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2019年10月 4日 (金)

石田神社 上津屋村の氏神

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日松花堂庭園を見た後、そこから約4㎞東にある「四季彩館」まで来ました。レンタサイクルの返却時間が迫っていたのでちょっと急ぎました。

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「四季彩館」 農産物の販売、そば打ちなどの体験、地元産野菜や八幡の伝統を味わえる食堂、入浴や宿泊施設もある交流プラザです。流れ橋への通路にもなっています。

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「宇治茶の郷」の碑 山城地区は緑茶ブランドの宇治茶発祥の地です。茶業関連団体と行政が連携して、宇治茶を生かした地域づくりを進めているそうです。京都市、宇治市、八幡市をはじめとする山城地区の市町村が参加しています。

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上の石碑は流れ橋方面への道の途中にあり、その先に石田神社の鳥居があります。鳥居の正面の参道の先に木津川の土手や流れ橋があります(TOPの写真)。

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「石田神社」は「上津屋(こうづや)石田神社」ともいい、かっての上津屋村の氏神として信仰されてきました。現在では上津屋の里・浜・東とも略される、上津屋里垣内、上津屋浜垣内、木津川対岸の城陽市上津屋の地域です。

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石田神社の創建は非常に古く、社伝の『天王神社記』によると、飛鳥時代末の大宝2年(702)内里の山中に現れた素戔嗚(すさのお)神をこの地の上津屋に祀ったことに始まります。 末社「香取神社」は建亀鎚命(たけみかづちのみこと)を祀ります。

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かっては素戔嗚神と疫病神・牛頭天王(ごずてんのう)は同一視されていて、明治以前は牛頭天王社と呼ばれていました。上の写真の灯籠に牛頭天王と彫られています。「社務所」

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平安時代末の治承4年(1180)源頼政の兵乱で社殿は焼失し、復興のために鎌倉時代初めの文治4年(1188)源頼朝により神事料として土地が寄進されました。末社「太神宮」は天照皇大神(てんしょうこうたいしん)を祀ります。

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「天照皇大神伏拝所」 天照皇大神は天照大神(あまてらすおおみかみ)のことで、ひれ伏して拝む伏拝のためにご神木が育てられています。  

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鎌倉時代末の元弘の乱(1331)では、笠置山参陣の際に楠正成が当社に立寄り、願文を奉納したと記されています。「拝殿」は享保20年(1735)の再建年の刻銘入りの鬼瓦を屋根に載せています。

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この地が度々木津川の水害に見舞われたため、石田神社は疫病・災害に対する守護神として信仰されてきました。拝殿、奥の本殿ともに幕末の嘉永4年(1851)の造営です。

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拝殿には、明和2年(1765)に上津屋村の伊佐政徽氏奉納の算額があり、和算問題が図示されています。これは、京都では八坂神社に次ぎ、全国でも9番目に古いものだそうです。 。

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社殿はあらかじめ洪水に備えて石積みの上に建てられています。近年社殿から発見された棟札によると、永禄元年(1558)の社殿造営の後、定期的に檜皮の葺替え修理が行われてきました。拝殿の奥に「本殿」があります。

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摂社「若宮神社」 祭神は、天之忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)、活津日子根命(いけつひこねのみこと)、天之菩日命(あめのぼひのみこと)、熊野久須日命(くまのひさすひのみこと)、天津日子根命(あまつひこねのみこと)、市寸島比売命、田露毘古命(たつゆひこのみこと)、於岐津毘根命(おきつひねのみこと)。

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算額を奉納した伊佐家は神社のすぐ近くにあり、幕府領の庄屋を何度もつとめた旧家です。伊佐家住宅は入母屋造に茅葺屋根、今は入手できない赤い壁土「桃山」が塗られ、国の重要文化財です。

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伊佐家に残る文書は貴重な神社の記録となっているそうです。

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楓が少し色づいていました。境内や参道は紅葉が美しく、秋に訪れるのがオススメです。

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ところで、明治までは石田神社の境内に福泉寺という宮寺がありました。その本尊の平安時代作の薬師如来は上津屋村を洪水や疫病から守る如来として、多くの人から信仰されていました。

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明治の廃仏毀釈で薬師如来は西にある西雲寺に遷されました。鳥居の外にある神輿庫はかっての福泉寺の建物だそうです。

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その前の「十三重石塔」も宮寺の名残で、その形から南北朝時代のものだそうです。

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石田神社の参道脇に曼殊沙華が群生していました。

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この後、流れ橋の方に向かいます。

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コメント

まだ薄紅葉にもなってないのに紅葉を待つ、今日この頃です。
もうすぐと思うと、どうしても気が急いてしまいます。
曼珠沙華の群生が、さらに紅葉を待つ心を強くさせるのかもしれません。

投稿: munixyu | 2019年10月 4日 (金) 17:58

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