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2019年10月10日 (木)

南禅寺 方丈庭園と7つの禅庭園

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

南禅寺の拝観受付がある庫裡に入ります。上の写真はすぐ右にある「滝の間」で、お茶席になっています。以下の庭園が造営された経緯を理解するため、南禅寺の歴史を簡単に振り返ります。

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南禅寺は、正応4年(1291年)亀山法皇がこの地にあった離宮を無関普門禅師(大明国師)に下賜し、開山として迎えて開創したのが始まりです。(庫裏に祀られることが多い「韋駄天」)

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無関禅師の没後、法皇の命により規庵祖円禅師(南院国師) が31歳の若さで南禅寺第2世の住持となり、一宇もなかった伽藍の建立・整備に半生を捧げました。「龍虎の間)」

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慶長10年(1605)以心崇伝禅師(本光国師) が第270世住持となり、寺を復興します。慶長16年(1611)朝廷から女院御所の御対面所を拝領して方丈として移築し、その際小堀遠州の作庭で方丈庭園(下)が造営されました。右が「方丈」。

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方丈庭園は東西に長い地形に石組が左奥だけに置かれ、遠近法で庭が広く見えます。白砂の広い空間を残し、巨大な石を横に寝かして配置する手法は江戸時代初期の代表的な禅院式枯山水式庭園だそうです。

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築地塀の向こうにかっては借景として東山(大日山)が見えたそうです。 大きな石は近江富士を表しているといわれています。

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須弥山・蓬莱山などの仏教的世界観を表現した庭園とは異なり、水墨画の世界を表したともいわれ、俗に「虎の子渡し」の庭と呼ばれています。方丈庭園は昭和26年に国の名勝に指定されました。

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方丈の西の「小方丈庭園」は別名「如心庭」と呼ばれ、昭和41年に当時の管長柴山全慶老師が「心を表現せよ」と指示して作庭されました。「心」字形に石を配した枯山水で、解脱した心のように落ち着いた雰囲気の禅庭園となっています。

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回廊を歩くといつくかの現代的な禅庭園があります。最初に如心庭の塀の向こうに「蓬莱神仙庭」があります。変形した敷地に蓬莱山を表す石組と二つの州浜を配置したダイナミックな庭です。

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蓬莱は中国の霊山、神仙はそこで悟りの境地を開いた仙人のことだそうです。この庭は旧南禅会館の裏手の坪庭の石を利用して、ご住職が作庭したとのことです。

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「六道庭」 「如心庭」が解脱した心の庭であるのに対し、六道輪廻を戒める庭です。六道輪廻とは、天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の六つの世界を生まれ変わり続けるという仏教の世界観を意味しています。

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一面の杉苔の中に点在する景石から、悟りを得られず、煩悩に迷い、罪を犯す凡人のはなかさを表しているそうです。

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この庭は昭和42年(1967)の作庭です。右奥の竹垣は南禅院の竹藪から孟宗竹を切ってきて太めの鉄砲垣を創作したもので、「大筒垣」と名づけられました。

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回廊は山裾に沿って南北に延びていて、その北の端で昭和58年(1983に建設された座禅会館の「龍渕閣」(左)に繋がっています。 

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龍渕閣の建築に伴い、塔頭帰雲院が移転し、代わりに茶室・不識庵がこの地に移築されました。そして、三門の西にあった鞍馬石の巨石を運び込んで、豢龍池(かんりゅういけ)の池畔には十津川石の景石が配置されて、「龍吟庭」が造られました。

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「不識庵」は、昭和29年(1954)の開基亀山法皇650年忌に茶道宗流八世宗有宗匠から寄進されたものです。なお、「豢龍池」とは龍を飼う池という意味で、龍渕閣や龍吟庭の名の由来となっています。

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龍渕閣の建築の際に、茶室「窮心亭(きゅうしんてい)」が龍吟庭の南に新築されました。こちらは、宗偏流一門から寄進されたものです。

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六道庭の東側にあった「南禅寺垣」をこの山際に移して、窮心亭からこのあたりに「華厳庭」が造られました。

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なお、南禅寺垣とは、立子を胴縁に編みつけるようにした大津垣に、萩垣を間に入れた形の垣で、足元はさし石ですっきりとまとめているのが特徴だそうです。

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回廊の突き当たり、華厳庭の西にある「鳴滝庭」 方丈の東北の隅にあり、狩野永徳が障壁画を描いた「鳴滝の間」の前庭になります。

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この庭の隅にある大硯石(上)は、岐阜県で採掘された紅縞(めのう)で作られたもので、紅縞は今では掘り尽くされて大変貴重なものだそうです。

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「還源(げんげん)庭」 向こうの蔵と方丈、書院に囲まれた狭い空間です。禅宗で、悟りの境地に至るまでの階程を牛と牧童との関係になぞらえた10の段階があります(図に描いたものが十牛図)。そのうちの9番目が返本還源(へんぽんげんげん)です。

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返本還源は、原初の自然の美しさがあらわれてくることを意味し、悟りとはこのような自然の中にあると教えています。あと一歩で悟りを開く段階です。

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以上で2つの方丈庭園と6つの禅庭園を見て回りましたが、最後の一つは「大玄関庭園」です。本坊の拝観入口の左手に唐破風の大玄関があり、特別な行事の時にのみ使用されます。

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昭和45年(1970)に市電伏見線が廃止になったとき、軌道敷の板石が寺社に優先して払い下げられ、第1回の抽選会で南禅寺は見事に一番くじを引いたそうです。この軌道板石を大玄関前に敷き、両側に樹木と景石を配置しています。

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この後、「天授庵」に向かいました。

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コメント

空間をシンプルに大きく使った、広い庭園は、
いろんなものを考えることができて、
自由でいいですよね。
そういう意味では、方丈庭園が一番いいと思います。

投稿: munixyu | 2019年10月10日 (木) 14:49

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