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2019年9月 9日 (月)

雲林院 紫野の離宮と平安文学の舞台

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

大徳寺通の北大路下ルに雲林院があります。平安時代に天皇の離宮として始まり、大徳寺塔頭になるまでの歴史を振り返りながら境内を巡ります。(昨日の記事では工事中でしたが、夕方になり作業は終わったようです。)

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かって紫野(むらさきの)一帯は野が広がる狩猟地で、桜や紅葉の名所でもありました。禁野(天皇の狩猟地)として一般人の狩猟は禁止されていました。(山門の正面に手水舎があります。)

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天長年間(824-834)淳和天皇はこの地に広大な離宮「紫野院」を造営、同・天長年間には「雲林亭(うりんてい)」と改められました。(山門の左に祠があります。)

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淳和天皇は紫野院(雲林亭)に度々行幸し、文人を交えての歌舞の遊宴を催しました。後に、離宮は仁明天皇皇子・常康(つねやす)親王に引き継がれました。(南無地蔵大菩薩が祀られています。)

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常康親王は、承和7年(840)には無品親王ながら志摩国答志島を与えらました。しかし、嘉祥3年(850)父・仁明天皇が崩御するも即位を許されず、出家して雲林亭に隠棲して詩作に励みました。

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貞観11年(869)常康親王は、雲林亭を僧正遍昭(へんじょう)に譲って天台宗の修行場「雲林院」とし亡き父帝への謝恩の姿勢を示し、その年亡くなりました。(手水舎にはお線香やお札が置いてあります。)

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遍照は学者・漢詩人の良岑安世(よしみねのやすよ)の子で桓武天皇の孫です。左近衛少将、蔵人頭として仁明天皇、後に光孝天皇に仕え、仁明天皇の死去により出家しました。(境内の南に庫裏の建物があります。)

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遍照は貞観年間(859-877)に元慶寺(山科)を創建、その後の885年僧正になりました。元慶8年(884)雲林院を天台宗元慶寺の別院としました。(庫裏の前を通って奥に行きます。)

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当時の雲林院は、年分度者(1年に許される出家者)3人を与えられ、鎌倉時代まで天台教学の官寺として栄え、菩提講・桜花・紅葉で有名でした。(手水舎の後ろはちょっとした花壇になっています。)

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僧正遍昭は歌人でもあり、六歌仙、三十六歌仙のひとりで、小野小町とも親交がありました。(庫裏の前を奥まで行くと墓地がありますが、ちょっと近づけません。)

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手水舎の後ろに僧正遍昭の歌碑があります。「天つ風  雲のかよひ路  吹きとぢよ  をとめの姿  しばしとどめむ」(古今和歌集、百人一首)。

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雲林亭の時代には菅原道真の『菅家文草』や最初の勅撰和歌集『古今和歌集』に登場し、雲院林になってからは『源氏物語』、『山槐記』、『今昔物語』、『伊勢物語』、『平家物語』など平安時代の多くの文学に登場します。

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寛和年間(985-987)境内に念仏寺が建てられ、「菩提講」が催されました。菩提講とは、極楽往生を求めて、法華経を講説する法会です。『大鏡』は、菩提講で落ち合った老人の昔物語として物語が展開し、冒頭で雲林院が描かれています。

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『源氏物語』の「賢木」にも雲林院が登場、光源氏は雲林院に参籠して天台六十巻を読みすすめます。亡き母・桐壺の更衣の兄も雲林院に籠って修行します。 (紫雲弁財天)

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雲林院は桜と紅葉の名所として『古今和歌集』以下の歌集の歌枕となり、在原業平が『伊勢物語』の筋を夢で語る謡曲『雲林院』の題材にもなりました。 西行法師「これやきく 雲の林の寺ならん  花を尋ねるこころやすめん」。

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雲林院は鎌倉時代になると衰退、鎌倉時代末の正中元年(1324)敷地を贈られた大燈国師(宗峰妙超)が大徳寺が創建、雲林院はその塔頭として復興されて禅宗となりました。(十三重塔があったのですが、基部だけとなっています。)

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室町時代の応仁の乱(1467-1477)で焼失、廃絶しました。江戸時代中期の宝永4年(1707)寺名が無くなるのを惜しんだ大徳寺291世・江西宗寛(こうざいそうかん)によって再建されました。(山門の前まで戻ってきました。)

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後に雲林院は再び衰退して観音堂と門だけが残されました。 「観音堂」には、本尊の十一面千手観世音菩薩と、大徳寺開山の大燈国師木像、中興の江西和尚の木像が安置されています。

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昭和55-58年、寛道宗信により堂宇が修復、庫裏が建立されて現在に至ります。かっての雲林亭・雲林院は歴史の表舞台から消え、町名にその名が残るだけで規模や正確な位置が不明でした。

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ところが、昭和55-58年雲林院町のマンション建設に伴って発掘調査が行われ、離宮・紫野院の東部の池泉や「釣台」と思われる建物跡などが発見されました。(賓頭盧尊者)

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雲林院は紫式部ゆかりの地です。かって雲林院の境内だった大徳寺塔頭・真珠庵に「紫式部産湯の井戸」があり、式部はこの周辺で生まれ育ち墓もあります。その名は紫野に由来するといわれています。

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コメント

有名な歌の歌碑を見つけると、
なんだか嬉しいですよね。
手水舎の後ろって、なかなか見つけにくいと思います。
歌碑、句碑巡りなんかも楽しいかもしれませんね。

投稿: munixyu | 2019年9月 9日 (月) 12:26

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