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2019年10月 7日 (月)

妙蓮寺 芙蓉と曼殊沙華咲く

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事につづいて妙蓮寺の山門をくぐります。「妙蓮寺」は山号を卯木山(うぼくさん)という本門法華宗大本山です。「山門」は江戸時代後期(1818年)建立、御所から移築され、左右に両袖番所が付いています。

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妙蓮寺は鎌倉時代の永仁2年(1294)宗祖日蓮聖人より京都での布教の遺命を受けた孫弟子・日像上人によって創建されました。

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日像上人が遺命を果たすため鎌倉から上洛した時、 五条西洞院の柳酒屋が聖人に帰依し、未亡人が邸内に一宇を建立して上人を開山に招き、卯木山妙法蓮華寺と称したのが始まりです。

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その後、たびたびの法難にあいましが、室町時代の応永年間(1420年頃)本勝迹劣、本迹一致の論争を契機に妙顕寺を出た日慶上人によって柳屋の地に本門八品門流として再興されました。「本堂」

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その後、寺域を堀川四条に移し、皇室ならびに伏見宮家と関係が深い日応僧正を迎えると、皇族を始め足利将軍義尚らの参詣が多くありました。本尊として十界曼荼羅を祀ります。

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ところで、上述の本勝迹劣、本迹一致は法華経の解釈に関する論点です。所依の法華経を構成する二十八品(28章)は、前半の「迹門」、後半の「本門」に二分されます。本堂の西にある塔頭「本妙院」

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本勝迹劣は本門に法華経の極意があるとし、その流派は本門流と呼ばれます。(妙法院には江戸時代前期の作と思われ、大ぶりの石を多用した豪快な枯山水庭園があり、京都市の名勝に指定されています。)

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今出川家の公達だった日忠上人は、改宗して三井寺から当寺に移り、学室道輪寺を創立、本化教学の道場を開きました。この頃、当寺の教義は隆昌を極めて寺院の格式も高いものとなりました。右隣に塔頭「常住院」

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本堂の周りを右回りに廻ります。本堂の西には妙法院、常住院に加えてに慈詮院(南)の計3院の塔頭があります。本堂の裏には渡り廊下があり、その下をくぐります。

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先ほどの本迹一致は、本迹の違いを認めつつも二十八品全体を一体として所依とすべきという主張で、その諸派は一致派と呼ばれます。本堂の北(裏)には表書院(下)と宝物殿などの建物があります。

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天文5年(1536)法華宗の隆昌を妬む比叡山天台宗らの僧俗10万人によって襲撃される天文法華の乱(法難)が起こり、妙蓮寺をはじめとする日蓮聖人門下21本山は、ことごとく焼失、堺に避難しました。

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天文11年(1542)大宮西北小路に復興され、天正15年(1587)には、豊臣秀吉の聚楽第造営に際して現在地に移転しました。

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江戸時代前期には、1km四方の境内に塔頭27院を有する大寺院となりました。しかし天明8年(1788)の大火によって、そのほとんどが焼失、わずかに宝蔵・鐘楼 を残すだけでした。「本坊」

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本坊は本山寺務所となっていて、拝観入口でもあります。書院庭園である「十六羅漢石庭」は桂離宮を造庭した当寺の僧・玉淵坊日首の作で、白河砂に16の石を配置し、北山杉を植え込んだ枯山水庭園です。

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中央の大きな青石は豊臣秀吉の寄進と伝えられる臥牛石で、白砂は宇宙を表し、15石は苦悩する民衆の中から立ち上がる菩薩(羅漢)を表現しているそうです。

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この日は遅かったので拝観しておらず上は過去の写真です。

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妙蓮寺は、寛政元年(1789)から漸次復興して現在に至り、塔頭8院を残しています。

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塔頭「玉龍院」、家庭料理がいただけるようです。他に、恵光院、本光院、円常院、堅樹院の計5院がこの通りにあります。

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本堂の右(東)に松に加えて桜の木が並んでいます。

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「御会式桜(おえしきざくら)」 日蓮聖人入滅の10月13日頃から咲き始め、4月8日のお釈迦様の誕生日の日くらいまで咲く桜です。下の2枚は過去の写真です。

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この桜の花びらを持ち帰ると「恋が成就する」といわれます。ただし、散ったのを拾って下さいということです。4月7日の撮影で、10月から咲き始める桜がこれほど満開になるのは珍しいそうです。

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戦時中は国の宗教統制により本門法華宗は日真門流、日陣門流と合流して法華宗が結成されました。戦後の昭和21年(1946)合同三派が解散、昭和27年(1952)本門法華宗が再興され本山となりました。

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修復工事中の「鐘楼」は江戸時代初期の1617年に建立、天明の大火(1788年)でも焼失を免れました。全国的にも珍しい本格的な袴腰型鐘楼で日本建築史上、江戸時代を代表する建築物だそうです(重要文化財に未指定)。

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細部の、腰組の蓑束や頭貫木鼻、軒組拳組や隅木上の持送りなどの絵樣や彫刻等は すべて江戸時代初期の年代的特色をよく現し、全体として和様と禅宗樣の二つの様式が巧みに折衷されいるそうです(下は過去の写真)。

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日が暮れてきましたが、最後にもう一か所訪れました。

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コメント

曼珠沙華に芙蓉に、
いいですよね。
燃える秋に、柔らかい秋。
いろんな秋がありますね。
御会式桜、秋に咲く桜もまたいいものですね。
力強く感じます。

投稿: munixyu | 2019年10月 7日 (月) 19:14

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