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2019年9月 6日 (金)

大徳寺塔頭・瑞峯院 キリシタン大名と庭園

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の大徳寺塔頭・龍源院の次に、同じく通年公開している瑞峯院を訪れました。一筋西の道に面している「山門」(重文)と「唐門」(重文)はともに室町時代の創建当初のものです。

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「瑞峯院」は、室町時代の天文4年(1535)キリシタン大名として知られる大友宗麟が、大徳寺第91世・徹岫宗九(てっしゅうそうきゅう)禅師を開祖として、菩提寺を創建したのが始まりです。拝観入口がある「庫裡」。

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徹岫禅師は、大徳寺86世の小渓紹怤(しょうけいじょうふ)に師事し、1536年に大徳寺91世となりまじた。青年時代の上杉謙信に禅を指導し、後奈良天皇の帰依を受けたといいます。{韋駄天?)

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「方丈(客殿)」は、創建年に建立された室町時代の禅宗方丈建築の遺構で、重要文化財に指定されています。

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大友宗麟は南蛮貿易により経済力を高め、その間キリスト教への関心を強め、自ら洗礼を受けました。最盛期には九州六ヶ国を平定しましたが、薩摩・島津氏に敗れて晩年には秀吉傘下の一大名として豊後一国までに衰退しました

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「独坐庭」 方丈の前庭で、中国の禅僧・百丈禅師が、独坐大雄峰と呼唱した禅語にちなんで名づけられました。開祖400年遠忌を記念して、1961年に重森三玲によって作庭された蓬莱山式庭園で、寺号の「瑞峯」をテーマにしています。

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瑞峯は清らかな山の峰という意味だそうです。築山から砂地までにそそり立つ石が、蓬莱山の山岳から続く半島を表します。大きな砂紋と三玲の庭としては小さい石が、大海の荒波を強調しています。

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正面の瑞峯院の扁額は後奈良天皇によるもので、瑞峯院は大伴宗麟の法名にちなんでいます。

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中央に開祖の大満国師(徹岫禅師)の木像を安置しています。33枚の襖絵は野添平米画伯の作で、世界的名山といわれる朝鮮の金剛山とその大自然の雄大さを描いています。

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絶え間なく打ち寄せる荒波にもまれながらも雄々と独坐している石は、中国の名僧・雲門禅師になぞらえているともいわれています。

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西の茶室の前まで庭は続いていますが、ここは穏やかな入り海となっています。

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「餘慶庵(よけいあん)」 千利休が山崎に建てた「待庵(たいあん)」を、表千家8代・啐啄斎宗匠(そったくさいそうしょう、1744-1808)好みの席にうつしたものです。毎月28日(千利休の月命日)に釜がかかるそうです。

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六畳台目の席、次の間、八畳の下座床の席、別に廊下を隔てて四畳半向こう切りの席がからなります。「茶庭」は、かっては一木一草を用いず、青石を一面に敷きつめた斬新なものでしたが、近年苔の植栽に飛び石という典型的な茶庭に改造されました。

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「閑眠庭」 方丈の裏庭で、「閑眠高臥して青山に対す」の禅語にちなんで名づけられました。これは、俗世を離れて高みを目指し、山野でひそかに暮らすという意味だそうです。上の茶庭とともに重森三玲によって作庭され、静かな落ち着いた庭です。

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飛び石の奥に「平成待庵」があります。1990年に待庵を創建当時の資料によって忠実に復元した建物で、拝観するには事前予約と特別拝観料(法話・抹茶付)が必要だそうです。

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閑眠庭をここから見ると、縦に4個、横に3個の計7石が十字架の形に据えられていて、万民の霊を弔っているのだそうです。このため、この庭は「十字架の庭」ともいわれています。

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この庭の東は廊下で区切られ、廊下の先に茶室があります

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「安勝軒」 閑眠庭の東北隅ある茶室で、大徳寺山内唯一の逆勝手席になっており、床の間に向かって本床が左、脇床が右にあります。表千家12代・惺斎宗左宗匠(1863-1937)の指導により1928年に建てられました。

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宗麟の時代にも安勝軒という茶室がありましたが、享保年間に廃されたそうです。その軒号を付けたものです

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瑞峯院には、寺宝として宗麟の肖像画が所蔵され、境内には宗麟夫妻の墓があります。方丈の東に坪庭があります。

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根元にマリア像のレリーフが彫られた「キリシタン燈籠」と四角い蹲踞(つくばい)があり、閑眠庭の十字架はここからの延長線上に縦の4石が置かれています。

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ところで、瑞峯院の創建年には諸説あります。上で述べた1535年は広く知られている説で、瑞峯院のパンフレットでは創建年は明記していませんが、方丈の建造年が1535年となっています。

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大伴宗麟は大友氏20代当主・大友義鑑の嫡男として1530年に生まれ、5歳の時に菩提寺を創建したことになります。10歳で元服して義鎮と名乗りました。しかし、父は異母弟を当主にしようと内部抗争が起こりました。

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抗争で父と弟が死去、義鎮は1550年に21代当主となりました。その頃禅宗に帰依、得度して宗麟と名を改め、法名「瑞峯院殿瑞峯宗麟居士」にちなんで寺号を瑞峯院としました。

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一方で、宗麟はキリスト教にも興味を示して領内での布教を許可しましたが、正式に洗礼を受けたのは1578年薩摩・島津に敗れた後です。1587年死去した時の葬儀は仏式とキリスト式の双方で行われたといいます。

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コメント

ここの石庭は、波が高いですね。
激しさを感じます。

投稿: munixyu | 2019年9月 7日 (土) 18:01

★munixyuさん こんばんは♪
砂で表現した荒海は、人生や修行の厳しさを表していると思われます。凛として立つ置石はそれを乗り越えていく禅僧ということなのでしょう。

投稿: りせ | 2019年9月11日 (水) 00:37

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