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2019年10月20日 (日)

大雲寺 岩倉の古刹は再建中

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の石座神社の東と西に大雲寺の境内と旧境内があります。最初に旧境内地を訪ねて西(上の写真の左)の石段を上ります。

「大雲寺」は天禄2年(971年)日野中納言藤原文範が真覚を開山として創建したのに始まり、当初は園城寺(三井寺)の別院でした。

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文範は紫式部の曽祖父(式部の母の祖父)です。真覚は藤原敦忠の子で、村上天皇に近侍していましたが、天皇没後に比叡山で出家していました。「冷泉天皇皇后昌子内親王岩倉陵」

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永観3年(985年)には、朱雀天皇皇女で冷泉天皇皇后・昌子内親王により、寺内に観音院が建立されました。このことから昌子内親王は観音院太后とも称されました。真覚の子の文慶法印が観音院の初代別当となりました。

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「北山病院」の建物の間を通って、西の山際に行きます。旧境内地はすべてこの病院の敷地内にあります。

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園城寺長吏、法性寺座主を務めた僧余慶(智弁)は、天元4年(981)一門の僧数百人を連れて大雲寺へ移りました。これは余慶らの寺門派(園城寺)と山門派(延暦寺)との対立が背景にあり、余慶は観音院僧正とも呼ばれました。「不動の滝」(妙見の滝)

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古来から大雲寺では心の病を癒やす加持祈祷が行われていました。この滝は垢離場(こりば)といい、滝行をすると心の病が本復するとして全国から多くの方が集まってきたそうです。(左に妙見菩薩、右に不動明王を祀っています。)

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江戸時代中期の宝暦年間(1751-1764)頃から、大雲寺は諸国より多くの心に病を持つ人々が集まる療養地となりました。その人々の滞在を引き受けた籠屋(こもりや、後の保養所)の一つが後の北山病院です。

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余慶の頃の大雲寺・観音院は、多くの伽藍を有する大寺院でしたが、その後の寺門・山門の抗争により、寺門派の拠点であった大雲寺はたびたび兵火に見舞われ、焼失を繰り返しました。(「閼伽井(あかい)堂」)

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かっては背後の山の山腹に朝日妙見が祀られ、洛陽十二妙見霊場の筆頭だったといわれています。

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「閼伽井」は別名を智弁水といい、智弁僧正(余慶、918‐991)が霊水を求めて密教の秘法を修めたとされます。干ばつにも降雨にも増減しない「不増不滅の水」といわれ、平安時代から心の病、目の病に霊験があると信仰をあつめています。

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また、大雲寺文慶(もんけい)上人(965‐1046)の夢に跋難柁龍(ばつなんだりゅう)王が現れこの地に名水ありとお告げがあり、左の袂で大地をさすると霊水が湧き出したという伝承もあるそうです。

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お堂の裏には石仏や石塔が残されています。

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『源氏物語』の「若紫」の巻で、小童の幻想が現れるという「わらわ病」にかかった光源氏が、修験者による加持祈祷を受けた「北山のなにがし寺」は大雲寺といわれています。源氏は不動の滝付近で若紫を垣間見て、後に二人は生涯を共にします。

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保延2年(1136年)には当時残っていた大雲寺の伽藍が全焼しました。(石座神社の鳥居の前の通りを東に行くと阿弥陀如来坐像の「三面石仏」があります。)

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石仏の隣に、「万里小路中納言藤房卿髪塔」があります。中央の宝篋印塔が遺髪塚で、鎌倉時代後期から南北朝時代の作といわれています。藤原藤房は1334年に大雲寺の掛所・不二房で出家しました。

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掛所は別院あるいは別院の支院のことだそうです。大雲寺は南北朝時代を舞台にした『太平記』に登場します。この横が現在の大雲寺の入口です。

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大雲寺は元亀2年(1571年)の織田信長の比叡山焼き討ちでも焼失しました。

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江戸時代に入り、寛永年間(1624 - 1644)後水尾天皇の援助を受けて、実相院門跡義尊により本堂等が再建されました。井原西鶴『好色一代女』にも大雲寺が登場します。

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明治時代の廃仏毀釈の中(1879年)掛所の宝塔院、正教院、不二坊が廃絶しました。

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再建された本堂も、昭和60年(1985)再び火災により焼失して、石座神社の東のこの地に移転しました。秘仏ならびに寺宝類は全て無事で、仮本堂に保管されています。「仮本堂」

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現在の大雲寺は天台寺門宗系単立寺院(天台証門宗本山)で、本尊は十一面観音菩薩です。正面の壁の上に乗っているのは仁王像のようです。

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仮本堂までの参道横に芭蕉句碑「いざさらば雪見にころぶ処まで」、江戸時代中期の1784年に岩倉の伊佐家により立てられたそうです。ただし、俳句の舞台は岩倉ではないという説もあります。

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かっての大雲寺の「梵鐘」(国宝)は、平安時代の858年に鋳造され、比叡山西塔の宝幢院にあったものです。京都では妙心寺の梵鐘に次ぎ古く、現在は佐川美術館所蔵になっています。句碑の奥に小さな池があり、中の島と橋もあります。

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仮本堂の横に小さな墓地があり、その奥にこの看板がありました。建築確認が平成3年(1991)と随分前なのが気になりますが、今度も必ず本堂が再建されると信じています。

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仮本堂から離れたところに覆屋があり、中には「閼伽井堂双龍大権現」が祀られています。

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現在のご住職は叡山学院の教授を務める一方、心の病の加持祈祷だけでなく、うつ病に悩む人々が集う会を組織するなど様々な活動を通じて、1000年続いた大雲寺の伝統を守っています。

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コメント

大昔から、心の病というのはあったのですね。
今も昔も悩みはつきなかったのでしょう。
滝行は、ご利益がありそうですね。

投稿: munixyu | 2019年10月20日 (日) 12:30

★munixyuさん こんばんは♪
体の病を癒やすご利益の寺社は多いですが、大雲寺は珍しいですね。

投稿: りせ | 2019年10月29日 (火) 00:16

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