土に棲むとされる想像上の生物です。昨年袍(ほう)と呼ばれるコートが新調されました。

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「胡蝶」 蝶を模した羽根をつけ、橘の花を持っています。迦陵頻伽と胡蝶は左右にそれぞれ一組ずつ行進します(神前に舞を奉納する踊子です)。

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神幸列 2基の御鳳輩(天皇の乗り物、この場合は神輿)と、その前を雅楽の奏者や神宝(祭神の持物)が行進します。時代祭の中心となる列ですが、このあたりで帰ってしまう見物客が多いのは残念です。

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神宝は、御剣、弓や楯、矛、紫御翳(むらさきのおんさしは、左の団扇のようなものです)、管御翳(すげのおんさしば)、神馬用馬具などからなります。後ろは御鳳輩で京都最後の孝明天皇のものです。

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後ろの御鳳輩が平安京を造営した桓武天皇です。両天皇は平安神宮の祭神で、時代祭の巡行で市民の安らかな様を親しくご覧になるのだそうです。この列は神職などが参列し、平安神宮が司ります。

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神幸列の後ろで平安神宮宮司・本多和夫氏が見守ります。なお、長年宮司を務めてきた九條家当主・九條道弘氏は一昨年(2017)亡くなりました。

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白川女献花列 比叡山を源とする白川の流域に住み、季節の花を売り歩いた女性が白川女で、平安時代中頃から御所に花を届けていたといわれます。午前中の行在所祭で、神饌と白川女による花が奉納されました。白川女風俗保存会の皆さんです。

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弓箭(きゅうせん)組 丹波国南桑田、船井両郡には、源頼政に従って弓箭(弓矢)の術を究めた者が多く、その子孫も平素弓箭組を組織していました。 平安遷都の列の警護にあたり、維新の際には山国隊とともに活躍しました。

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現地の亀岡市と南丹市の有志の皆さんです。祭りの列の最後を警護し、いつでも射ることができるように矢を手に持っています。最後まで見て頂きありがとうございました。

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コメント

この日はいい天気でしたが、
雨の日は、傘とかはあるのでしょうか。
雨だと、衣装がクリーニングとかで大変でしょうね。

投稿: munixyu | 2019年10月29日 (火) 12:49

★munixyuさん こんばんは♪
時代祭や葵祭は雨天順延です。やはり衣装や調度が濡れては困るのでしょうね。一方、祇園祭は雨天決行で山鉾にビニールシートをかぶせて巡行します。

投稿: りせ | 2019年11月 8日 (金) 22:25

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