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2019年10月 1日 (火)

本法寺 その歴史と伽藍

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日堀川通を歩いた後、本法寺を訪れました。一筋西にある小川通に面して山門(仁王門)があります。江戸時代に建立され、宝鏡寺宮筆の玄額「叡昌山」がかかっています(京都府有形文化財)。

通りの名の由来となったかっての「小川(こかわ)」が仁王門の前に残っています。

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「本法寺」は、山号を叡昌山(えいしょうざん)という日蓮宗本山(由緒寺院)の一つです。(川に水はありませんが、川底は水はけがよいのか萩が咲いていました。)

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山号は後援者の狩野叡昌に由来しています。叡昌の娘・理哲尼は戦国時代の武将・長尾実景(さねかげ)の妻です。山門の両脇に立派な仁王像が安置されています。

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右は那羅延(ならえん)金剛、

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左は密遮(みっしゃく)金剛の金剛力士像です。草鞋(わらじ)は、強壮な仁王様にあやかって身体(足腰)の健康や子供の発育を願って奉納されたものです。

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仁王門を入ると右手に「大魔利支尊天社」があります。

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室町時代中期の1436年に、本阿弥清信が日親上人を開祖にして、東洞院綾小路に創建したのが始まりとされます。清信は刀剣の鑑定士として将軍に仕え、本阿弥光悦の曾祖父にあたります。

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「北辰殿」妙見堂で大魔利支尊天社と渡り廊下でつながっています。

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日親(1407-1488)は上総国に生まれ、1427年に上洛して日蓮宗(法華宗)の布教を始め、後に中山門流の総導師として九州・肥前で布教活動を行いました。しかし、激しい性格だったようで、1437年には厳しい折伏により門流を破門されました。「鐘楼」

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1439年には将軍・足利義教の屋敷へ赴き、「世の中が乱れているのは法華経を信仰していないから」と諌暁(かんぎょう、日蓮宗への改宗)を迫りました。「多宝塔」

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驚いた幕府は諌暁を禁止しましたが、日親は諦めず身命を賭けて諌暁書「立正治国論」を提出したため将軍の怒りに触れます。翌年投獄され、1436年に創建したばかりの本法寺を焼かれました。下は「開山堂」。

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開山堂の左手に唐門、その向うの宝物館には長谷川等伯作「釈迦大涅槃図」(重文)が1,2階突き抜けでかかっています。右手前に日親が辻説法を行ったとされる「説法石」があります。

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上洛した日親は一条戻橋の畔でこの石に傘を立て、腰掛けて辻説法を行ったといわれます。石は、陰陽士・安倍晴明の邸内にあったとされ「晴明石」ともいわれます。江戸時代の1702年に当地に移されました。

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1441年赤松満祐の謀反で足利義教が暗殺されると日親は赦免されました。赦免後、同じく投獄され日親への帰依を深めた本阿弥清信により本法寺が再建され、後に寺は本阿弥家の菩提寺となりました。本堂の正面にある「叡昌松」。

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日親は後の1463年にも投獄されました。そのときは、焼いた鍋を頭に被せる酷刑を受け、赦免後に鍋が外れないまま布教を行い「鍋かぶり日親」と称されたという伝説が生まれたほど、不屈の人だったようです。

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1536年には比叡山衆徒による洛中洛外の日蓮宗21寺を襲った「天文法華の乱(天文法難)」が起こり、寺は焼かれて堺に一時逃れました。(
塔頭「尊陽院」では永代供養墓と新墓地を募集中、御朱印もあります。)

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1542年後奈良天皇より勅許が下り、天文年間(1532-1554)に一条戻橋付近に本法寺が再建されました。(尊陽院の山門をくぐると、美しい光背の 「前掛け地蔵菩薩尊像」がありました。)

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安土桃山時代の1587年、豊臣秀吉の聚楽第造営に伴い本法寺は現在地に移転しました。その際、10世・日通は寺領千石の寄進を受け、本阿弥光二・光悦父子も私財を投じて再建に尽力しました。最盛期は塔頭が34院あったといいます。「本堂」

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寺の伽藍のほとんどは1788年の天明の大火により焼失し、その後、紀州家などの寄進により再建されました。本堂には光悦筆の扁額「本法寺」がかかり、本尊「法華題目牌」、「釈迦如来像」、「多宝如来像」、「日親上人坐像」を安置。

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現在の本堂は江戸時代後期の1797年に建立され、境内の伽藍の多くは京都府有形文化財です。本堂の左手前に「光悦手植えの松」と「光悦像」があります。(庭園と寺宝の拝観のため本堂の裏に回ります。)

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長谷川等伯ゆかりの塔頭「教行院」(裏口)、右には塔頭「教蔵院」があり、住持の日生上人が「松ヶ崎檀林」(僧侶の学校)を創建しました。塔頭は幕末でも17院ありましたが、現在は3院だけになりました。

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こちらの門は、悲田院の跡地、天神公園(扇町児童公園)に面しています。上の二つの塔頭は堀川通に山門があります。

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この後、光悦作庭の「三つ巴の庭」や長谷川等伯作の「釈迦大涅槃図」などの寺宝を見に、庫裡(拝観受付)に入りました。

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コメント

萩が綺麗に咲いて嬉しいですね。
金剛力士像に、草鞋の奉納って珍しいですよね。
でも、ご利益がありそうなので、
わかる気がします。

投稿: munixyu | 2019年10月 1日 (火) 14:01

★munixyuさん こんばんは♪
大きな草鞋が奉納されているのはときどき見ます。いろいろな意味があるようですが、村に巨人がいると見せかけて鬼や邪気を追い払うのだとか。

投稿: りせ | 2019年10月13日 (日) 01:08

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