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2019年10月 9日 (水)

南禅寺 伽藍と史跡を訪ねて

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

南禅寺に行ってきました。今日は境内の伽藍と史跡を見て歩きます。上の「中門」は、慶長6年(1601)松井康之より、伏見城松井邸の門を勅使門として寄進されました。下の日の御門の拝領に伴い現地に移され、幕末までは脇門と呼ばれていました。

「勅使門」は、寛永18年(1641)明正天皇より、御所にあった「日の御門」を拝領したものです。古くは天皇や勅使の来山の折に限って開かれ、現代では住持の晋山に限って開かれています。

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「南禅会館」 南禅寺の檀信徒、参拝者用の宿泊施設(宿坊)です。勅使門の向かいにあります。

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「観門亭」 平成24年(2012)に南禅寺敷地に建てられた公認の京土産屋で、観光トイレも設置しています。屋号は三門を観る場所という意味だそうです。

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中門を入ると、本坊への道の角に天皇陵の石標があります。亀山天皇分骨所は南禅院、冷泉天皇稜は鹿ケ谷にあります。冷泉天皇は昨日の記事の醍醐天皇の孫、鎌倉時代の亀山天皇は南禅寺で出家して法皇となりました。

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境内には南、中央、北を通る3つの参道があります。中央の参道は勅使門から三門、法堂まで続いています。手前の4本の石標には「車止」と刻まれ、左の石標には「自動車止」とあります。

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中央の参道横に、杉洞の句碑「この門を入れば涼風おのづから」 杉洞は伊万里市にある南禅寺派圓通寺の森永湛堂老師の俳号で、熊本県の白髪岳から運ばれ15トンの石に自筆。老師はホトトギス派の同人・選者で、門弟三千人といわれます。

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「佛光南院柏槇」 柏槇(ビャクシン)は伊吹とも呼ばれ、成長が遅いが高木となり、赤褐色の樹皮が縦に薄く裂けるように長く剥がれます。自己認識の開放を目指す教義に一致するとして、しばしば禅寺に植えられるそうです。 佛光は南禅寺開山の無学普門(仏光国師)、南院は2世の規庵祖円(南院国師)だと思われます。

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「三門」 南禅寺開創当時の永仁3年(1295)西園寺実兼の寄進によって建立されました。その後、改築と焼失を経て、現在の三門は寛永5年(1628)に藤堂高虎が大阪夏の陣に倒れた家来の菩提を弔うために再建しました。

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三門の右手前の巨大な石灯籠があります。寛永5年の三門落慶の際に佐久間勝之が供養の為に奉献したもので、高さ6メートル余りの東洋一の大きさといわれています。俗に、佐久間玄藩の片灯寵と呼ばれています。

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三門とは、仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない三つの関門、空、無相、無作の三解脱門を略した呼称です。主として禅宗寺院では、本堂を涅槃(悟りの境地)として、そこに至る門を三門と呼びました。

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「法堂」は、法式行事や公式の法要が行われる場所で、南禅寺の中心となる建物です。創建当時のものは、応仁の乱で焼失、その後復興されました。慶長11年(1606)豊臣秀頼の寄進により大改築されましたが、明治26年(1893)の火災によって焼失しました。

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現在の法堂は明治42年(1909)に再建されたものです。、内部の須弥壇上中央に本尊の釈迦如来、右に獅子に騎る文殊菩薩、左に象に騎る普賢菩薩の三尊像が安置されています。

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「本坊(庫裏)」 天井のない吹きぬけ造りに、縦横に組み上げられた力強い梁組の幾何学的美しさが禅宗建築の特色を表しています。臨済宗南禅寺派の宗務本部、方丈庭園への拝観入口でもあります。

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本坊手前の右手から水路閣の方に寄ります。

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「水路閣」 琵琶湖疏水分線を蹴上から若王子に至る途中に、南禅寺境内を通ることになりました。当初は南禅院の下にトンネルを通す計画でしたが、宮内庁から待ったがかかりました。

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南禅寺を開いた亀山上皇の分骨所の下を通すことはできないということです。急遽水道橋を建設することになりましたが、南禅寺だけでなく市民や文化人らから反対の声が上がりました。

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由緒ある寺院の境内に、近代的な建築物は相応しくないという主張です。向うに「南禅院」が見えます。出家した亀山天皇は、正応2年(1289)離宮を寄進して禅寺とし、南禅院は離宮の遺跡で南禅寺発祥の地です。

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建築後100年以上が経ち、いまではレトロな建築物として境内に調和しています。一方で、傷みも激しく構造全体は安全だとされますが、常時監視を続けている状態です。右端にその状況が分かる場所があります。

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「瑞寶殿」 宝物館で、平安時代の貞観年間(859-877)作「聖観音菩薩像」(重文)を始めとする寺宝が収容されています。水路閣から本坊前の参道に戻る途中にあります。

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本坊前から北に行くと、法堂から渡り廊下が書院の方につながっています。右手には庫裡とともに書院や方丈、小方丈などの建物がありますが、別の記事で。

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北の参道の突き当りまで来ました。ここから北は下り坂になっていて、右は「龍淵閣」で座禅道場があります。

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左(北)の参道沿いにいくつも建物があり、鐘楼もあります。この一角は南禅寺専門道場となっています。

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北の参道沿いにいくつか門がありますが、表門は西にありきれいに石畳が敷かれています。

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「南禅寺専門道場(僧堂)」 雲水が修行する専門道場で、明治末から大正初期に再建。禅堂内には法皇が座ったとされる「法皇単」があるそうです(内部は非公開)。雲水は禅宗の修行僧のことです。

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境内の楓は少し色づいているものも見られました。紅葉の見頃は例年11月下旬です。

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この後方丈庭園を拝観するため本坊に戻りました。

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コメント

水路閣も建築後100年以上ですか。
安全とは言え、最近の台風などは、災害の規模が大きく、
少し心配になってしまいますよね。
古い建造物の保護も、これからの大きな課題になりそうですね。

投稿: munixyu | 2019年10月 9日 (水) 18:20

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